37▷三十二歳 繊月二十日 - 昼1

「いやいや、どうもお疲れ様でした」


 明るくそう仰有るタクトさんに、誰も応えることができなかった。

 地下で野菜や茸をお作りになるという不思議な光景と、書庫の広さだけでなくその蔵書量にも圧倒され、私達はぐったりとしていたのだ。


 何もかもが想像以上、想定外、何処をどう質問していいか私など全く思いつかないほど。

 しかも、まだここに在るものが全てではなく、これからも本は運ばれてくるのだと聞いた時には目眩がした。


 ひと休みしましょう、とタクトさんが用意してくださった珈琲牛乳と木の実の入った、口に入れるとサクサクホロホロと崩れる焼き菓子は絶品だった。

 シュレミスもレトリノも、そして私も声など全く出せないほどに『驚き疲れ』していたのに、焼き菓子を口に入れる手は止まらなかった。

 ようやくひと息吐いた時に、テルウェスト神司祭が呟く。


「……いろいろ、衝撃的でございました……」

 途端に、皆さんも元気を取り戻したのかタクトさんに色々と尋ね始めた。

 まずはラトリエンス神官だ。


「タクト様、あの甘藍は魔法で育てていらっしゃるのですよね?」

「えーと、魔法に頼るのは早く育てるためという時だけで……基本的には温度と日照の調整だけですよ」


 甘藍そのものに魔法はかけておらず、あくまで周りの環境を整えるために魔法をお使いなのか。

 ガルーレン神官も、この広さのことがお気にかかっているようだった。


「全部おひとりで管理していらっしゃるのですよね?」

「そうですねぇ、今は俺の魔法と技能でしかここの環境が維持できないので」


 そうだろう。

 なにせ、タクトさんだけの、加護による神聖魔法なのだから。

 あれ?

 ……今は?


「……『今は』でございますか?」

 アルフアス神官も同じ点を疑問に思われたらしい。

「はい。全てではありませんけど、ある程度なら俺の魔法がなくても技術があれば整備できるものなんで……それが確立できたら、俺以外の人の魔法や技能でもこのやり方はできるんですよ」


 そうだったのか!

 では、ニファレントでは神聖魔法に頼ることなく、大勢の人々がこのように収穫を増やしていたのかもしれない。

 そしてその技術や技能がまだ整っていないから、タクトさんはご自身の魔法で代替しているのだろう。


 聖魔法と同様に、神聖魔法もその町のために使われるべき魔法だ。

 だが、その聖魔法師を公にすることはできないから、こんな風に秘密の部屋を作って移動できる者を制限していらっしゃるのだ。


「このような地下栽培が可能であれば、確かにこのシュリィイーレでは大きな助けになりますね……!」

「冬場は何も入って来ませんからね。少しだけでも、助けになると思うんですよ」


 タクトさんの言葉に全員が温かい気持ちになり、場の空気が和らぐ。

 その時に、ふと……タクトさんの後ろに視線が向いた。

 丸い形の硝子の壺のような……中は水、だろうか?


「あの……この部屋の隅にございます、あの水の中のものは……?」


 ちょっと関係ないかもしれない……と思いつつも、つい尋ねてしまった。

 だけどタクトさんは水槽の近くまで私達を呼び、中を見せてくださる。

 中には石?

 いや……貝、かな?


「あ、あれは、真珠貝……でございますか!」

 えええっ?

 シュレミスの言葉に、私とレトリノは思わずシュレミスに向き直った。

 真珠貝なんて……皇国だけでなく、どの国でも『宝玉の貝』と呼ばれる特別なものだ。


「そういえば、タクト様はイスグロリエスト大綬章報奨の真珠貝をお育てでしたね。この地下でも、生きていられるのですね……」

 テルウェスト神司祭の言葉に、シュレミスが更に驚きの表情になって呟く。

 ……「それが皇国随一の受賞者への褒賞……?」

 他国では信じられない、とんでもない『贈り物』だ。

 海のない場所でも育てられる魔法があると解っていなければ、そんな褒賞はあり得ない。

 そんな私達の思いを軽く飛び越えるような、タクトさんの言葉が届く。


「環境は整えていますけど、本物の天光が差さないとどうなるかを、俺の部屋の窓辺においているものと比べようかと思いまして。あ、テルウェスト神司祭に差し上げた『青真珠』は、実は俺の部屋の貝から採れたものなんですよ。色々な魔法をかけ続けて育てたら、凄く早く真珠を作ってくれて」


 ……全員が固まってしまった。

 やはり、育てているだけでなく既に真珠ができあがっていたのだ。

 しかも青真珠とは!


 私は伝承の中だけでしか知らないものだったから、テルウェスト神司祭の釦飾りを拝見した時はとんでもなく驚いたものだ。

 青真珠の伝承は、読んであげると子供達も喜ぶ美しい物語だ。

 でも……貝の中の真珠を育てるだけでも素晴らしい魔法なのだが、そんな希少な貝があるなんて……あ、でも、もしかして……タクト様の魔法で色が変わるとか?


