第18話 ちょっとの痛み

「………結局心配かけちゃいましたね」

「おー。お前が走ってからあいつら大騒ぎだったんだぞ。『後輩君に何かあったのか』ってジェットコースターの前でな」

「それはなんというかその……本当にすいません」


 夕暮れ。伸ばす影の先に足を向けながら、二人は遊園地からの帰路についていた。

 さっきまでのことを思い出しながらリョウタは言う。

「まあ、ただならない様子だったから追いかけてみたら案の定……って感じだな。気分は大丈夫か?」

「大丈夫です。ご迷惑おかけしました」

「だからいーんだよそんなかたっ苦しいのは」

 結局あの一騒動があった後、ミツキたちは「忘れ物しちゃって」という言葉と共に合流し、残りの遊園地を心行くまで堪能した。途中一度もあの金髪とすれ違わなかったのは幸運と言えるだろう。深く頭を下げるミツキに、リョウタは軽く手をひらひらと振って答えた。


「……今さらなんだけどさ」

 それから少し間を置いて、リョウタが言う。

「さっきのやつ、俺の判断で追っ払っちまったけど、その、良かったわけ?」

「…………あいつは」

「深く詮索するつもりはないけどさ。ほら、かっこつけて俺も先に口が出ちゃったわけだし。もし本当に友達で、俺のせいでこじれたらやだなーって」

「……大丈夫、ですよ。先輩の反応は合ってます」

 ゆっくりとミツキが答え、少し上にあるリョウタの顔を横目でちらりと見上げる。夕日で陰になって見えにくいそれは、少し困ったように眉を寄せていた。

「気になります?」

「え、あ、いや……うん。気になる、けどさ」

「いいですよ。別に、面白いもんでもわざわざ隠すもんでもないですし」

 現にもう現場を見られてしまっているわけだし、下手に隠す方が想像力を掻き立てる悪手だろうとミツキは判断した。申し訳なさげに視線を彷徨わせるリョウタに対し、まっすぐに歩く方向を見つめながら彼は口を開く。


「まあ、あいつは簡単に言えば中学のクラスメイトです。で、いじめっ子」

「………そうか」

「そんな身構えないでくださいよ。楽しくないことを長々話すつもりもありませんし」

「いや、うん。悪い」

「そう言っても多分先輩が想像するような目には合ってませんよ。本当に辛い人たちなんて、きっと俺の想像以上にもっと大勢いる」

 金髪の男は元々ミツキのクラスメイトだった。それこそ大人しいミツキに率先して絡みに来るような社交性を持っている、クラスの中心人物だった。けれど、忘れ物を取りに戻ったある日に、ミツキは彼らの笑い声を聞いてしまった。


「笑ったところが気持ち悪い。笑顔になると火傷が引きつれて見てられないって感じでしたね。多分」 

「は? そんなこと言われたのか?」

「まあ前は今より火傷痕も色濃かったですし。今は舞台メイク習ったおかげで大分隠せるようになりました」

 その火傷はミツキが幼いころに起きたボヤ騒ぎにできた傷だった。痕を綺麗に治す手術をしようと提案した両親に彼はお金がもったいないと断ったのだ。

 けれどクラスメイトにとってはそんな火傷も格好の遊び材料にしかならないらしかった。

 たった一言、されど一言。少なくとも気のいいクラスメイトだと思っていた彼の一言は、ミツキの頭に深く暗い影を刻み込んだ。自分の顔は見せられないようなものだと、そう思ったのだ。

 だからミツキは演劇に触れた時、衝撃が走ったのだ。自分じゃない誰かの姿を借りて、のびのびと演じる彼らに憧れた。そしてそこは結果としてミツキの心を守るための逃げ場になったのだ。


「そりゃあ、後は多少みんなの前で揶揄われるくらいはありましたけど、そのくらいです。机を捨てられたり画鋲を仕込まれたりなんてこと一回もなかったし」

 でも、それでも。心に刻み込んだそれは深いとげのようにいつまでもミツキの心を苛んだ。そしていつしか、素の自分を出すのが恐ろしいとすら感じるようになってしまった。


「その時アキラに会って友達になって……あの金髪がそのまま近くの高校に行くっていうのを聞いてこっちに進路先を変えて今に至ります」

 ミツキが話し終えた後、しばらくの沈黙があった。気を遣わせたかとミツキは打って変わって明るい声を出す。

「まあ別に、世の中にはもっと酷い人もいますし。このくらいであそこまで反応になる自分が弱いっていうか。その、別に全然気にしてなんか」

「このくらい、なわけない」


 リョウタの声はいつにもまして力強く、ミツキは驚いて声を詰まらせる。

「それが原因で今だって笑えないんだろ。表情を出すのが怖いんだろ。そこまで被害受けてるんだろ。それがこのくらい、で済ませられるかよ」

「……でも、俺のは、軽いほう、で」

「いじめに軽いも重いもあるか。お前は弱くない。絶対に弱くなんかない。弱いのはそうやって傷をつけたことも忘れる相手の方だ」


 ずっと、やられた方は覚えて引きずって生きていくのに。やった側は何事もなかったかのように青春を謳歌する。傷つけるだけ傷つけて、何もない顔で忘れていく。


 リョウタはミツキを見る。今まで以上に、まっすぐで力強い視線だった。

「他の人がどうとか自分はまだ軽い方とか関係ない。自分が辛くて苦しいと思ったんなら程度はどうでもい。立派な加害だ」

「……先輩、熱くなってます?」

「熱くもなるだろ、あんな現場見せられて。くそ、そうと分かってるなら一発どさくさ紛れで頭の一つくらいはたいときゃよかった」


 本気で悔しがっている様子のリョウタにミツキはほんの少しだけ口の端を綻ばせる。それを見て、リョウタは嬉しそうに目を細めた。それに気づいたミツキは慌てて頬を引き締める。長年の意識は中々変わりそうにはなかった。

「うんうん。笑ってる顔の方が明るくていいじゃんか。もっと先輩を頼り給えよ後輩君」

「調子がいいなこの人……でも、少し聞いてもらって胸が軽くなった気がします」

「よし、大分いつものミツキが戻って来た!」

 そう言ってにぱっと笑うリョウタの顔は太陽のように明るい。間近で見るそれがどうにも照れくさくて、ミツキは顔を逸らして言う。

「……流石陽キャ。彼女が出来たらそうやって迫ればいいんじゃないですか?」

「お、そうか? それならいいんだけどさ」

 しかしそう軽く返した言葉にミツキの胸が何故か一瞬だけチクリと痛んだ。



「さ、また次の週からも特訓特訓だ!」

「またやりすぎて倒れないでくださいよ。俺エチケット袋常備するの御免なんで」

「わーってるよ。待ってろよ理想の俺っ! 彼女も結婚も秒読みの男になってやる!」

「……秒読みってそれはそれでどうなんですか」

 跳ねるように駆け始めたリョウタの背をミツキは慌てて追いかける。


 まただ。またこの痛み。

 「彼女」と彼が口にした時の、ほんの少しの痛みから目をそらすように茜色の空を見た。それはまるで泣き腫らしたあとのように真っ赤だった。


 

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