第5話
やがて時計は、夜の7時を回る。
ネバーランドの門は閉じ、新規の入場はできなくなる。
が、作業員や従業員の仕事が終わる事はない。
パーク内にいる客や、パーク内のホテルに宿泊している客は、引き続きアトラクションや各種施設を利用できる。
………客からすれば素晴らしいサービスだろうが、従業員達からすれば休みのない24時間労働だ。
全ての客がいなくなれば就寝にありつけるのだが、その次に待っているのは開場準備。
結局、ほとんど眠る事すら許されず、次の仕事が始まる。
「………はあ」
「どうしました?スカーレットさん」
「いや、あれって世界の縮図よねって」
本社ビルにいるスカーレットが、眼下のパーク内で無邪気に騒いでいる大学生グループを、冷ややかな目で見下して吐き捨てた。
きっと彼等は、自分達の思い出や楽しい時間が、社会的な弱者を搾取する事で成り立っているとは思わないだろう。
そして、勝ち組故にそれに気付く事は永遠になく、何の罪悪感も持たずに見えない弱者から富を搾取し続けるのだ。
予告状に記された運命の時は、刻一刻と近付いている。
アズマとスカーレットは、会長室でモリタと共に怪盗ウォッカが現れる時を今か今かと待ち構えている。
その様子はドローンを通して、動画サイトにリアルタイムで配信されている。
今回ばかりは、スカーレットもコメントを見る気にはなれなかった。
どうせ罵詈雑言が書き込まれていたというのもあるが、宿敵である怪盗ウォッカとの対決を前に浮き足立つ気分にはどうしてもなれなかったからだ。
「というか………怪盗ウォッカが来るなら、一旦お客さんをパークから出した方がよくありませんか?」
「むっ、何故そう思うかね!?」
だから、こんな事態だというのにモリタがネバーランドを通常営業させている事が、あり得なかった。
「木を隠すなら森の中、怪盗ウォッカは客に紛れてパークに侵入してる可能性だってあるんですよ?」
「だがお客様を追い出すワケにはいかんだろう!なんせ彼等は君達の対決の見物人なのだから!がははは!!」
どこまで愚かな人間なんだ。
と、出かかった言葉をスカーレットはなんとか抑えた。
モリタは、自分の財産が狙われているというのに、事件の対策よりもこれを金儲けの手段にする事しか考えていないのだ。
骨の髄まで資本主義に染まった男を前に、スカーレットはこれ以上何も言わなかった。
言っても無駄だと思ったからだ。
せめて、決着がつく前から自分が勝ち誇るのは、敗北の付箋だという事ぐらい、サブカルチャーを扱う遊園地の支配人としては知っておいてくれ。
と、スカーレットは頭の中でぼやいた。
………………
彼女は、日本人の無関心さと鈍さには心底呆れていた。
だが、こうして綺麗な水でシャワーを浴びれる事に関しては、日本という国は評価できると感じていた。
暖かいお湯で濡れた黒髪。
青いメッシュが、照明の光を反射してキラキラと輝いている。
そしてその胸には………まるで寄生するかのごとく、白い肌に黒い根を食い込ませた、青い宝石のような「それ」が。
名を「ドッペルゲンガー」と言う。
マジックアイテムとして扱われた、その寄生モンスターのような「いきもの」が、宿主として彼女を選んだ理由。
それを語るには、今から10年ほどまで、時を遡る必要がある………
………彼女が産まれたのは、貧しい国だった。
上部だけが綺麗な、張りぼての先進国。
それが、自国民を含めた世間からの評価であった。
とっくに経済も国家も破綻しているにも関わらず、政治家や上流階級は富を独占して贅沢を尽くしていた。
金と権力が物を言う苛烈な競争社会で心を病んだ国民は、無気力な廃人になるか、犯罪に手を染めるかの二択を迫られる。
そんな、地獄のような国。
それが………彼女の祖国である。
彼女の持つ美貌もまた、生まれ持った物ではない。
彼女の国では、貧乏人と不細工は人間扱いすらされない。
