第9話 どこまでが駄目ですか?

「というかさ、これからどういう感じで演技ができるようにしていくんだ?」

 迫る昼休み終了のチャイムを前に昼食の後を手早く片付けながらリョウタがミツキに問う。


「理想を演じたいって言ったのは俺だけどさ、別に舞台で演劇やるつもりはさらさらないし。それに――」

「もっと早く、触られた時にごまかせる演技力がほしい。ですか?」

 その言葉の先を引き取るようにミツキが目も合わせないまま口を開く。先に自分の考えを言われたことに驚いたのか、リョウタの声が一瞬詰まる。

 ミツキじゃなくても彼がどこか焦っているのは簡単に分かるだろう。そうでなければわざわざミツキを探し出して追いかけまわしたりなどしないのだ。


「分かりやすいんですよ、先輩は」

「お、おう?」

「というか、そういえば聞いてないことがまだありましたっけ」

 そう言うとミツキは座ったままの姿勢で両手を前に突き出す。リョウタは意味が分からないのか、差し出された彼より一回り小さな手と目の前の顔を交互に見比べていた。

 ミツキが言う。

「それじゃあ、どこまでが駄目なのか教えてください」



※※※



 彼は暗に触れと言っている。

 リョウタにもそれは理解できた。ミツキは確かめるつもりだった。どこまでがよくて、どんなところが嫌なのか。

「今どこまで無理なのか、それをちゃんと確認しておきたいんです」

「……どうしても?」

「どうしても」

「昨日見ただろ。あれじゃ、駄目?」

「俺が知りたいのは現状どこまで大丈夫か、ですよ」

 その言葉にリョウタは思い切り渋い顔になった。あまりの表情の変化に少し吹き出しそうになりながらも、ミツキは危ない危ないとそれを飲み込む。

 晒さない方がいいに決まってる。


 彼はいつも通りの仏頂面の顔を向けて、誘うようにリョウタへと手をプラプラ揺らした。春の陽光に照らされて、日に焼けていない肌がチラチラ光を弾く。

「じゃあ口で説明してください。どこが駄目ですか。感触? それとも温度?」

 リョウタはミツキの話す言葉を黙ってじっと聞いていた。だが無言のまま体はそわそわと動き始めてしまう。


「素肌が駄目なら服越し……いや、昨日は上着越しからでも反応してたか」

「……ッ」

「触る場所は? 腕が駄目なら体の部位の反応は――」

 意地悪、というよりは知的好奇心と言うべきか。つらつらと流れる水のようにミツキの言葉は止まらない。だが、耐えられなくなった彼の唐突な叫びがミツキの声を遮った。


「だあああっ! いいよ分かったよ触ればいいんだろ触れば‼」

「いや、俺はどのくらい大丈夫か分かればいいんで。絶対に触るべきとかでは――」

「それが触れってことだろ⁈」

「先輩ができる範囲を知りたいだけなんですってば。だから無理は」


 ミツキは良く分かっていないようだった。

 目の前の彼が多少の意味ありげな言葉で影響されてしまうくらいには思春期真っ盛りと言うことも、徐々に顔を赤らめていたことも。

 艶やかな黒髪に色白の肌。中性的な印象を抱かせる体躯は傷であるはずの火傷跡すら彼の危うい雰囲気を増長させるアクセサリーになり替わる。

 


 そして内容によっては危うく聞こえる言葉を話すその姿が、同性という壁を取っ払ってしまうくらいには背徳的に見えることを、演者でない自身を忌避する彼は知っているはずがない。

 「なんだかすごく、エロいこと言われてる気がする」なんて。リョウタが悶々とした思いを考えていることも。


 そしてこれらの要因が、一男子高校生の衝動をいかに煽りたてるか彼自身全く分かっていなかった。


 そして、下げられていたミツキの手を彼より大きな手が覆うように掴んだのはリョウタが叫んでからほんの数秒後のことだった。



※※※



「…………」

「ふーっ、ふーっ、ふーっ」

 獣のようだなと、ミツキはぼんやり考える。

 一方的に握られた手は彼の掌を壊さんばかりに強く、燃えるように熱い。体温が低いせいか、ミツキにはその熱さがより顕著に感じられた。


 覆いかぶさるようにリョウタの顔がある。一昨日、もしくは昨日見た人好きのする柔らかい笑みはなりを潜め、目を見開いたまま食いしばった歯の間から唸り声のような呼吸音が静かな部屋に響いていた。

「先輩」

「ふーっ、…………ッ」

「先輩?」

 ほんの少し、ミツキが焦ったように強く彼を呼ぶ。およそ平常には見えない有様だった。額に浮かんだ脂汗が一つ、筋を作って流れていく。


「俺、俺は、できる、大丈夫、大丈夫、大丈夫な、はず――」

 顔色はいつの間にか赤色から青へと変わり、ついには蒼白に彩りを変えていく。

 ぶつぶつと呟く声は誰にも向けられておらず、視線は虚ろだった。焦点が定まらない瞳が迷子の魚のように眼球の中を彷徨っている。

 危険な状態だ。ミツキの頭は目の前の彼を見て即座にそう判断した。


「先輩っ! 分かったんんで、手ぇ、放してっ……」

 だが、手を離そうとしてもがっちりと組み合わさった手はリョウタの力もあり中々振りほどくことができない。そうしている間にも彼はぶつぶつと呟く。


「そうだ、こんな簡単な事なんだ。俺はもう克服して――――っ、う⁈」

 そう呟いたリョウタが笑みを浮かべた瞬間、彼の手がパッとミツキから離される。そしてその手は迷いなく彼自身への口元へと押し当てられると


「…………………吐く」


 顔面蒼白にしたままぽつりと言った。

 その後、今までに出したこともないようなスピードでミツキが彼を男子トイレに押し込んだのは言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る