36▷三十二歳 繊月二十日 - 朝食後

 朝食後に、少し緊張しつつ全員で食堂に集まっていた。

 そこに、明るい声が響く。


「おはようございます!」


 タクトさんがいらして、私達はその声に思わず笑顔になる。

 まるで、暫く帰ってこなかった家族のひとりが戻ってきたみたいな、そんな嬉しささえ感じてしまう。

 この町にいらっしゃるのだし、いつでも会えるというのに。


「皆さん、しっかりと朝食はお召し上がりですね?」

 そう仰有ると全員が頷き、タクトさんもニコニコと魔力も大丈夫ですね、と私達に尋ねていらっしゃるので微笑み返す。

「では、皆さん、この移動の方陣鋼を……えっと、アトネストさんはガルーレン神官と、シュレミスさんはアルフアス神官、レトリノさんはラトリエンス神官と手を繋いでいただいていいですか?」


 私はいつの間にか隣にいらしたガルーレン神官と右手を繋ぐ。

 すると、タクトさんは私の胸に水晶の徽章を付けた。

 魔力の補助的なものだろう、とガルーレン神官が仰有るのでなるほどと徽章を見つめる。

 透明な大粒の水晶がキラキラして、魔力の燦めきというのがもしも見えたのならこんな風ではないだろうか。


「タクト様、方陣の起動は……?」

 テルウェスト神司祭の声に私は、タクトさんに視線を移した。

「いいえ、皆さんが起動しなくて平気です。今回の移動は、石板使用で一括起動による移動をします。ちょっと特殊な場所なので、個別には入れないのですよ」


 タクトさんの手には、小さめの水晶の石板。

 それに私達全員の名前が書かれていて、タクトさんが『移動許可』の魔法を起動すると……遊文館の秘密の部屋に入れるらしい。

 私もだが、隣のガルーレン神官からも繋いだ手から、興奮にも似た楽しげな感情が伝わってくるようだ。


「では、参りますっ!」


 一瞬、光が瞬いた気がして、私はぎゅっと目を瞑った。



「皆様ー、目を開けてくださーい」


 煌々と明るさの満ちる硝子張りの部屋。

 いや、部屋ではなくて、回廊?

 こんなに明るいということは……外?


「……ここは、屋上……ですか?」

 誰もが目を開き見回す中、テルウェスト神司祭の言葉に私は直感的に『違う』と思った。

 全くなんの根拠もなかったのだが。

 そして、すぐにその答えは与えられた。


「いいえ、ここは地下……大体三階くらいの深さですね」


 予想外だった。

 地下……というものに恐怖さえ感じていた私が、皇国に来てやっと考えを改められたばかりだった。

 だが、地下はやはり窓がなく、天光の届かない場所であることは変わりない。

 魔法で明るくしていたとしても、その光に温かさを感じることなど絶対にない、と思っていた。


「地下なのに、なぜこんなにも光が暖かいのです? まるで、天光の光のように……」

 ガルーレン神官が私の言葉にできなかった疑問を、タクトさんにお尋ねになる。

「これは俺の加護神である賢神一位の加護だと思うんですけど、俺は『光』に『特定の性質』を持たせることができるんですよ」

「なるほど……神聖魔法、ですね。天光の再現ができる魔法なのですか……」

「完全再現ではありませんよ、ラトリエンス神官。一部の恩恵を分けていただける……ということですね」


 加護魔法による特定の性質の付与……?

 タクトさんの神である賢神一位の魔法とは、天光を地の底にまで届かせられる加護魔法があるのか!

 レトリノから『信じられない……』という驚嘆の呟きと、シュレミスからの『神聖魔法とは、まさに神々の加護そのもののことか』という言葉が聞こえた。

 そしてその硝子の壁に遮られた『地下の天光』の中で青々と育つ作物に、どう驚いていいのかさえ解らない。


「ここここここれはっ! 甘藍でございますかっ!」

「はい、ミオトレールス神官。こういう入れ物でも甘藍とか黄花清白は作れるのですよ。ただ、やはり環境を整えることが必要ですから、それぞれの作物に合わせて魔法で調節しているのです」


