幕間 先輩の独白

 走る。

 走る。

 走る。


 動悸がうるさいほど早くなり、胸の内から乱暴に叫ぶように叩いていた。

 どうしてこんなにも動揺している? あれはただの劇のはずだ。劇の練習のはずだ。

 それが分かっているにも関わらず、リョウタは胸を抑えて人気のない場所へとしゃがみ込む。目の裏からあの光景が、へばりいて中々離れそうにもなかった。



※※※



 初めてミツキを見たのは退屈で欠伸が十回も出た送別会。


 授業がないのはいいがそれにしたって同じ姿勢のままでいることが苦痛で仕方がなかった。それに、クラス連中と距離が近づけないのもいただけない。まだ肌寒かったから、皆着こんでいるのが不幸中の幸いだった。これで夏だったら目も当てられないことになるな、とリョウタは身震いする。それは寒さから来るものでは決してなかった。


 退屈な司会にテンポの悪い進行。クラス特有の身内ノリばかりで笑いどころの分からない漫才にファッションショー。それに泣いてる誰かや旅行の写真を使った映像作品。


 先輩たちの席からは時折すすり泣く声が聞こえたが、彼にとっては何の感慨もない。知っている人間もいないし、出ていったところで悲しくもなんともなかった。

 俺の時だってきっとそうなるはずだ。誰も俺のために涙を流す様な後輩はいないんだろう。

 びくともしない己の心に退屈から欠伸をこぼしながら、彼は思う。


「リョウタもこっちの席こいよ!」

「そうだよ。こっちで一緒に見よ?」

 挟まった十五分間の休憩の間にクラスメイトが彼を呼ぶ。見ればいくつものパイプ椅子をくっつけて尻同士をくっつけるようにして座っているクラスメイトの姿があった。リョウタのための席のつもりか、女子二人が間を開けて彼をじっと見上げている。

 

 そんなとこ座ったら間違いなく吐くだろうな、俺。


 そう言いかけた言葉をリョウタの体は自然に取り繕う。この笑みをすぐさま出せるようになるまで、三年以上はかかった。

「いや、やめとくわ。俺が前座ったら皆見えないだろうし?」

「出たぞリョウタの高身長自慢!」

「チビの敵め! 股下エッフェル塔!」

「いやあ、スタイルがよくてごめんねぇみんな?」


 自慢げにそう言えばクラスの皆は揃えたような反応を返してくる。まっすぐになんて言わなくていい。おちゃらけて、のらりくらりと分からなくさせらばいい。

 これが最終的にリョウタが出したコミュニケーションの結論だった。


 賑わう体育館内から逃げ出して、外の空気を肺に入れる。まだ冷たさの残る冬の空気が体育館内の濁った空気と入れ替わるように何度も何度も深呼吸を繰り返した。


 人の体温が苦手だ。人肌が苦手だ。密集した時特有の熱気が苦手だ。

 理由なんて明白で、それがどうしようもないことぐらい自分でも良く分かっていた。だから何度も何度も、人から逃げ出すたびに彼は後悔を重ねていく。


 どうして、俺だったのだろう。どうしてあの日、一人で帰ってしまったのだろう。どうして、声を掛けてしまったのか。


 どの「どうして」も考えるだけ仕方のないことだけとしか分からない、空しい問答だった。それでもリョウタは時折、この無意味さを感じたくなる。今さら何をしても、どう考えてもだと自分に教え込むように。

「………戻るか」

 冷たさに身震いしながら、体育館内に戻る。休憩時間ギリギリの内部はもうすでに暗くなろうしているところだった。一番後ろの壁側の席に急いで彼は腰を下す。と、言っても別に演目を楽しみにしていたわけじゃない。

 変に遅れて目立つのも嫌だし、サボれば詮索や追及を受けるだろう。それを避けたかっただけだった。


 皆も同じなのか体育館は暗いにも関わらず一向に静かにならなかった。静かに見よう、邪魔をしないようにしよういう配慮の欠片も感じられない。

 誰かが言う。

「あー次、演劇部かよ」

「俺苦手。寝てるから起こさないで」

「面白くもないしさ、なんか見てると恥ずかしくなんだよね」

 この学園では極々一般的な意見だ。誰も真面目に見ないし見る気も起きない。そこまで酷いものなのだから当たり前だ。


 だからリョウタも目をつぶる気満々だった。少し騒がしい昼寝時間だと、そう思っていた。しかし、司会が鎮めることを諦めて舞台の上を白くスポットライトが切り抜いた瞬間だ。

