第1話 コミュ強先輩が諦めません

 四角くまとまった教室からチャイムを合図にどっと生徒たちが溢れ出していく。各々同じデザインの紺のブレザーを纏った状態の彼らの中には談笑して歩いていくか者もいれば、鬼気迫る表情で財布を握りしめて走り抜けていく者もいた。


 しかしその中を黒髪の生徒が急いで走り抜けていく。彼には別段購買に行く予定も、急ぎの用事もなかった。だが、彼は走らなければならない。


「だーかーらっ! 話くらい聞いてくれたっていいだろ?」


 元凶である茶髪の男子生徒が早足で歩きながら後ろから声を掛けてきた。

 まだ来るのか、しつこい奴め。

 そう思いながら黒髪は尚のこと振り切るように足を早める。しかし、茶髪は平然と彼に着いてきていた。途中途中で茶髪に掛けられる「どうしたん?」「なに下級生追い回してんだよ」といった笑い交じりの声に黒髪は舌打ちをしたくなった。

 どうして俺が狙われるんだ。

 そう思いながら黒髪は追ってくる人間をちらりと見た。

 

 適度に外されたボタンと緩められたネクタイに、今年上がったばかりの三年を示す赤いラインの上履き。茶髪の男は走っているとも言えない大股でずいずいと前に進みながら、へらりと笑って話し続ける。


「本当に俺そんな悪いことしねえって。別に取って食いもしないし――」

 警戒を解こうと躍起なのだろう。茶髪の声は実に朗らかだった。だが、黒髪の生徒はそんなことは関係ないと言わんばかりに硬い声で答える。


「絶対に嫌です。お断りします」


 茶髪とは反対にきっちりと着こなされた制服。男子生徒の平均よりは少しだけ長い髪が彼が走る動きに合わせて揺れていた。

「なあ少しくらい止まってくれても」

「嫌です。陽キャの頼みなんて裏があるに決まってますんで」

「陽キャへの偏見がすごいなお前⁈」

 二年に上がったことを示す青い上履きは忙しなく廊下を蹴って進んでいく。黒髪の物言いに面食らったように茶髪が目を剥いた。

 

「先輩もどうせのくせに」

「……は? いや、お前誤解してるって!」

 良く言うよ。人をからかって遊びたいだけのくせに。

 焦った声を上げる茶髪の先輩に黒髪は冷めた視線を送る。彼らのような人種がどのようなことを考えているかなど、黒髪には良く分かっていた。


 外で活動しないせいで日に焼けていない生白い肌に、輪郭をはっきりと浮かばせる右頬の火傷痕。そして不愛想な、表情の変わらない顔。

 茶髪の視線が頬に向けられていることを感じながら、黒髪は辟易したようにため息を吐く。 


「知ってますよ。を崩したら勝ちとか、そんなやつ。俺、そう言うの大っ嫌いなんで」


 そう言いながら黒い両目が茶髪をきつく睨みつける。はっきりとした拒絶の言葉に、さすがの茶髪もたじろいだようだった。しめたと言わんばかりに黒髪は畳みかける。

「だからお断りします。面白半分で揶揄われるの追いかけられるのも迷惑なんで。分かったらさっさと―――」

 突き放す様な硬い声が茶髪へと凶器のように向ける。分かったら早く自分の教室へ帰れ。言外にそう告げている態度を前面に押し出しながら。しかし。


「一年にして主役を張る大抜擢をされた演劇部のエース」


 茶髪の言葉に、黒髪の肩がびくりと跳ねた。

「あんただろ。うちの演劇部を持ち直した如月光希きさらぎみつきってのは」

 なんで、俺の名前を。

 ミツキと呼ばれた黒髪はほんの少し足を緩め、伺うように茶髪の顔をまじまじと見た。

「……なんで?」

「三年の送別会。出てただろ。演劇部。出演者の紹介もあったし」

 卒業する三年生を送り出すために行われる催し事。例年通り、今年の二月に開催されたそれのことを指しながら茶髪はにっと人好きのする笑みを浮かべた。

 たどり着いてしまった校舎北側階段の踊り場の中、二人の足はいつの間にか止まっていた。



※※※



 ちゃんと話せるようになったと踏んだのだろう。茶髪はミツキに向き直って口を開く。

「俺は三年の御子柴みこしば御子柴涼太みこしばりょうただ」

 こんな追いかけまわすつもりじゃなかったんだけどな、と彼は頬を掻く。

「怖がらせたなら謝るよ。でも、あんた教室で呼ばれてるって気づくなりすげえスピードで飛び出していくからさ」

 その言葉にミツキはどこかバツが悪そうに俯く。彼が言った通り、何も聞かずに飛び出したのは事実だったからだ。

「う。いやでも、陽キャが俺に何か頼み事するなんて碌なことがないし……」

「少なくともあんたが思ってるようなことじゃねえってのは確かだよ」

「じゃあ、なんの用なんです」


 罰ゲームでもないのに、今日が初対面なのに、ここまで必死に追いかけてきたのはどうして。

 そう言いたげなミツキの視線に何故かリョウタは周囲をちらりと見渡し、誰もいないことを確認してから口を開いた。


「あんたの演技、見たよ。すごかった」

「そ、それは、どうも……?」

「うちの演劇部の劇に夢中になるなんてな。思ってもみなかった」

 次に狼狽えるのはミツキの番だった。まっすぐに向けられる称賛の言葉を真正面に受けながら彼の小柄な体が所在なさげに揺れる。


「それを見込んで、頼みがある」

 リョウタは真剣な眼差しを向けながら続けた。まるで射貫くかのような圧にミツキの上履きの踵が壁にぶつかりこつんと音を立てる。

 そんな些細な音さえ大きく聞こえる静まり返った踊り場で、リョウタはもう一段階声を潜めてこう言った。


「俺に、!」

「……………………は?」


 それはミツキの想像を斜め上へと飛び越えていく酷く奇妙な申し出だった。

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