第二章

第4話 コミュ強先輩の秘密

「あれ、誰この子?」

「知り合い?」

 ミツキはこちらを見てくる幾多の眼差しに口角を上げ続けた。彼の頭の中では急ピッチで今を演じるための台本が組みあがっていく。

 早くここから離れたい。

 その一心で、ミツキはもう一度目の前のブレザーを引っ張った。

 

 さっきまで逃げ回っていた先輩と何故か共にいる。どうしてそんなおかしなことになってしまったのか。それはほんの少し前のこと。 


 

※※※



「ほらシャキッとしなよ」

 ばしんと遠慮のない激励にミツキは表情の乏しい顔にほんの少し非難の色を浮かべた。けれどアキラはそんなことなどお構いなしで言う。

「さっさと行って答えてくるんでしょ。早めにやった方が後々楽だよ」

「……他人事だと思ってない?」

「だからって私がついてくのもおかしいじゃん」

 ほら、遠くから見とくからさ。と言いながらけらりと笑う彼女を見て、ミツキは覚悟を決めたように前を見据えた。

 目指すは校門。本日、彼の最後の決戦場である。


 時刻は夕方。帰宅部の生徒たちはほとんどいなくなり、運動部の後片付けがグラウンドに目立ち始めたころ。春の空は冬よりもその日暮れを伸ばして、ゆっくりと傾いている最中だった。

 遠目に見える校門。感覚を大きく開けておかれた二つの門柱がミツキには今だけ酷く威圧感を放っているように感じられた。


 落ち着け。落ち着け。ただ話をしてくるだけだ。

 深く息を吸って、吐く。何度も同じことを繰り返す彼の脳内をよぎるのは今日の昼休みの出来事。しつこく演劇部の部室にまで押しかけて来た先輩の「待ってる」と言う言葉。

「………はあ」

 深呼吸の最後はため息で終わった。

 

 一歩、また一歩。それこそ亀の歩みが如く。

「このままの調子じゃ下校時間まで過ぎそうなんだけど?」

 実際彼女が言っていることは正しい。現に彼の歩みは亀だって追い抜かせるほどにゆっくりとしたものだった。しかも校門に近づくにつれて歩幅が狭くなるのだから、目的地に近づけば近づくほど彼の歩みは遅くなる。


「さっさと行けばすぐ終わるって。こんなちまちま歩いてたらもっと怖くなるじゃん」

「う、うん」

「それにさ、先輩だって本当に待ってるか分からないし。いざ行ってみたら遅かったのでやっぱり帰りますってなってるかも」

 確かにそうかもしれない。ミツキから見てもスクールカースト上位に見える彼は、きっと来るかも分からない他人のことなど待てるわけがない。少なくともミツキはそう考えた。恐らく友人に囲まれて待つのなんて馬鹿馬鹿しくなってきっと帰ってしまっただろう。


 思い込みとは面白いもので彼の足取りはすぐに軽くなった。

 幾分かマシになった足取りのまま、彼は着実に校門へと近づいていく。このままいつも通り平穏無事に帰れるものだと信じたまま。

  しかし、校門に近づくにつれてそれが日常とは違うものだと再認識していく。


「あれ、なに」

 まず口を開いたのはアキラだった。校門前の軽い人だかり。だがただそれだけであれば校門前に帰宅前の生徒がたむろしているだけに過ぎない。けれど風に乗って微かに聞こえる声は確かにミツキたちの耳にも届いた。

「いや、今日はちょっと用事がさ」

「えーなんでよ」

「そうだよ。何もないのになんでこんなとこいんのよ」

 男子生徒と、複数の女子生徒の声。その中でも男子生徒の声にミツキは覚えがあった。

「悪い! 今日は本当にマジで無理だからさ」

 部活帰りのせいか少しばかり髪を乱した女子生徒たちが囲むのは、その中でも頭一つ分抜けた背の高い生徒。柔らかい色の茶髪が夕日に染められて少しだけ赤い。


 あいつだ。あいつまだ待ってたんだ。

「ねえ、あんた例の先輩って……」

 あの人じゃない、そう言いかけたアキラの言葉はミツキの耳には上手く届いていなかった。

 どうしよう、まさか本当に待っているなんて。

 思い込みで忘れかけていた冷汗が再び戻ってくる。さっきまではスムーズだった歩みは再び亀のスピードを下回り、ミツキの心臓は焦りで酷く暴れた。


 どうするべきか。彼らがいなくなるのを待つか、それとも彼が彼女たちにつかまっているうちに隣をすり抜ければばれないだろうか。

 浮かんだ二つの考えをミツキは頭を振って散らした。

 どちらもいい判断とは決して言えない。それにアキラの言う通り、いつまでも逃げ回るのも面倒だ。遅かれ早かれ、あの先輩には話さなくてはいけない。なら、今のうちに。


 しかしそう考えをまとめるまでの間、ミツキはふとあることに気づく。

「なんか、さ」

 アキラの言葉にミツキも頷く。

 どうにも様子がおかしい。

 人だかりの中心人物である彼は確かに笑っていた。だが、その手は硬く組まれ決して腕を離そうとしない。

 極めつけはその顔色だった。うっすらと青ざめているように見える表情はとてもじゃないが友人と仲良く談笑しているといった風には見えなかった。

「ねえ、ちょっとあの人具合でも悪いんじゃ」

 アキラがそう言いかけた時、女子生徒の一人が煮え切らない彼に行動を起こした。

「いいじゃん。ちょっとくらい。こんなに待っても来ないならすっぽかされてるって」

「もう一緒に帰っちゃおうよ!」

 彼女はただ彼の腕を掴んで軽く引いただけ。少なくともミツキたちの目にはそう映った。けれどたったそれだけに見える行為に、リョウタの体が確かに

 

 軽く見開いた目に、震え。後ろに引いた足。そのどれもが小さく些細なものだ。いきなり触れられて驚いたと周りは解釈するだろう。

 けれど、ミツキは確信していた。表情が乏しく、演劇のために周囲を観察する彼だからこそ他者の感情には敏感だった。


 あれは間違いなく、そしての感情。


「ごめん。鞄見てて」

「え?」

 彼女が聞き返すまでもなく彼はまっすぐに集団の中へ走って行く。今にも緊張で爆発しそうな心臓は、役に入って行くうちにすっと静まっていった。

 自分ができなくても、自分でない誰かならミツキは行動を起こすことができた。


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