第12話 勇ましき姫君

 そもそも通し練とは。「通し練習」の略である。


 つまり劇の初めから最後まで、ぶっ通しでの練習。舞台上での立ち位置はきちんとしているか。、いわゆる舞台の入退場のタイミングなど、それら含めもろもろ本番に近い形でそれをチェックするのが通し練である。


 もちろん衣装だってそうだ。本番で動けないなんて事態にならないよう、演者はあらかじめ衣装を着た状態でのシュミレーションを欠かさない。


「……これ、本当に俺のですか? 予定じゃもっと地味じゃありませんでしたっけ」

「うんうんうん! 私の見立て通りだ! よく似合ってるぞ姫君!」

「聞いてないし。っていうか無駄に豪華にしないでくださいよ。予算がもったいない」

 しかしミツキは前に着たものより数倍はフリルとレースで膨らんだ衣装を摘まみ上げながら、うんざりとした様子で言った。


 彼が身にまとっているのは安いワンピースを元に布やレースを足して作った紺のドレスだった。動けるように膝少し下でカットされたパニエで膨らんだスカート部分の上を薄い黒のチュールが優雅に揺れ、これまた黒の総レースの袖が見事に肩から手首までを覆っていた。裾には金の星と月の刺繍が施され、裾にもたっぷりとレースが使われている。


 本当に高校演劇の衣装かとツッコミを入れたくなるような本格使用にミツキは呆れ模様だが、メイは非常にいい笑顔で言う。

「これは必要出費だ。月の姫君とあろう方がそこらの量産品に申し訳程度のレースなんてリアリティがないだろう」

「……ただの先輩の趣味じゃないですか? これ」

「何を言う! これは我が部の総意だぞ。総意!」

「どんな総意だよ」

 そうぼやきながらも、メイと奥の衣装係が二人でいっそ清々しいほどの潔よさで親指を立てたので彼はもう何も言わないことにした。


「しかし本当によく似合っているな。どこぞの令嬢と見間違わんばかりだぞ」

「それはどーも。ま、実際は月から地球を侵略に来た総大将ですけどね」

 ミツキはされるがまま、ポニーテールのウイッグにティアラを身に着け、長い髪から落ちないよう固定する。そこにもカグヤ軍のシンボルマークである月が象られていた。

「竹から出た姫君は実は月からの斥候で、地球を侵略するために月の部隊を呼び込んでの大乱闘、でしたね」

「そう。そして王子と一騎打ちの末、お互いを認め合い、月と地球の良好な関係を築くことを約束するんだ」

 新入部員勧誘の際の演劇は堅苦しくなく楽しめるコメディで、シナリオは毎年演劇部員が担当している。基本は部長が筋を書き、部員全員で細かいところを決めていく流れだ。


 かぐや姫を元にした馬鹿馬鹿しくも目を引くストーリーは最後に大きな転機を迎える。

「だが月も地球も姫と王子が通じることを認めず二人を引き裂こうと画策する!」

「ちょっとロミオとジュリエット入ってません?」

「だから姫と王子で結束してお互いの星の偉い者たちをばったばったと倒して平和になってハッピーエンドだ!」

「そこは結婚とかじゃないんですね。結ばれてちゃんちゃん的な」

「色々変わってるのが昨今なんだ。物語だってそこが一辺倒じゃつまらんだろう」

「まあ、いいんじゃないですか。変に悲劇的な終わりより騒がしくて」

 ミツキはそう言って自身の姿を見降ろした。


 自ら斥候として星を離れ、地球に降り立ち時が来るまで騙し続けたかぐや姫。自らの親すら欺くことはどれほど苦しいことなのだろうか。

 ミツキの頭の中で勇ましく戦う彼女の姿がある人物と重なる。今日もきっと、孤軍奮闘している彼の姿と。「理想的な普通の自分」になるべくもがく先輩を。


 彼女は自らの星のために戦う中、戦いを通して王子の内心を知り侵略を覆す。そして最終的に王子と姫は唯一無二の相棒となるのだ。

「……現実もこれくらい分かりやすかったらな」

 戦って、お互いの考えが分かってハッピーエンド。それで解決するくらい現実も楽だったのなら、リョウタもミツキも、に苦しめられずに済んだのだろうか。彼はぼそりとそう言うと舞台へと上がった。


 ミツキは目を閉じる。ミツキという人格は深く深くへと眠るように沈んでいき

「――――よし」

 目を開いた次の瞬間には、彼は彼ではなくなっていた。ひやりとした眼差しに気高さを纏う、しかし苛烈さも同時に混在するかぐや姫。

 そこにもう「ミツキ」はいない。いるのはただ、己の成すべきことを目指す姫君だけだ。



※※※



「どけ王子。どかねば貴様を切らねばならん」

「私は一歩だって下がるわけにはいかない。かぐや姫よ、通りたくば私の骸を踏みつけていくがいい!」

「っ貴様……」

「剣を取れ。選択の時だ」


 練習はつつがなく進んでいき、シーンは王子とかぐや姫の対決シーンへ。

 少し暗くなった舞台をスポットライトに照らされた二人が飛びまわる。特にミツキの衣装は光に当たるたびちかちかと光り、舞うように戦う様も相まって見る者の目をくぎ付けにした。


 王子が力強い動きで剣を振るならば、かぐや姫はしなやかに剣を振るう。見ることを意識して作られた殺陣たてはまるで優雅に踊っているかのようにも見えた。かぐや姫が動くたびに裾はふうわりと揺れ、黒いタイツに包まれた足が小気味いいリズムを刻む。かぐや姫は熱のこもった声で言った。


「王子、王子。なぜお前ほどの男が地球などという星に。お前が月にさえいれば、私はこれ以上なく満たされると言うのに」

「姫。あなたも私も生まれた星など関係なく歩み寄れるはず。我らは同じくものを考え、言葉にできる種族なのだから」

 王子と姫は熱に浮かされるように近づいていく。そして剣を落とし、互いを確かめるようにひしと抱き合い、背中越しに相手の掌を感じる。だがその時、どうしてかミツキの頭にリョウタの手が思い浮かんだ。

 先輩の手の方が、大きかったな。

 ミツキの手を包み込むように、というよりは噛みつくように握られた大きな手。掴まれた強さと必死な顔に思わず跳ねた心臓。


 と、そこまで考えかけて何を考えているんだと考えを散らした。だがその時。がたんっと大きな音が体育館に響く。

「――――っ?」

 思わず顔を上げるミツキ。しかしそこにはほんの少し隙間の空いた体育館の扉があるだけで、何も変わったとなどない。

「………姫。言っても聞かぬなら」

「っええ、強さで証明するしかない」

 彼は即座に演技へと頭を戻す。かぐや姫へと没頭しているうちに、次第にミツキの頭から扉の外のことは消えていった。



「いやあお疲れお疲れ! 流石エース君!」

 練習が終わり舞台から降りれば満面の笑みで部長の彼女は背を叩く。またかと顔を顰めながらも、ミツキは周囲を見渡した。

「あの、誰か来てませんでした?」

「ん? いや確かに音はしたが誰も入ってこなかったぞ」

「そう、ですか」

「大方間違えて入った運動部とかだろう。さてと皆集合だ! 通し練を見ての感想を言ってくぞ」

 ミツキはちらりと扉の隙間を見る。だが思っていた人物はそこにはいない。やがて呼ばれた彼は話し合いの輪へと加わり、誰かが来たのではという疑問は誰の口からも出ることなく薄れていった。



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