第5話 コミュ強先輩の弱点
このキャラクターが起こすであろう行動、言葉、話し方。彼の頭の中には新たな人格があっという間に組みあがっていった。
組みあがってしまえば、後はいつも通り。新しいキャラクターとして話すだけでいい。
それらはミツキが舞台に上がる前、必ずやるルーティーンであった。自身の中にもう一人の人物を作り出し、そこに深く潜る。
彼はまったく別の人物として思考を切り替えた。
「せんぱーい! 先生が呼んでましたよ」
明るく少し高い声。人懐っこく、先輩を慕っている後輩。何だこいつはと言わんばかりの視線の中で、驚いたようにリョウタがミツキを見る。
強い制汗剤の匂いの中ををするりと抜けて、ミツキは目の前のブレザーをひいた。
「呼んでこいって言われたんで。ほら行きますよ」
「え、え、そんなこと」
「呼んでこなかったら怒られるの俺って先輩分かってますよね。いっつもそうやって押し付けるのやめてください。今日は来てもらいますからね」
まあ、この反応が当たり前だ。
目を白黒させるリョウタの袖を引きながら、ミツキは内心でそう考える。しかしそんな先輩を放置して、ミツキはすまなさそうに女子生徒たちに会釈をする。
「すいません、先輩お借りします」
「まあ、センセーじゃしょうがないか」
「またねリョウタ」
にこりとミツキが後輩が浮かべるであろう笑みを見せれば、彼女たちの包囲網はあっけないほど簡単に二人を解放した。
その輪を縫うように抜け出して、ミツキは彼をひいたままどんどん進む。そして彼女たちが完全に見えなくなるように校舎に進み、中の渡り廊下から部室に足を踏み入れ扉を閉めた瞬間。
「は、ぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ…………」
酷く酷く、肺の中の空気が空っぽになるほど長いため息を吐いてその場にしゃがみ込んだのだった。
※※※
「ちょっとミツキ。あんた人に鞄持たせてどこに――」
がらりと続けて部室に入ってきたアキラはうろうろと落ち着きなく周囲を見渡すリョウタに目を丸くする。
「あ、例の先輩じゃん」
「君は……」
「そこにうずくまってる奴の連れです」
そう言うと彼女はさっさとミツキに近づくと、形のいい頭をすこんと叩いた。
「ほら、いつまでうずくまってんの」
「……即興でやるなんて自殺行為だ。二度とやりたくないぞこんなこと……」
ぶつぶつと言い続ける声に先ほどのような張りはなく、それどころか幾分か色が抜け落ちたようにも見える。しかしそんな状態にも慣れているのか、アキラは早く立てと彼をせっついた。
「待たせすぎ」
「――分かってる」
短く答えてからミツキは少し間を開けてリョウタの前に立った。感情の読めない相貌に少し前まで女子生徒に囲まれていた彼は、気圧されるようにが後ろに下がる。
ミツキは改めて息を整え、そして言った。
「……御子柴先輩」
「あ、ああ。悪いな、さっきは助けてもらって」
「演技を教えてほしいって、俺にそう言いましたよね」
その言葉に茶色い髪がこくりと前に揺れる。体格とは裏腹に幼い子供のような素直な仕草だった。
「ひょっとして――――」
期待を持たせるような言い方に、ぱっとリョウタの顔が華やぐ。しかしミツキは淡々と続けて言った。
「それは、さっきのと関係がありますか」
「……さっきの、って?」
「腕を掴まれた時」
その言葉にリョウタの体がこわばるのを黒い両目は見逃さない。
「触られるの、苦手なんですね」
驚愕に見開かれる目を何でもないように見ながらミツキは続ける。
「それは、先輩が演技を教えてほしいって言うのと関係ありますか」
「……っ」
「揶揄いでも罰ゲームでもなく、これが理由?」
その言葉に温度はなかった。同情も心配も、そして面白がる様子もなかった。ただ事実を確認しようとする声色だけが落ちていく。
「……何でもお見通しってわけか」
リョウタの肩からこわばりが解けていく。そして一気に弛緩したらしい体はドアに
背を預けたままずるずると滑り落ちた。
「ああそうだよ。思ってる通りだ。俺は触れられるのが嫌いだ。吐き気すらする」
ぽとりぽとりと落ちていくリョウタの言葉をミツキは黙って聞いていた。
「一年二年のころはどうにか我慢が出来てたんだけどな。ここ最近になってぶり返してきやがった」
「……俺はカウンセラーでも医者でもないです。治療ならちゃんと病院に行くべきでは?」
「余計な心労をかけたくない」
もっともな言い分を食うように彼は答える。先ほどまでとは打って変わり強い光が両目に宿っていた。
「俺はなんとしてでもならなきゃいけないんだよ。普通の幸せってやつに」
「普通、ですか」
言葉ははっきりと力強く、どこか執念にも似た雰囲気を漂わせている。リョウタは深々とミツキに頭を下げ、そして言った。
「頼む。この一年、俺に演技を教えてくれ」
触られても普通に振舞えるように、ばれないための演技。彼の言う「普通」になるために。
部屋に沈黙が落ちる。静まり返った室内に、グラウンドからのはしゃぎ声が徐々にか細くなっていく様が聞き取れる。
茜に染まり始めた部室の中、ミツキは目の前に下げられた茶色の頭をただ無言でじっと眺めていた。
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