43▷三十二歳 弓月一日 - 1
主神像を新たな聖教会へとお迎えする『
まだ夜も明けやらぬ仄暗い聖堂に、私達は改築工事後初めて足を踏み入れた。
高い天井は待合の部屋で想像はしていたが、規則正しく並んだ柱の上には彫刻が施されている。
それは神典に肖ったものであり、主神が大地に生み出した様々な命……あらゆる植物や鳥達、動物達、魚達の彫刻が柱上部の壁に躍動的に飾り付けられていた。
そして驚いたことに聖堂と待合の部屋、廊下を区切っていた壁が衛兵達の手でするすると動かされ、とんでもない広さの空間になった。
待合の部屋から司書室に向かう階段は今日の儀式が終わるまで閉じられて、地下に降りることはできない。
動かされた壁が左右の小部屋まで迫っているので、それぞれの部屋へ入ることもできなくなっている。
セラフィラント、カタエレリエラへの越領門の部屋は鍵がかけられて、王都への越領門の部屋だけが行き来できるようになっているという。
「ここまで広々とした空間は……皇宮の式典の間に匹敵しますねぇ……」
「まこと、第一位聖教会に相応しい
二階部分より少し低い位置に窓が並び、天光が差せば聖堂の中まで光が入るのだろう。
その窓の近くは手摺りのような柵の付いた足場があり、衛兵達が準備をしている……あ、タクトさんだ。
窓の開け閉めだろうか?
確か主神像が運び込まれるまでは、聖堂内は聖神司祭様方のいらっしゃる祭壇付近以外は真っ暗だとテルウェスト神司祭が仰有っていた。
だけど……タクトさんに、なんで窓の開閉などという雑事を?
そのようなことこそ、私達神務士がやるべきではないのだろうかと思いつつ、任された準備を整えていく。
祭壇にはまだ主神像が戻っていないので、
その台座を挟み、左右に腰掛けていらっしゃる方々が聖神司祭様だ。
暗くてお姿ははっきり見えないが、かえって緊張しなくていい。
椅子も机も、広場にはまだ運び込まれていない。
今日は大勢の方がいらっしゃるから、明日になったら入れられるのだろう。
この広々とした空間も、今日限りだからよく見ておこう。
あ……気付かなかったけど聖神司祭様方の後ろから私達に方に向かって、衛兵隊の方々がいらっしゃる。
シュレミスがやたら凝視しているのは、そのせいか……セラフィエムス卿やリヴェラリム副長官のお姿もあるからだな。
聖神司祭様方を見つめるよりは、まだ気安く感じているのかもしれない。
私ですら『同じシュリィイーレに暮らしている』というだけで、随分と近しく思っているのだから。
「え、私達は……この位置なのですか?」
不意に聞こえたレトリノの声に振り返る。
「そうですよ、祭壇と町の方々の間ですね。あなた達より前に入らないように、ちゃんと境域が張られていますから押されたりする心配はありませんよ」
「いえっ、その心配ではなく……私達が、主神像の正面ではないですか! しかも、最前で!」
一瞬で私の頭の中が真っ白になった。
こんな、最も主神のお近くで、儀式の全てを余すことなく目に入れられる場所の……一番前っ?
シュレミスも、口をあんぐりと開けて立ち止まったままだ。
だが、ラトリエンス神官に『はい、この位置ですよ』と案内され、私の位置は真ん中……!