「タクト様、その青真珠を作る魔法とは……特別なものなのですか?」

 テルウェスト神司祭も不思議に思われたのだろう。

 でも、タクト様は色はご自身の魔法ではないだろう、と仰有る。


「真珠が巻き上がるのを早める効果がどの魔法にあったかは……ちょっとよく解らないんですけど、真珠の色については青属性の『湧泉の方陣』の水を使ったことが要因のひとつだと思うんですよ」

「では、真珠に属性魔法の色相が反映されているということですか?」

「海のものって、魔法の加減などによって不思議な生育をするんですよね。個体によって吸収できる魔力も違うみたいですし、どの貝でも青くなると言う訳ではないみたいです」


 テルウェスト神司祭だけでなく、私達全員がとんでもなく驚いた顔をしていたと思う。

 もうそんなことまでお解りになっているなんて!

 育成に必要な魔法もだが、色を決定することが色相属性に関わることなど真珠の産地であるカタエレリエラご出身のテルウェスト神司祭が驚愕しているのだから、長い皇国の歴史でも誰も辿り着いていない真実だったのかもしれない。


「それにしたって、あんなに真球に近い歪みのない真珠ができたのも不思議で……」

 そうだ、あれは私も素晴らしいと……何百と真珠貝があってもひとつ採れるかどうかと言うくらい……


「あ、それは核に『真球』に近いものを埋め込んだせいですね。たしか、帆立という貝の貝殻で作った球を、埋め込んだものだったはずです」

「えええっ? 貝に何かを埋め込む……?」

「はい。俺の生まれた国では、世界に先駆けてそのような方法で真珠養殖を……」


 ああ!

 やはり全て、魔導帝国の技術と魔法なのだ!

 タクトさんはその全てを皇国に伝え、残していくために神々から遣わされたのかもしれない。

 皆様が口々に、流石にニファレントの技術は素晴らしいと語り合い、私も感動で胸がいっぱいだった。

 今、こうしてその魔法を目の当たりにできる私達は、なんと幸運なのだろう!



 私達は興奮のまま、秘密部屋の見学を終えて遊文館の前室へと移動した。

 これで私達は遊文館の全てを見て、ニファレントの叡智に触れることができたのだ。

 このままもう少しタクトさんと一緒に居たいと思っていたのは……どうやら、私だけではなかったようでシュレミスが声をかけた。

 だがお引き留めした後に、ここで大きな声を出してはならないと思ったのだろう、タクト様の耳の近くで小声で話す。


 ……「あの部屋は……セラフィエムス卿も……?」

 よく聞き取れなかったが、他の方もあの秘密をご存知なのかを聞いているのだろう。

 タクトさんもシュレミスに合わせて、声を抑えてお答えになる。


「あの場所は今まで俺以外のどなたも案内したことはありません。皆さんが初めて、です。もう少ししたら……ビィクティアムさん達にもお見せする予定ですけどね」

「そうだったのですかっ!」


 シュレミス、声の大きさが戻っているぞ。

 だけど嬉しいのは私もだ。

 初めて秘密を打ち明けていただけたのが、自分達であったことはタクトさんから『信頼』を得ているということなのだから。


 レトリノもつい大袈裟に喜んでしまい、焦って周りを見回す。

 そんなレトリノに、タクトさんは何かを思い出したように声をお掛けになった。

 どうやら……レトリノの妹さんに失礼をしてしまったと思っていらしたようだった。

 恐縮するレトリノは、少しだけほっとしているようだったので、やはりタクトさんの機嫌が悪くなっていないか不安だったのだろう。


「あの後は、何かお話しされなかったのですか?」

 タクトさんの問いに、レトリノは少し困ったような顔を見せる。

「はい……あいつ、すぐに職探しに行ってしまって。その後は……まだ連絡が来ないので、仕事探しの最中かと思い、連絡をしていないのです」

「そうだったんですか。お仕事が早く見つかるといいんですけど、今まではどのような?」

「ファルスという町で染料工房にいたのですが、あいつはあまりそこの仕事が好きじゃなかったみたいで……今は何をしたいのか……」


 そうだったのか……それでは、暫くは会えないだろうなぁ。

 少し残念だが、仕事を見つけるというのは大変なことだから仕方あるまい。


「あ、お兄さま……」


 その時、タクトさんのほぼ真後ろから声がした。

 私はその姿がタクトさんの陰になっていてよく見えなかったのだが、レトリノが途轍もなく驚いた顔をしている。

 今『お兄さま』と聞こえたから……この方が、レトリノの妹さんなのか?


「カーラ! おまえ……髪を切ったのか?」

「ふふふっ、軽くっていいですよ、短いと! この町は短髪の女性も多いし、髪剪師かみきりしの方も色々な形を選ばせてくれて素敵です!」


 タクトさんも驚いているから、お会いになった時は髪を結っていたのだろうな。

 肩にも付かぬ短めの髪は違うが……その姿が、懐かしい人と重なる。


 彼女は……今、生きているかどうかすら、確かめる術がないのだ。

 ミレナの名前が頭をぎり、消えた。

 不思議なくらい、私は彼女の顔を思い出せないことに……今、気付いた。



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『カリグラファーの美文字異世界生活』第721話とリンクしております

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