第7話 「普通」になりたい

「……じゃあ」

 時間は昼間。二人は手早く昼食を胃に収めると、またあの演劇部部室で顔を突き合わせていた。人気のない部活棟はしんと静まり返り、遠くから生徒たちの賑わいが聞こえてくる。

 二人の前には一冊のノート。床に広げる形で置かれたそれを神妙な顔で見つめながらミツキが切り出す。

「それじゃあ、いまからここに御子柴先輩の」

「リョウタ」

「……御子柴先輩の」

「リョーウーター」

「…………はあ。リョウタ先輩の演技指導、の前に聞きますけど」

 してやったりと言わんばかりの笑顔にため息を吐きながらミツキは続けた。


「と、いうか。演技演技って言いますけど先輩は具体的にどうしたいんです」

「見せかけだけでも触れるようになりたい。つーか、大丈夫そうに見られたい」

「……それなら尚のこと俺じゃなくて病院の方がいいと思うんですけど」

「それは駄目だ!」

「なんでそこそんなに頑ななんですか」

 触れることへの恐怖症が原因であるのならそれを根本から改善するのが一番手っ取り早いだろうとミツキは思うのだが。リョウタは頑として首を縦には振らなかった。


「俺んとこの母親、なんつーか、結構心配性でさ」

「それで大事にしたくないと?」

「そうそう。だって俺が、まあちょっとグレてた時な。一回ぶっ倒れたんだよ。俺が

心配すぎてって」

 それは確かに明かすことに慎重になるのかもしれない、とミツキは思う。そういった恐怖症があるのだと言えばまた倒れかねないと思っているのだろう。


「だからなるべく内密に、俺の力だけでどうにかしたい。それにこういう治療って長いって聞くし」

「長いと問題があるんですか?」

「……まあ、大学デビューまでにはどうにかしたい」

「それはまた何故?」

「一番彼女ができやすいと思ったから!」

「下心丸出しですかあんた」

 結局一番大事なのはそこか、と呆れた顔でリョウタを見た。


 つまりリョウタが在学している期間、一年以内にどうにかしなければいけないらしい。内心そんなことが自分に可能なのかと考えながらも、まあどうにかならずとも先輩が卒業すれば関係ないかという割と最低な結論に落ち着いた。

「で、見せかけだけでもいいから触ったり、触られたりしても平気なように見せたいと」

「おう。できそうか?」

「……やったことはないんで、正直ちょっと」

「頼むよ。俺は『』に見られたいんだ」

 普通に見られたい。馬鹿馬鹿しくも聞こえる言葉だったが、リョウタの表情は至って真剣そのものだ。彼は本心からそう思っているのだろうということは、ミツキが彼を観察しなくとも分かるほどだった。

「……面倒なこと言ってるって、分かってる。でも、このままじゃ駄目なんだ」

 その言葉をミツキは黙って聞いていた。



 演劇とは見せる世界だ。役者が演じ、観客がそれを受け取ることで初めて舞台は完成する。

 笑っているように見せる。怒っているように、泣いているように。見せて、魅せる。受け取り手に舞台の上からどう感じているか、解釈させることができるのが演技だ。


「先輩」

「な、なんだ?」

「書いてください」

「え、え?」

「あるなら、書いてください。先輩の言う普通ってやつを。ここに」

 ミツキはそう言ってノートを指す。そして驚いた表情のままのリョウタに重ねて言った。

「演じるんでしょ。なら、方向性を決めないと」

 ならば、リョウタが言う「普通」も何とかしてそうすればいいのではないだろうか。キャラクターなんて所詮は他人の評価で決まるものだ。本人がいくらクールぶろうと、周囲がピエロだと断ずればその扱いになるように。

 

 ミツキの言葉にリョウタの顔がパッと明るくなる。期待に満ちた表情をしているのは、問題解決の糸口が見えたせいか。

「言っときますけど、先輩のやろうとしてることはハリボテでその場しのぎしようとしてるようなもんです。いくら『触られても大丈夫な普通』に見せた所で根本の解決にはなりませんからね」

「ああ、分かってる!」

 そう答えながらも嬉々としてリョウタはペンを持った。真剣にノートと向き合う彼を見ながらミツキは考える。


 こういうタイプに真正面から向かうなんて面倒なことだと、彼は思う。舞台上での立ち振る舞いなら分かるが、こんな奇妙なことはやったことがない。まともにやったところでうまくいかないのが関の山、最悪逆恨みをされる可能性だってある。

 それなら「やっぱり無理です。ごめんなさい」とでも言ってこの関係自体をなかったことにした方がいいのだろう。


 けれど自分は今こうして教えることを前向きに考え始めている。それは何故か。

 ミツキの頭にはさっき見た不安げなリョウタの姿が思い浮かんでいた。


 ―――このままじゃ駄目なんだ。


 頬の痕に手を触れる。ミツキが自分でいたくないと思ったきっかけを作ったもの。そして、舞台へと導く道しるべとなったもの。


 演技というのは面白いもので、自分なのに自分ではない。自分以外の何者でもなれる。舞台の上でなら、演じていれば、自分を忘れられる。

 ミツキが演じることで自分からの逃げ場を見つけ出したように、リョウタも逃げ場を探しているような気がして、どうにも放っておくという選択肢が出てこなかった。


 リョウタは没頭しているのかノートから顔を上げもしない。無言のままの時間にシャープペンシルの音だけが響いていた。



※※※



 時計の針は十二時十分をさしていた。校舎購買方面から聞こえてくる声はさざ波のように大きく膨らんでは引いていく。春の明るい陽射しとは反対に、部室内は薄暗い。カーテン越しの太陽が最低限の光を落としていた。

 段ボール細工や紙粘土で作った小物など、所狭しと置かれた中で沈黙を破るようにペンが床にあたる音が響く。

 ミツキは目の前で満足そうに伸びをするリョウタを見ながら、ノートに書き込まれたものを見て、一言。


「先輩?」

「書けた! これが俺の思う――――」

「……先輩『触られるのを大丈夫に見せたい』って言ってましたよね?」

「ん? そうだな」

「だから俺、その点で先輩がどう演じたいか。例えば『触られても驚かない』とか『自然に手がつなげる』とか書くと思ってたんですけど」

 ミツキの目の前に置かれたノートには「友達が大勢いる」だの「家族仲も恋も良好!」だの「頼もしい存在」だの。挙句の果てには「普通の幸せを手に入れる! 最低条件!」とまで書かれていて。


「先輩、あのひょっとして。大丈夫に見せるどころか理想形を演じようとか考えてません?」

「おう! この際だしやるならとことん! だよな!」

 にっこりと気持ちのいいほどの笑みを見せられて、ミツキは――――。


「俺が指導できるのは演じ方であって魔改造じゃねーんですよ馬鹿」


 とんでもない厄介ごとを自分から抱え込んでしまったのかもしれない、そう頭を抱えた。


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