主神像真ん前で、互いに両手を広げてもぶつからないくらい離れて、右側にシュレミス、左側にレトリノが立つ。
左右のふたりもほぼ正面なのは変わらないので、顔は引き攣ったままだ。
ど、ど、どうしよう、足が震えてきた……
若干放心しているような私達の後ろで、ざわざわと声や足音が聞こえる。
窓から天光の光が差し込んでいるからさっきよりは明るいが、儀式が始まると閉められてしまうからそれまでに町の方々が入ってくるのだ。
振り返れないが、かなり大勢の方々がいらしていることは解る。
ああ、胸の鼓動がやたら速いし煩くて堪らない。
窓から差し込んでいた光が、消えた。
聖堂に闇が広がり、人々の声が止むと祭壇の周りだけがぼんやりと……薄い緑色の光に包まれる。
この色はシュリィイーレ聖神司祭様のおふたりが、賢神二位の加護だからだ。
いつの間にか全員立ち上がられていた聖神司祭様方が、主神像の台座に向かって低く小さい声で祝詞を唱え始めた。
少しずつ大きな声になっていく祝福の祈りに、人々の想いが重なっていくようだ。
私の背の後ろ側からも、暖かい波のような魔力の流れを感じる。
その後に続くように神官の皆様の声が聞こえて、すぅ、と空気の流れに促されるように……声が出た。
幾度も繰り返した神々への感謝と明日への祈りの言葉。
私達の声が、聖神司祭様と神官の皆様と重なって、大きく、心地よく聖堂全体に響く。
身体から重さが消えて、ふわりと浮き上がるかのような感覚を覚える。
そして声が同時に途切れて祈りが大気に溶け込むと、またゆっくりと全て明かりが消えて……
突然、全ての壁と天井、そして足元までが星空になった。
まるで……遊文館の屋上のように、夜空に抱かれるかのような……本当に、飛んでいるのではないかと錯覚する。
聖神司祭様方だけでなく衛兵隊員達も、勿論神官の皆様も信じられないと言うような表情で天を仰ぎ足元を確かめる。
後ろにいる町の方々からは、感嘆の声や溜息も漏れているようだ。
煌めき揺れる星は神々の瞳の色。
ゆっくりと全ての星が動き出して、時折流れる光に子供達の声が上がる。
多くの子達が来てくれているのだ。
夜の子供達も……いるだろうか。
星はどんどんと動きを速く、激しくして、天を、聖堂中を走る。
それらの光の全てが集まりだし、大きなひとつの球となって頭上で眩しく輝く。
光の球がまるで雷光のように激しく、主神像の台座に向かって暗闇を切り裂き祭壇へと鋭く突き刺さるかのように注がれた。
突然の真っ白な、眩しい光に全てが包まれる。
思わず閉じた目を見開いた時に……今まで何もなかった台座の上に、全ての意識が集中する。
主神のお姿があった。
息を吞む。
何度か瞬きをする。
じわり、と胸の中に湧き上がる、この感動をどう表現したらいいのだろう!
人々の大歓声と一緒に、思わず私も声が出た。
自分の声に驚いて慌てて口を噤んでしまったが、レトリノとシュレミスは……叫び続けていた。
あ、ミオトレールス神官とヨシュルス神官もだ。
主神のお姿は、天光の光の中で輝いている。
……天光?
上を見るといつの間にか全ての窓の板戸が完全に開けられて……主神の遙か上の……屋根までもが開いている!
私の位置だから見えるのだろう、主神の真上には蒼い空。
天の光の全てが、聖堂の中に注がれているかのような煌めき。
この聖教会に降臨された主神が、この教会と町の全てを祝福しているとしか思えない。
ふと、目の端に入ったタクトさんの満足げな笑顔。
まさか……この感動的な全てが、タクトさんの言っていた『演出』……?
いや、いやいやいや。
確かに窓の開閉や、天井の細工はあったかもしれないし、星空も魔法でお作りなのかもしれないが……天光の燦めきやあの降り注ぐ光は、いくら魔法に長けていらっしゃるといってもできるものではあるまい。
つまり……タクトさんに……神々がお力を貸した……と?
神々でさえお認めになった『演出』ということなのか!
その時一瞬、心を
慌てて否定しようとしても、沸き上がってしまった気持ちに自分で怖ろしくなった。
……タクトさんのすることを、神々が祝福しお認めになっているのだろうとは……思っている。
だが、それは本当に『タクトさんの意思』なのだろうか。
タクトさんの身体と心を……神々が操って、そうさせているのではないのだろうか。
それほどまでに……タクトさんのなさることは、私には全てが奇蹟に思える。
もし、もし万一、神々の意志の通りにタクトさんが動いているのだとしたら……本当のタクトさんの想いというのは……何処にあるのだろう……
いつの間にか姿を消してしまったタクトさんのいた場所を、私はただ見つめていた。
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『カリグラファーの美文字異世界生活』第760話とリンクしております
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