第13話 触れる刺激

 それは新入生勧誘のための部活紹介が終わり、演劇部の面々もようやっと一息つけると思っていたころにそれは起こった。

「ミツキ――――っ!」

「先輩は叫ばないと会話できない人種ですか?」

 週の最後。今日は部活も休みだし、明日も休日。思い切り家で羽根をのばしつつゲームに勤しむかとミツキがせっせと帰り支度をしていた時である。


 開け放たれる二年教室のドア。何故か叫ぶ先輩。

 もう面倒くさいことが分かる。ミツキは思い切り聞かせるようにため息を吐いてから、教室に直撃してきたリョウタを一瞥する。しかし当の本人は分かりやすい嫌味など気にもせず言った。

「話があるんだけどさ。一緒に帰んね?」

「………はあ?」

「な、な、な? 頼むよ、俺を助けると思って!」

 教室の外にはリョウタの姿を遠巻きに見ている女子生徒群の姿。縋るように見てくる年上を前にああ、そういうことかとミツキは納得する。


 こういうことになるならアキラが帰った時に一緒に帰ればよかった。

 今日は家の手伝いがあるからと先に帰った彼女の姿を思い浮かべながら、一向に引かないリョウタを前にミツキは顔を顰める。このまま放置していてもしつこくついてきそうな彼に取れる手段は実質一つしかない。ミツキにとっては選択肢などないも同然だった。

「……分かりましたよ」

「ほんとかっ⁈」

「途中までで良ければ」

「っし、みんな悪いな! 先約があるからさ!」

 分かりやすく喜色満面になるリョウタ。そんな彼を前に、ミツキは変わらない表情のまま、何度目か分からないため息を吐いたのだった。



※※※



「いや、ほんとに助かった。あそこまで食い下がられると断り辛くてさ。ほい、約束のブツ」

「どうも」


 適当に楽しくおしゃべりしている風を装いながら校舎から出た二人は、完全に学校からは見えないであろう公園へと向かう。

 夕暮れの日が滑り台やブランコの影を長く伸ばす中、人気のない公園のベンチに座るミツキにコンビニから出てきたリョウタが袋を一つ差し出した。

 中には新発売のスポンジカスタードのイチゴジャム風味アイス。ミツキはさっそく包装を剥くとクリーム色のアイスを口に突っ込んだ。


「美味いのか? それ」

「今日初めて食べました。まあまあですね」

 こういう当たるか外れるか良く分からない商品を試すときは人に買ってもらうと、後で妙な後悔に襲われなくていいというのがミツキの持論だ。減った財布の中身を睨みながら「買うんじゃなかった」と肩を落とすこともない。

 カスタードクリーム味のアイスの中にスポンジとイチゴジャムの甘さがまあまあくどいが、別に食べられない程でもない絶妙な微妙さのアイスだった。


 自分も食べたくなったのだろう、一つ間を開けて隣に腰かけたリョウタがレモン風味の安いアイスバーを取り出す。さっさと包装を剥いてシャクシャクと咀嚼する音が静かな公園に響いていく。

 男子高校生が同じ方向を向きながら黙ってアイスを食べているという少しばかり奇妙に見える光景は、リョウタが神妙な顔つきで沈黙を破ったことで終わりを迎えた。

「……なあ、してもいいか」

「例の練習とやらですか」

「いいか?」

「いいか悪いかで聞かれれば悪くはないです。でも、無理でしょ。この間吐いたばっかりじゃないですか」

 そこまで無理なら無暗に粗治療をせずに徐々に慣らしていくべきだとミツキは言う。しかしリョウタは頑なに首を振った。

「今日は行ける気がする」

「気がする、じゃないんですよ。理由は聞きませんけどね、触るだけでそこまで拒否反応が起こるっていうのはそれだけ深い傷があるってことでしょ」

 無理に塩を塗るようなやり方は慣れるどころか悪化に繋がりかねない。それこそこの前の時のように、拒絶反応から吐くなんてことにもなりうる。


「そんな無茶、するべきじゃないと思いますけど」

「頼む。今度こそ引き際は間違えないようにするから」

「………………はあ」

 何度目かのやり取りにミツキが立ち上がる。しかし彼呆れた様子は見せながらも、彼は公園から出ていくことはなかった。

 備え付けの水道を捻ると彼は器用にアイスを咥えたまま片手を濡らし、丁寧に拭いてからまた腰かける。


「ほら」

「え?」

「体温、低い方が辛くないんでしょ。温くなる前にさっさとやっちゃってください」

 温かくなったとはいえ日が暮れればもちろん気温も下がる。まだ肌寒い春の夕暮れ時、リョウタの目の前にぶっきらぼうに出された手は水の冷たさでほのかに血の色が透けて見えていた。

「……ミツキってさ。実はすごく優しいとか、面倒見いいとか言われない?」

「この状態でおしゃべりするならポケットに仕舞いますけど」

「わあっ、待て待て!」

 ありがたく練習させてもらいます、と慌てたような声と共に恐る恐るの指先がミツキの手の甲に触れ、つうっと手首から中指の付け根の骨までを辿る。


「緊張が伝わるので呼吸は詰めないように。自然な呼吸を意識して」

「お、おう」

「俺のことはマネキンかなんかだと思って、あまり意識しすぎないように――」

 その時、ほんの少しリョウタの爪の先が触れる。握られた時とは違うむず痒さの中の衝撃に、ミツキの肩がびくりと跳ねた。

「っ、ん」

「悪い! 引っかいたか?」

「……いいえ、別に。ちょっとアイスが零れただけです」

 その感触も吐息も甘ったるいアイスと共に飲み込みながら、ミツキはまた前を向いた。手を伝う感触から思考をそらす。


「……例の、理想を演じたいって剣ですけどね」

「お、おう」

「先輩の思う、理想像をキャラクター的に、捉えればいいのかなって思います」

 つまり理想である「普通の自分」というキャラクターを想像し、それがどんな行動をし、どんな発言をするのか考えていく演じ方である。

 演劇の世界にはたった数行のセリフからキャラクターづくりをしなければいけないと言うことも少なくない。なので、そのキャラクターが普段どんな表情や行動をし、考えてを持っているかを徹底的に深掘りすることでリアリティを出していくというわけだ。


「その普通の自分ってやつ、を考えて、『この自分ならどうするか』を考えて、坑道、すれば」

 リョウタは真剣に手を触っている。

「先輩の、理想、に近づける演技に、なるんじゃ、って」

 リョウタは真剣に聞きながら手を触っている。

「……思って」

 その手つきは恐る恐るなせいか異常にむず痒くくすぐったい上に、どこかぞわぞわとした言い表せぬ感覚にミツキは体を震わせながら、心の中で叫んだ。


 ――――とりあえず、はやく、おわってくれ!

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