故に、生まれ持った顔を整形してでも、美貌を手に入れる必要があった。
少しでも、人間らしい生活を送る為に。
それでも、地方の農家の出である彼女が選べたのは金持ちのペットであった。
上記のように貧乏人は人間扱いすらされないので、思えば美貌を手にいれた所でこうなるのが関の山だったのかも知れない。
ペット時代の時の事を思い出す度に、彼女は恐怖と怒りで震える。
なんせ、
身体を蹂躙された事など何度もあった。
暴力なんて日常茶飯事だった。
運良く自分は生き残ったが、金持ちの娯楽として殺された人々を何人も見てきた。
ある者は、猛獣のいる檻に放り込まれて食い殺された。
ある者は、実弾の射撃の的にされて蜂の巣になって死んだ。
ある者は、生きたまま解剖されて泣き叫びながら息耐えた。
そこに正義など、一欠片もなかった。
地獄のような日々であったが、誰も助けてくれなかった。
彼女を所有した金持ちが、整った顔立ちのイケメンだった事もあるのだろう。
その残虐な異常性癖の一部が流出したとしても、メディアも世の女性も「胸キュンドSイケメン王子」等と称して持ち上げ、彼に殺された人々やその家族の嘆きを踏みにじった。
そして資本に牛耳られた国で警察や道徳正義が働くハズもなく、彼女は毎日を死なないように過ごすので精一杯だった。
何処かへ逃げる事もままならず、殺される
しかし、とうとう彼女の番は来てしまった。
飼い主と、他の金持ちがギャラリーとして見守る中、彼女は惨劇のステージに立たされた。
彼女を殺すショーの為に、金持ちが用意した物。
それが、本来なら政府の厳重な管理の元にあるべき所を、お得意の買収によって私物化したマジックアイテム「ドッペルゲンガー」だった。
ドッペルゲンガーは、外観こそ青い宝石のような見た目をしている。
だがその実態は生物………つまりモンスターであり、他の生物に取りつき、寄生する性質を持っていた。
この際、ドッペルゲンガーの持つ膨大な魔力が身体に流れ込むのだが、多くの場合それに耐えられず、破裂して血と臓物を撒き散らしながら死んでしまう。
その様が気に入っているらしく、これで殺された人々は何人もいた。
そして、その中に彼女も名を連ねる………ハズだった。
今まで、彼女を見捨て裏切り続けた運命の女神様は、ここにきてようやく彼女の味方をした。
彼女はドッペルゲンガーの持つ膨大な魔力に耐えきり、共生に成功したのだ。
そして………ドッペルゲンガーの力を得た彼女により、金持ち達がそれまでの殺戮のツケを自らの命で支払う事になったのは、言う間でもない。
………………
シャワーを終えた彼女は、火照った身体を夜風で冷ましていた。
ここは、とある民宿の一部屋。
海に面したこの宿は、海を一望できる立地から人気………だった。
彼女の視線の先にある、海原にどんと現れた不純物=ネバーランドが、その景観を台無しにしてしまっている。
同時に、ネバーランド内のホテルに客を取られてしまっており、この民宿も近い内に店を畳むらしい。
「では………行くとしようか」
空いたシャツの谷間。
彼女の胸に深く根差したドッペルゲンガーが、ボウッと怪しく光る。
直に彼女は、冷気のような魔力に包まれ、その姿を変えてゆく。
………ドッペルゲンガーの名が示す通り、その持った能力というのは「
有機物無機物に限らず、彼女が見た物触れた物を寸分違わず複製する事が出きるのだ。
しかも、一度コピーした物は何度でも呼び出す事ができるというから驚きだ。
そして、その能力を応用すれば………スカーレットやアズマのようなテイカーの真似をして「変身」も出来るのである。
「
彼女は変わった。
夜の闇を、冷たい風となった「怪盗ウォッカ」が駆け抜ける。
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