第六章

第24話 平穏?

「ご心配かけてすみません」

「……うん。もう大丈夫そうだな」

「はい。色々整理がついたんで」

 週明け。ミツキの顔は五月晴れの空の如く晴れやかだった。どこか吹っ切れたような顔をした彼に、メイはうんうんと頷く。

「よかったよ。君がこのままだったら脚本を一から書き直さなきゃいけないところだった」

 その様子なら大丈夫そうだと彼女は言うと、集まった部員に向けて言った。

「今日から夏休み特別公演に向けての練習を本格的に開始する。我が部初めての外部公演で分からないことも多いだろうが、皆で一丸となってやっていこう!」

「はい!」

 暑くなり始めた体育館の中に勢いのある返事が体育館の中に反響した。



※※※



 しかし元気のいい声が響く中、少し張りのない声が一つ。アキラはそっとその声の元に近づいた。

「あんたがミツキに何かしたの?」

「う、ひゃぁっ⁈ ……なんや須藤先輩、驚かさんでくださいよ」

「あいつ、すごいいい表情になったからさ。あんたがやったの?」

 アキラはそう言ってちらりとミツキを見る。休み前に比べ、分かりにくいがその表情はかなり明るくなっているように見えた。


「ええ、っと、まあ。お節介やと思ったんですけどね」

 眉を下げながら、キョウヘイは頬を掻く。その顔は笑ってはいるものの、どこか元気がなかった。

「―――ありがとね。あいつ意外と面倒なとこあるし……。いや、あいつら?」

 その言葉にキョウヘイが目を見開く。

「気づいてはったんですか?」

「いつも間近であいつらの特訓とやらを見せられてたのよ。気づきたくなくても気づくわよ」

「それはなんというかまた……」


 アキラは疲れた表情で舞台を見る。けれど、舞台に立つミツキを見る眼差しはどこか優し気だった。

「………あの、ミツキ先輩と須藤先輩はどないな関係なんです?」

「中学が一緒の腐れ縁」

 すぱりと言い切るアキラにキョウヘイは訝し気な眼差しを向ける。しかしそう言うにはアキラはミツキをどこか気にかけているように見えた。


「ほんまにです?」

「本当よ。あんたが思うようなことは何もない。しいて言うならお互い傷舐めあってるみたいなもんよ」

「そのぉ、実は前カノ、とかぁ」

 その言葉を言った瞬間、アキラは低い声で言った。


「人間男女でいたら付き合わなきゃいけないとかそんな決まりないの。覚えておきなさい」

「はっ、はいっ! すいまっせん!」

 その目に一瞬鋭い光が宿った気がして、キョウヘイは慌てて居住まいを正す。その様子に彼女はほんの少し視線を和らげてから、続けた。

「……別にさ、人間絶対恋愛しなきゃいけないわけじゃないし。しんどいなら離れたっていいんだから」

「せ、先輩?」

「……とにかく、お礼言っとくわ。あいつの友達として」

 そう言ってアキラは自分の作業に戻る。キョウヘイはしばらくの間目をぱちくりとさせていたが、やがて顔を緩めた。

「ひょっとして、僕のこと心配してくれはったんかな?」

 ミツキとアキラの関係は良く分からなかったが、キョウヘイには彼らが腐れ縁で片づけられないような強い想いがあるように感じた。



※※※



 夏の暑さが徐々に近づいてくる中、練習はつつがなく進んでいく。ミツキは今まで以上に演技に集中することができたし、周りもそれに付いていくようにレベルを上げていく。嫌なギスギスはなく、皆が最高の舞台にしていこうという程よい緊張感が更に演劇の質を上げていった。

 しかしその間、リョウタが演劇部部室に来ることはなかった。


 あんなことがあったのだから、まあ来にくくて当たり前か。と、昼休みに扉の方を見ながらミツキは思う。それでも今までのことを考えれば何食わぬ顔で来ている気もしたが、それくらいにはリョウタの中で大きな出来事だったと言うことだろう。

 何度目かの視線を扉に送った時、アキラが言う。


「そんなに気になるならもう三年の教室にでも行ったらどう?」

「いや、それは先輩に迷惑になりそうだし。それに俺にそこまでの根性がないの知ってるだろ」

「あーはいはい。分かってますよ」

 受け入れて多少楽になったとはいえど、それでもまだ三年のテリトリーの中に自ら赴くほどの勇気はミツキの中にはなかった。

 それを聞いてアキラは分かっているとでも言いたげに制作中の小物へと視線を落とす。


「ミツキ先輩、演技のことで質問あるんですけど」

「どこ?」

「ここの感情表現の仕方がちょっと分からんくて」

 キョウヘイは相変わらず顔を出していたが、もう不必要にべたつくことはなかった。ただ真剣な顔をしながらミツキの隣でもらったばかりの台本を読みふけっている。 

「せっかく演者として先輩と同じ舞台に立てるんですから、僕なりの全力出したいな思て」

 一度ミツキが聞いた時、キョウヘイはそう照れた表情で答えた。筆箱にはあのキーホルダーが光を反射してきらめいていた。


 そうして五月の爽やかな時期が過ぎ、六月がやってくる。じとりとした雨雲と湿気に悩まされる中、演劇部の練習は仕上げへと向かっていた。 

 しかしそんなある日、部活休みの週半ば。ミツキのスマホを確認すると、あるメッセージが表示されていた。それを覗き込んでミツキの心臓が跳ねる。

「放課後、話したいことがある」

 それは簡潔なリョウタの言葉だった。




「おう、悪いな来てもらって」

「何ですか。話って」

 空は丁度雲がかかって、教室を薄暗くしていた。誰もいない教室の中で、久々に会ったリョウタは変わらない笑顔を見せる。たったそれだけでミツキの心臓は異常に早く暴れまわった。

 少し息を吐いて、ミツキは前を見る。リョウタはにっこりと笑ったまま、言った。


「今日はさ、お礼言おうと思って」

「お礼?」

「実はさ、今。いい雰囲気の子がいてさ」


 今度、告白しようって思ってるんだ。

 

 その声に呼応するように、酷い雨音が教室の窓を叩き始めていた。

「お、降って来たな。まあ通り雨だろうし、ちょっと待てばすぐ止むよな」

 ざあざあと雨音が聞こえる。それをかき消すほどの耳鳴りが、ミツキの耳の奥で強く響いていた。 

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