第23話 好きとは

「えー、これから我が部の夏休み期間に行う公演について」

 ミツキはじっと黙っている。

「――具体的な内容をだな」

 ミツキはただただ黙っている。

「……決めて、いこうと」

 ミツキはどこか虚ろな目で黙っている。

「思って、いるんだがな?」

 そこまで言い切ってから、メイは耐えきれなくなったように言った。


「おい、これはどういうことだ? うちのエースと新人に何が起きてる?」

「面倒なことに話すと長くなりますよ部長。私だって頭が痛いんです」

「お、おう。アキラも大丈夫か?」

「大丈夫じゃないです」

 演劇部部室内。いつもの如く放課後に集まった部員たちだったが約二名がおかしな状態にあった。


 ミツキは何を話そうとも反応が芳しくなく、普段よりもさらにぼうっと虚空を見つめている。その目もどこか虚ろであり、彼が熱を入れる演劇の話題にすら冒頭の通りであった。

 その上新入部員であるキョウヘイもどこか苛立った様子で壁に背を預けている。普段であれば鋭い目つきを持ち前の明るさと愛嬌で緩和している彼が、今はさながら噛みつく寸前の狂犬のように気が立っていた。その雰囲気が部員たちにも伝わっているのだろう。全員、話が耳にうまく入っていないようだった。ちらちらと後ろを見ては、時折聞こえる舌打ちの音に体を震わせている。


 メイが困ったようにアキラを見れば、アキラ自身も疲れたように肩を竦めて首を横に振るだけだ。

「……友達の痴情のもつれに巻き込まれたくねーって話です」

「え、痴情?」

「あーあー、まあ恋愛はこれだからってやつですよ。深い詮索はなしでお願いします」

「う、うん。まあそうだな。そういうことは当人同士の問題だ」

 そうは言ったもののやはり気になるのか、メイもちらちらとミツキの様子をうかがっている。しかし、それ以上何か聞くことはなかった。


 そして肝心のミツキはと言えばそんな周りの話も聞こえない程にはある出来事で頭の中がいっぱいだった。

 それは今日の昼休み。リョウタがどうしてか怒ったようにキョウヘイからミツキを引きはがした時の出来事である。



※※※



「はあ?」

 それはキョウヘイが丁度リョウタに向って好きなのではないかと言った時だ。

 リョウタは意味が分からないという顔で首を傾げている。それ自体にも苛立ちが募るのか、キョウヘイは睨みつけながら言った。

「何意味わからんって顔しとるん?」

「いや、意味わからないだろ実際。好き? 俺が?」

「……そないな顔で慌てて引っぺがしといて、腹立つわほんま」

 しかし二人の会話に構っていられるほど、ミツキの内心は穏やかではなかった。


 ――――好き? 俺のことを、先輩が、好き?


 キョウヘイの言葉は信じられないものだった。しかしそれ以上に、ミツキは彼の言葉にに驚いていた。頭に浮かんだその言葉にミツキは強く首を振る。けれど冷静になればなろうとするほど、頭の中はかき乱されていく一方だ。


 ぐちゃぐちゃになった思考の中、さらにキョウヘイが畳みかけるように言う。

「自分以外とべたべたするんが気に喰わんて、相手が自分以外と引っ付いとるのが嫌なんやろ? 我慢できへんのやろ?」

 その言葉に鼓動がさらに早鐘をうつ。

「自分以外に目ぇ向いとるんが信じられんほど腹立たしくて、そんでもってそうなってる相手も見たくないんやろ。無視できへんくらいに、自分の中ぁ、痛うて痛うてたまらへんやろ」

 違うはずなのに、それは勘違いのはずなのに。キョウヘイの言うことが今まで感じてきた痛みを浮き彫りにしていくようで。


「――――。間違いなく、僕には分かる。憎たらしい話やけどな、あんたは先輩に惚れてるんや」

 

 しかし目を逸らしてきたものを突き付けるように、キョウヘイはまっすぐに言う。実際はリョウタに言ったであろう言葉はミツキの頭にすんなりと落ちてきた。

「俺、は」

 掴まれたままの腕が熱いと感じた。途端に顔に血が上る感覚に、変に見えていないかと気になり始める。不自然に見えていないか、おかしな顔をしていないか。自覚した瞬間、そわそわと落ち着かない心地だった。言われたそのどれもが心に深く突き刺さって、じわりじわりと押さえつけたはずの蓋を開けていく。

 ひょっとして、俺は、もしかして。


 けれど。

「……何言ってんだよ。お前」

 冷や水を浴びせかけられたようにその声だけがはっきりと耳に届く。掴まれていたはずの腕が振り払われるように離されたことに対し、早鐘のように鳴っていた心臓が凍り付くように動きを緩めていく。

 勘違いするな。そう言われた気分だった。


「お前にとってそうなんだろうな。同性を好きになんのも、別に悪いともなんとも思わねえよ」

 見上げられない。その顔が、どんなものかなんて見なくても分かっていた。

「だけどな、お前の価値観を俺に押し付けてんじゃねえよ。なるわけねえだろ、勝手に俺の気持ちを決めてんじゃねえ」

「――――お前っ!」

「ありえねえ。そんな、普通じゃないこと。絶対にありえねえ」

 そうだ。何を勝手に盛り上がっているんだ。先輩は初めから教えてくれてたのに。

 普通の幸せを望む彼の、何よりの願いを知っていたはずなのに。なんで一瞬だって、嬉しいなんて思ってしまったんだ。


 怒ったようにキョウヘイが吠える。けれどもうそんなことは気にならなかった。ただ、一瞬でも期待してしまった自分が恥ずかしくて、勘違いをした己が腹立たしくて消えてしまいたかった。

「そうだ。キョウヘイ、何言ってんだ。当たり前だろ」

「先輩――――」

「先輩が俺のこと、好きになるなんてそんなわけない。そんなことあるはずがない」

 荷物をまとめる。後ろを振り返るだけの勇気はミツキにはなかった。

 だから気づかなかった。リョウタがどんな顔をしていたかなんて。


「俺、先に戻るわ」

 たった一瞬でミツキが部屋から飛び出していき、部屋には黙ったままの二人が取り残される。

「ねえ、今ミツキが変な顔で走ってたんだけど何か―――うわ」

 忘れ物を取りに来たアキラは部室を覗き込んだ瞬間顔を顰めて言った。

「先輩何泣きそうな顔してんですか。え、何? なんかあったの?」

 そのどちらも、その問いに答えることはなかった。

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