第8話 理想づくり

「馬鹿オブ馬鹿。もー本当先輩馬鹿」

「そ、そこまで馬鹿馬鹿言わなくてもいいだろ?」

「なんでこの際だから人生丸ごと演じようみたいな気概に飛躍しちゃうんですか」

 リョウタの見せてきた内容は最早「見せたい」ではなく「なりたい」の域だった。つまり「自分がこうだったらな」という理想像である。

「いいですか。先輩がやろうとしてるのはもうむちゃくちゃっていうか人生の創造レベルのことですよ⁈ 分かってます?」

「まあ、こうなりたいなって書いたからな」

「一年でそこまで、って言うかそもそも一生演じるなんて無理な話なんですよ」


 演じる、ということは誰にでもできることだ。けれどそれを一生続けるとなれば話は変わってくる。

「そんなことしたら今の自分が本当なのか演じてるのか段々分からなくなって、ぐしゃぐしゃになる」

 演じている自分と、ただの自分が

 そうなれば待っているのは酷いパニックや混乱だ。自分が分からなくなり、何が好きだったか、今は演じているのかいないのか、その境界がなくなる危険領域。


「第一、そんな状態であんた自分のことちゃんと自分だって思えるんですか」

 演じる時、ミツキはキャラクターの力を借りる。キャラクターの考えること、性格などをとことんまで深く掘り下げてなり切ることで、自信をもったふるまいをすることができるのだ。

 だが、それをするのはキャラクターであってミツキではない。演じる対象がいなければ、ミツキはただのミツキでしかいることができない。

 しかしリョウタがやろうとしているのは演技というより、といった行為に近かった。演技を通してそんなことができるのか、そもそもやって良いことなのか、ミツキには分からなかった。

 言うなれば多重人格。自分であって自分ではない者。自身の中に作り出す他人。


「そんなの負担が大きすぎるし、一生演じ続けるってそんなこと―――」

「やるんだよ」

 けれどリョウタの声ははっきりしたものだった。

「やらなきゃいけない。できなくても、危なくても。俺はこうならなきゃいけない」

「……どうしてそこまで」

「だって、


 平然と、当たり前だとでも言いたげにリョウタは言った。普通はこうだから。こうあるべきだから。そう言いたげな顔。

 どこか狂信めいた言い方にミツキはゾッとしたものを覚えた。

「……先輩は、どうしてそこまで普通になりたいんですか」

「書いてあるだろ。そうなりたいからだ」

 困ったようにリョウタは笑う。彼の言う「普通」にどうしてそこまで執着をするのか。今のミツキには良く分からなかった。


「でも、驚いたよな。ごめん。今、書き直すから」

「いいです」

「え?」

「……いいです。それで。それが先輩の思う理想、っていうか普通なんでしょ」

「え、でも。今駄目って」

「そりゃいきなり第二の人生創りたいって言われたら止めますよ。でもあんたほっといてもやりかねないし、それで嫌なことになっても俺の寝覚めが悪いし」

 それに、聞いてしまったのだ。どう演じたいかも、それに対する強い想いも。自分から逃げ出そうとしたミツキにはリョウタの考えはどうにも他人事には思えず、放っておけなかった。


「こうなったらやってやりますよ。無理のない範囲での、あんたの理想形の演じ方ってやつ」


 話とはとんでもない方向へ飛んでいくものだと、ミツキはリョウタの輝かんばかりの笑みを受けながら思う。初めはただ、触れることを平気に見せるだけの話だったはずなのに、今や彼を理想に演じさせる手伝いをすることになっている。


 ミツキは床に放置されたままのノートを見る。右上がりの特徴的な筆跡で書かれたそれらは、本当にお手本のような順風満帆の人生の理想形だ。

 隙間を入ってきた太陽がミツキが見ているページを照らす。そこには強く書いたのであろう、少し折れてしまったシャープペンシルの芯の欠片に文字の下のへこみがよく見えた。そこはリョウタが「そうなりたいから」と言って指した場所。


 「を手に入れる」


 それが書かれた中心部。それに対する意志の強さを表すように、太く大きな丸で力強く囲まれていた。



※※※



 ノートをミツキが見ていることに気づいたリョウタが気の抜けるような笑みを浮かべて言う。

「俺、こんなんじゃん? 一生彼女とか無理だって思ってたし」

 ちょうどそこは「恋人」と書かれている場所だった。一通りに目を通しながらミツキは言う。

「というか陽キャなのに恋人いないんですね。何人も手玉にとってそうなのに」

「……お前の陽キャへの偏見はどっから来てるんだよ。というか昨日の有様も見ただろ?」


 恋人。そうなればリョウタが肉体的接触、つまり手をつないだりキスをしたりということを求められる機会は増えるだろう。そうなれば増えれば増えるだけ彼の精神的苦痛は増していくことは容易に想像ができた。

「隠すにしても俺だけじゃ限界だと思ってたんだよな。ま、それも今回で解決ってわけだ。いやあ助かった助かった!」

「……そんなに欲しいんですか。彼女」

 反応薄くぶつけられた言葉に彼は面食らったような表情をした。目を少し見開いたままの顔で、彼はどこか不安定なにも感じられる返事を返す。

「え、まあ、うん」

「別に、絶対ってわけでもないのに」

 別に生きていく上で必ず必要なわけでもないだろう、とミツキは続けて言う。

 リョウタが触れられることに嫌悪感を感じているのであれば、そう言った接触を避けて生きていけばいいと感じたのだ。


 恋などやりたい人間がやればいいだけの話。恋愛がイコールで幸せとは限らない。

 囲まれている姿からしたって友人が少ないようには見えないし、恋愛をせずとも仲のいい友人たちとつかず離れずの関係を保っていけばいいのではないか。

 

 しかし、リョウタはミツキの言葉にうーんと一つ唸ってからこう言った。

「正直な話、俺もそんなに興味ないんだ。でも彼女はいた方がいいだろ」

「どうして?」

「だって、なあ。普通の幸せってじゃん」

 当たり前だろとでも言いたげなその言葉を、ミツキは肯定も否定もしなかった。

「そういうもんですか」

「そういうもんだろ」


 アキラが聞いたら「じゃあ普通なんてクソくらえよ」なんて言うんだろうな。

 そんなことを考えながら変わらない表情でミツキはもう一度ノートの中心に目を向ける。

 他の文字とは違い、強く力を込めて書かれた文字。

 まるで刻み付けるかのような筆跡は、目の前の彼が持っている確固たる意志のようだった。

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