第16話 昔の傷

「落ち着いたなら戻りましょうか」

「……ああ。っと、戻るか!」

 リョウタの顔色は大分よくなっていた。彼はベンチから体を起こすとうーんと伸びをする。


「悪いな、気を使わせて」

「今さらでしょ。俺、先輩のゲロの処理までしてるんですよ?」

「それもそうか……それはもう忘れないか?」

「忘れたくなったら忘れます」

 二人が歩き始めた丁度その時、リョウタのクラスメイトを乗せたジェットコースターが戻ってくる。恐らく乗り場に着くころには彼らが降りてくるタイミングとぴったり合うだろう。


「で、またジェットコースター乗るんです?」

 少し悪戯っぽくミツキが聞く。それにリョウタは少し黙った後、眉をハの字にしながら答えた。

「………今度こそ倒れそうだし、やめとくよ。演技で急に得意になるもんでもないしな」

「それがいいです」

 さ、早く戻りましょう。ミツキがそう言い二人は足を早める。少し先では戻ってきたジェットコースターから次々と乗客が降りてくる途中だった。まだ興奮冷めやらぬ様子が遠くからでも良く分かる。

 リョウタのクラスメイトが二人に気づいたのか、彼らを呼ぶように手招きした。


「待たせたら悪いですし、さっさと――――」

 ミツキが呼ばれたことに気づいた時。彼の目はリョウタのクラスメイトよりも後ろを捕らえていた。彼らのようにジェットコースターを楽しんだ様相で、降りてくる彼らは、ちょうどミツキと同じ年程の若者だった。


「……おい、どうした?」

 リョウタが固まったミツキに不思議そうに声をかけるが、彼の目は目の前にいる人物たちを見て立ち尽くしていた。

 驚いたような、。そんな表情で。そしてそのうちの一人が、二人に、いやミツキに気づいたように視線が合う。


「――――っひ」

「ミツキ? 何か変だぞ、お前」

 悲鳴のような息の音だった。異変にいち早く気づいたリョウタが隣を見る。しかし彼の目にはもう目の前しか映っていない。

 そしてその人物がミツキへと声を掛けようとした瞬間。

「――――――――っ!」

「あ、お、おいっ⁈」

 彼は弾かれたようにその場から飛び出していた。



 どうして。どうしてどうしてどうして。


 走りながらミツキは思う。驚いたような顔で流れていく周囲の景色もすべて無視しながら、どこへいくかも分からないまま。

 最悪で、もっとも今一番見たくない顔だった。忘れたまま、高校生活を終わらせたい顔だった。

 忘れようとしていた。ほんの少しだけ忘れかけていた。そのはずなのに。

 ぐっとミツキは拳を握る。もう治っているはずの火傷の痕が熱を持ち、心臓の鼓動と共にズクズク痛んだ。




 最悪だ。

 結局心配させるだろうと遊園地から出ることはできず、それでも園の入り口近くの物陰でミツキはため息を吐いた。


 何より逃げ方が最悪だった。あんなの「訳アリです」と言っているようなものじゃないか。

 あまりの驚きに演技でごまかすなんて判断は出なかった。自販機の陰で自身を守るように体を丸めながらミツキは思う。

 これじゃあ、あの日と何も変わってない。何一つ、強くなってない。

 心臓が嫌な早鐘をうち、呼吸はいくら吸っても肺に底ができたようにうまくいかない。額からは汗が伝い、顎を伝って地面に大きな円を描いた。


 考えるな。考えるな。考えるな。


 何度も何度もそう思い、ミツキは目をつぶって遊園地の音に耳を傾けた。子供のはしゃぎ声にアトラクションの起動音。迷子を知らせるアナウンスに、いくつもの足音と振動。

 ここはあの教室じゃない。俺はもうあそこにはいない。

 繰り返しそう考えることはミツキにとっての防衛のようなものだった。繰り返し言い聞かせて、自分を騙す方法。彼はそうやって自分を守ってきたのだから。

 しかし。


「あっ! やっぱそうじゃん。その火傷の!」

「――――」

「お久、ってか中学ぶり? お前急に別の高校行くからさ」


 周囲の音が一切聞こえなくなる。それなのに、目の前の金髪男の声は嫌に鮮烈に彼の耳をうった。止まっていた震えが、ミツキの体を支配し始める。


「元気してた? ってか相変わらず暗いなお前。流石ミスター仏頂面」

 黙れ。

「高校変わったんだな。なんで変えたわけ? あそこ近かったじゃん」

 黙って。

「てかあいつら友達? すげーな、いつの間に作ったんだよ。ほとんどボッチだったじゃん」

 だまって。だまってくれ。おねがいだから。何も言わなくていいから。消えてくれ。俺の前から、頭の中から、はやくいなくなって。


 忘れたいのに、忘れかけていたのに。その男の顔が思い起こしたくない記憶とリンクする。忘れたいと思っていた声がする。


 ――――ほんっと笑い方――キモイよな――――あいつ。


「すげえな。俺にも教えてくれよ。能面君でもあんなイケてるグループとお近づきになれる方法」


 どうしてそんな、なにもかも忘れた顔ができるんだ。俺は、ずっとずっとずっと覚えてるのに、なんでお前は、勝手に、傷をつけて、忘れて。


 


 その笑い顔と共に彼を捕まえようと腕が伸ばされる。ミツキは逃げ場もなく、ただそれでも足を一歩、後ろに下げようとした。



※※※



「何してんの?」

「っへ?」

「そいつ、俺の連れなんだけどさ。何してんの?」

 ミツキは、声が出なかった。恐怖に腰を抜かさないようにすることでいっぱいいっぱいで、いざその時が訪れても何も言えずにただ驚いた表情で目の前の光景を眺めていた。 


「なんかした? そいつに」

 彼は、リョウタはただ淡々と目の前の金髪に疑問をぶつける。

 何の感情ものっていない声で言いながら、彼は伸ばされた金髪の腕を阻むように

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