 ミオトレールス神官だけでなく、いつの間にかシュレミスとヨシュルス神官も仕切りの硝子に張り付いて中を見ている。

 タクトさんは『植物のために環境を整えているから、人は入れないようにしている』と仰有る。


 世話のために中に入る時には、育てている作物になるべく影響が出ないように細心の注意を払われているそうだ。

 それは、大地ではなく地下にこの畑をお作りになったから、必要になる魔法ということだろう。


「広い、ですね……」

 ラトリエンス神官の言葉に、目の前にある甘藍だけでなく先の方まで視線を向けた。

 壁が青く、まるで空の色のように見える。

 ここが地下だと思えないのは、そのせいかもしれない。


「遊文館の全体の大きさとほぼ同じ広さですから、畑にすると……中規模くらいですかね?」

「元々、地下にこの畑をお作りになるおつもりだったのですか?」

「そうですねー。ここなら季節も大雨も大雪も関係なく、俺の魔法で安定して野菜や茸が作れますから。遊文館の自販機と保存食は、災害時も切らしたくありませんしね」


 テルウェスト神司祭からの疑問に答えたタクトさんに、なんと計画的にこの町のためにお考えになった施設と魔法なのだろう、と私は改めて驚愕した。

 自分が、家族が助かるためにならば、人は魔法も努力も惜しむまい。

 だが、その町に住んでいるというだけで、知り合いですらない他人まで助けられる術を用意するなんて。

 考えているだけでなく、宣言するだけでなく、実行し、維持している。


 そんなことが……皇国の貴族達以外に……できるなんて誰も思わない。

 誰も、そうしようとなんて思わない。


 タクトさんが『聖位』というのは、お持ちの魔法とか魔力量だけのせいではないのだろう。

 きっと、当たり前のように自分以外の誰かのことまで考えられる人だからかもしれない。

 自分を犠牲にするのでもなく、誰かに何かを求めるでもなく、やりたいと思ったことをすると誰かのためになるというのは……神々が愛する人だから、だろうか。



 葉野菜の部屋を通り抜けて、階段を少し下ったところに小さな部屋があった。

 中に導かれると……光が変わった。

 小さく区切られた部屋が幾つもあり、全て光の加減が違う。


「どうして、明るさが違うのですか? 茸も天光が必要でしょう?」

「茸は野菜ではありませんし、生育条件が全く違うのですよ。確かにある程度の天光も必要ですが、温度、湿度の条件が全然違いますから個別に管理しないと……」

「「「野菜じゃないんですかっ?」」」


 ヒューエルテ神官、アルフアス神官、ガルーレン神官の声が揃った。

 私達の気持ちとも揃っているその言葉に、他の全員は頷くだけだった。

 タクトさんはほんの少し驚いたように見えたが、すぐに微笑んで説明を始める。


「ざっくり言うと『畑で作れる草由来のもの』が野菜。森や林で採れる茸や山菜は、俺は『特用林産物』と教えられたので別物という認識なんですよね」


 タクトさんが『教えられた』と言っているということは、既に学問としてそのようなものがあるということだ。

 ……ニファレントでは、そのように植物達についても特性やでき方などを研究して細分化しているのだろうか。


 そうか、その学問でどのように育てれば地下でも作物が採れるかということも習われたのだろう。

 もしかしたらニファレントでも災害に対応するためで、その方法がこの町の役に立つと思われたのかもしれない。

 あ、いかん、その後も続いていた説明を聞き損ねてしまった……


「な、なるほど……そのような成り立ちの違いがあるのですか」

「そういった学問もあるのですか?」

「ええ、植物学とか菌類の学問は専門的になってしまうと相当難しいので、俺も本当に初歩しか知りませんけど。そのうち、俺の解る範囲のものは本にしたいですね」


 好きなことややりたいことだと仰有ることの全てが、この町のためになっている。

 いや、この町のためになることと自分のやりたいことが同じ……?

 それは本当に、神々がこの町のために、皇国のために、タクトさんを導いた……ということだ。


「はーい、また手を繋いでくださいねー!」


 タクトさんの声で、またガルーレン神官と手を繋ぐと今度は目を閉じる間もなく次の場所へ移動した。

 そこには遊文館の図書の部屋をも凌ぐと思われるほど、びっしりと埋め尽くされた背丈より遙かに高い本棚が立ち並んでいた。


 え?

 これから数年掛けて……これら全てを現代語訳して……上の部屋に入れる?

 いったい、この遊文館というのはどれほどの『叡智の城』となるのだろう……



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『カリグラファーの美文字異世界生活』第720話とリンクしております

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