第20話 一ノ瀬恭平

「は……惚れ……え?」

 突然のことにどちらも固まっていた。リョウタは目が零れそうなほど大きく見開いたままで、ミツキは珍しくぽかんとした状態で固まっている。一瞬夢かと思ったミツキだったが、何度瞬きをしようと彼はそこに立っていた。


 一年にしては体格のいいリョウタと同じほどの背丈に、赤茶色の短髪。よく焼けた肌は彼が活発であることを証明するかのようだった。


 固まる二人に落ちる沈黙。しかしそんな微妙な間をものともせずに、訪問者は言った。

「あ、変なボケとかちゃいますよ? 僕はほんとーに如月先輩に惚れこんでるんで」

「え、いやあの……誰?」

 驚きと大混乱の渦の中で、初めにミツキの口をついたのはそんな至極当然な言葉だった。すると目の前の名も知れぬ男子生徒はにっと笑って言う。


「僕、一ノ瀬です。一ノ瀬恭平いちのせきょうへいいいます!」

「一ノ瀬、君?」

「あーあー、そんな他人行儀なんやめましょて! キョウヘイって呼んだって下さい!」

「は、はあ……?」

 にこにこと笑うキョウヘイの口元からは白く尖った八重歯が見える。ぐいぐいと勢いのままに部室に足を踏み入れてくる彼に、ミツキは目を白黒させながら相槌を打った。

「生で見ると結構ちっこいなあ。こんな華奢な成りであの舞台を……」

 彼はぶつぶつと言いながらミツキの腕をむにむにと握る。中々に失礼なことを言われている気がしたが、今は怒りよりも驚きの方が勝っていた。


「すごいなあ、すごいなあ! 流石先輩や!」

「……あの惚れたって、どういう」

 一体どういう意味なのか。おずおずと聞くミツキに、キョウヘイははっきりと答える。 

「言葉まんまの意味です! 僕は先輩の舞台を見て、好きになったちゅーわけで! いやぁ、一目惚れってほんまあるんやなあ!」

 何がというわけだ、なのかミツキにはさっぱり分からなかった。


「……それは舞台上のキャラクターが好きなだけじゃない?」

「違います!」

 けれど淡い可能性すらきっぱりと否定して、キョウヘイはミツキに言い聞かせるように言った。

「僕はあの舞台上でのびのびと演技をする振、あんた自身に惚れたんです!」

「え、あ、どうも?」

「……急にお返事なんて図々しいことは言いません。ただ、僕が先輩のこと好きっちゅーのと、付き合いたいってことだけ分かってほしゅうて、来ちゃいました」

 思考が未だ追いつかないミツキではあったが、真剣な眼差しと声を聞いているうちになんだかとんでもないことになってしまったということだけは理解できた。


「ええっと、つまり。君は俺を好きってこと? ライクの方じゃなくて?」

「まごうことなきラブですね!」

「――――マジ?」

「大マジです!」

 その告白はあまりにもド直球で、直接的だった。怒涛に押し寄せる情報量に固まるミツキの一方、キョウヘイはこぼれんばかりの快活な笑みを浮かべながら固まったままのミツキの肩をがっしり掴む。その手のひらはミツキの肩全体を包んでしまうほどには大きく、運動をやってきた名残か分厚かった。


「ちゅーわけで僕も演劇部に入るんで、よろしゅう――――」

「っあ、あのさあ!」

 そこで忘れられていたように放置されていたリョウタが初めて声を発した。

「ミツキも困ってるっぽいしさ、ちょっと落ち着けよ。な?」

「…………あ? なんやお前」

 しかしキョウヘイは打って変わって、ぎろりとした眼差しをリョウタに向ける。今までが人懐っこい子犬のような顔だとすれば、今の彼は狂犬そのものといった強面でリョウタを見据えていた。


「舞台にはおらんかったな。裏方か?」

「俺は部員じゃねーよ。三年の御子柴だ」

「は? なんで部員じゃないんがここにおるんや」

「いや、それはちょっと訳ありで……というか、お前?」

 どうしてかその言葉が、ミツキは胸に深々と刺さった気がした。ぐしゃりと頭の中を潰されたような、そんな気持ち。

 

 しかし固まるミツキとは反対に、キョウヘイは硬い声で返答した。

「なにが」

「いや、付き合うって……お前もミツキも男だろ? いくらこいつが女の役をやってたからってそんなの――――」

 普通じゃない、そう言いかけた時だ。


「……普通じゃないやと?」

「――――っぐ、おい、何を」

「好きな相手好きになって何が悪いんや。言うてみい」

 

 ぞわ、とその様子に殺気すら感じた。キョウヘイの手は迷うことなくリョウタの襟を引っ掴むと、鼻先を突き付けんばかりに引き寄せる。目にもとまらぬ速さだった。キョウヘイは低く唸るような声で言った。

「あんたにとっちゃ僕の恋愛は異物に見えるかもしれへん。けどな、僕にとっちゃ大事な恋なんや。部外者が知った顔で口挟むなや」

「――――っ!」


 リョウタが息を詰める。その肩が目に見えるほど大きく揺らぐのを見て、ミツキはようやく我に返った。

「っ、やめて一ノ――、キョウヘイ君。この人は俺の先輩なんだ」

「………チッ」

「大丈夫ですか、先輩」

「あ、ああ」

 鋭い目つきのままではあったが、ミツキの言葉にキョウヘイは渋々と言った様子で手を離した。勢いのまま座り込んだリョウタは急に近づいた体温のせいか顔色が悪い。ミツキに心配されるその姿に、キョウヘイは吐き捨てるように続ける。


「言うとくけど僕はな、先輩が女やっとたから惚れたんやない。舞台で見た、先輩の生き様に惚れたんや。あんたの『普通』とかい言うちっさい物差しで僕のこと勝手に測るんやない」

「……もう一度言うけどこの人は先輩なんだ。乱暴は困る」

「はぁい。先輩がそう言うなら!」

 ミツキが声を掛けるだけでころりと変わる表情は、二重人格かと疑ってしまうほど穏やかで甘やかなものだった。面倒なことになったとその視線を一身に受けながらミツキは言う。


「演劇部に入るのは歓迎だよ。人手不足だから助かる」

「よっしゃ! なーんでも言ってくださいね!」

「あと、リョウタ先輩はちょこちょこ部室に顔出しするけど乱暴はしないこと」

「………っす」

「返事」

「わーかーりーまーしーた!」

 あまりの返事の落差に不安になるミツキだったが、万年人員不足の演劇部はえり好みはしていられないのだ。


「じゃあ、これからよろしく。キョウヘイ君」

「はーいっ!」

 けれどミツキが差し出した手をキョウヘイが握ることはなかった。その大きな手はそのままミツキの腕をぐいと掴むと簡単に引き寄せてしまう。そして―――。


「よろしく頼みますわ。先輩」

 そのままいとも簡単に、あっさりと、頬にキスを落とした。


「――――――――へ?」

 小さなリップ音にミツキが目を丸くしている間にキョウヘイはさっと身を下げる。

「これは挨拶の代わり言うことで! ほな、失礼しましたぁっ!」

 そう言ってまた嵐のように立ち去るまで、およそ数十分。

「…………どうしよう」

 考えられる限りの中、最も衝撃的な展開にミツキは頬を抑えながらただ呆然と閉まった扉を眺めていた。 


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