 円の中に立つのは小柄な生徒。うつらうつらと目を閉じかけながら、見たことがない生徒だなとリョウタは思う。誰かの野次が遠くに聞こえた。

 だが、次の瞬間だ。


「貴様の命を貰い受けるため、俺ははるばるここへ参った!」


 びりびりと腹に響くような大声ではっきりと、その小柄な体からどうその声を出すんだと思わんばかりの声量で。

 小柄な生徒はいつの間にか舞台から消え失せた。いるのはただ、殺気をみなぎらせ鬼を退治しにやって来た一人の若者。


 もう一人が舞台に上がり、言う。

「桃次郎よ、兄の次に食われに来るとは律義な弟よ。やれ、兄のように貴様もぺろりと平らげるとするかのう!」

「……俺は、一度だって貴様たちのことを忘れたことはない」

 すらりと若者が剣を抜く。それの出来がどうかすら、リョウタたちの頭からは抜けていた。


「貴様を許さぬ。生かしてはおかぬ。その血一滴たりともこの世に残してはおけぬ外道の者よ。死んだとて、俺は貴様を逃さぬと思え。この俺に一生怯え火の中魂もろとも灰と化すまで朽ちて、消えて、そして死ね」


 皆が舞台に夢中だった。彼だってそうだった。

 桃次郎の行く末に一喜一憂し涙を流す者もいる中で、時間も忘れて魅入った後は盛大な拍手と共に演者の説明が流れるように行われていく。

 リョウタはその中で「彼」を見つけた。舞台に上がっているとは打って変わって、地味に背景へと融け込んだ一人を。


 如月光希。


 まるで人が変わったように、舞台から消える目立たない男子生徒。彼が桃次郎本人とはとても思えなかったが、舞台を見た興奮がそれを嘘ではないと裏付ける。舞台の上で輝かしく彼が刀を振る様に、リョウタの胸は高鳴っていた。スポットライトを一身に受けて立つその姿は、まるで星のようで。

 人は変われる。ミツキの変わりようを見て、そう言われた気さえした。


 俺も、変われるのだろうか。全く違う誰かに。自分以外に。


 ミツキ、ミツキと口の中で転がしながらリョウタはじっと舞台を見据えていた。



※※※



「……何やってんだ。俺」

 今日は少し会うのが気まずくて、演劇部の部室に行けないでいた。そうしたら体育館の中から劇の声が聞こえてきたのを思わず覗いて今に至る。

 話の内容はつかめていないが、少し見ただけで主要人物がミツキであるということは理解できた。まるで本物の姫のような美しさと苛烈さは流石としか言いようがない。

 けれど問題はその後だった。


 姫が王子と抱き合った瞬間に得も言われぬ感情が沸いてきた。ぐちゃぐちゃとした気持ち悪さと、ない交ぜになった自分への怒り。


 あんなにも簡単にできることが、俺にはできない。

 今日の練習を思い出す。手を繋いだだけで無様に吐いた自分自身。それに比べてあの王子はリョウタとは正反対に姫を、ミツキを抱きしめていて。

 そして舞台から降りた後は、リョウタといる時よりも幾分砕けた表情と態度の彼がいた。


「…………いいな」

 どうしてかそれが無性に羨ましくて、そう考えた自分を惨めに思う。表情の変わらない、小生意気な後輩。舞台の上で全く違う表情を見せる彼の素顔を見たような優越感はものの見事に散っていった。


 当たり前のはずなのに、どうしてか苦しい。手の中に落ちてきた星が、本当はそんなことなく頭の上で燦然と輝いているような。優しさに思い違いをするなと釘を刺された気がした。

 

 リョウタの頭を握った時の小さな手の感触。気遣って背をさすってくれた時の手つきがよぎる。どうして今それを思い出したかは分からない。しかし、それらはリョウタの行き場のない苛立ちとやるせない怒りを加速させるばかりだった。

 音を立てないように後ずさり、焦燥に後押しされるように駆けだす。あんなに夢中だった舞台を、どうしてか今は見ていたくなかった。

 



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