35▷三十二歳 繊月二十日 - 朝

 昨夜はなんとか眠ってしまわずに本を読み終えて、子供達と一緒に寝床の部屋まで戻ることができた。

 ……もの凄く危なかったが。

 あの場所は屋上のどの場所より心地よすぎて、すぐに眠くなってしまう。


 翌朝、いつもよりスッキリと目覚められた私は、子供達を見送ってすぐに宿舎の自分の部屋に戻った。

 朝食の支度はレトリノだし、掃除の必要がない今だけはそんなに急ぐことはないのだがテルウェスト神司祭に……伺っておきたくて。


 テルウェスト神司祭はとても早起きで、起きると早々に試験研修生の訓練場に行って軽く身体を動かされる。

 神職というのはどうしても魔法に寄りがちで、体力が落ちやすいと言うこともありこの訓練場の存在はありがたい。


 教会だとどうしても運動ということは疎かになりやすいから。

 私自身、結構筋力が落ちていると思うのだが、それでもまだシュレミス達に比べれば動ける方らしい。


 訓練場に顔を出すと、上衣を脱いで動きやすそうな格好をなさったテルウェスト神司祭のお姿をみつけた。

 声をかけようとした時に、不意に音が聞こえだした。


 ♬


 軽快で飛び跳ねたくなるような、不思議な曲がかかる。


〈蓄音器体操、第一ぃーーーっ!〉


 吃驚した。

 思わずその場で動けなくなってしまうほどに。

 タクトさんの声が聞こえてきたのだ。


 音楽と一緒に、タクトさんの声が音源水晶に入っていたのだろう。

 蓄音器が奏でる音の合間にも、タクトさんの声で動きの指示と思えるような言葉が飛ぶ。

 そして……司祭様はそれに合わせて、横に前後に身体を動かしたり、飛び跳ねたりなさっている……


 ああっ!

 これは、きっと、遊文館でアフェルが教えてくれた『蓄音器体操』ではないだろうか!

 思っていたより大きくて激しい動きなんだな。


 子供達はよくこんなに動けるものだと、感心しながらテルウェスト神司祭の動きを見入ってしまった。

 そして音楽が止み、ふぅーー……と息を吐くテルウェスト神司祭が、入口で動けずにいた私を見つけられた。


「おや、早起きですね、アトネスト」

「おはようございます……今のは、蓄音器体操ですよね?」

「そうですよっ! 知っていたんですねぇ。あ、子供達から聞いたのですね!」


 どうやら衛兵隊でも取り入れているとセラフィエムス卿から伺って、音源水晶をお借りしたのだという。

 こんなに早い時間なのは、この後で衛兵隊が使うからだそうだ。


「今度タクト様に、この音源をお作りいただこうと思っているのですよ。教会でも取り入れれば、運動不足も解消できるかもしれません」

「そうですね! 拝見していて、随分と大きくあちこちを動かすものなのだと驚きました……子供達も楽しいと言っていましたから、取り入れられるのでしたら子供達とその話もできるようになって嬉しいです」


 バルテムスやミシェリーが『蓄音器体操の徽章』を見せてくれた時に、話題に入れなかったのが少し淋しかったのだが今度は話せるようになるかもしれない。

 テルウェスト神司祭は蓄音器を片付け、上衣を纏われた。

 やっぱり、このお姿の方がしっくりくる。


「モヤモヤしている時は、こういう風に身体を動かすのもスッキリしていいですね」

「もやもや……ですか?」

「あ、心配しないでくださいね。それが払拭できたので心もスッキリしておりますから、この体操で身体もスッキリして落ち着きましたからね」


 そして唐突に、しまった、あなたには伝えられていませんでした、と申し訳なさそうになさった。


「今日の朝食後に、タクト様がいらっしゃいますので遊文館には行かずに待機していてください。一緒に遊文館をご案内くださると仰有っていますから」

「以前、仰有っていた『秘密の場所』……ですか?」

「そうですよ。ただ……どうやら普通には入れない場所のようでして、ここで待っていて欲しいと言われたのですよ。多分、魔法での移動となりますから、しっかり多めに朝食を食べておいてくださいね、アトネスト」

「は、はいっ!」


 魔法での移動……?

 あ、そうか、秘密の場所だから出入口が解ってしまうといけないから、気を遣っていらっしゃるのだろう。

 私達がぞろぞろと歩いているところが見られると、他の人達も秘密の入口に気付いてしまうかもしれないからだな。

 どうしよう、楽しみでドキドキする。


 あ、いけない、司祭様に伺いたいことがあったのだった!

 私は夜の子供達から聞いた話と、屋上で見た『内緒』のことを尋ねてみた。

 やはり、想像通りの表情をなさる。


「そうですか……君は見られるんですよねぇ……ええ、そうです。そのようにしていただいたのですよ」


 小さい声で、タクト様に、と付け加えられた。

 やはりあの主神像は、教会から一時的に移されたもので新しく聖教会ができあがるまでの間、昼間は紫朴樹として、夜はお姿を現されて子供達を見守ってくださっているのだ。


 よくよく考えれば、確かにあの屋上ほど、主神に相応しい場所はないのかもしれない。

 そうか、主神も今は私達と同じ仮住まいだけど、とても素晴らしい場所にいらっしゃっているということなんだな。


 でも、いつか私達はまた、相応しい新しい場所へと辿り着くのだ。

 だけど……子供達から主神像を取り上げてしまうように感じてしまうけど……聖教会に主神がお戻りになった後、あの場所はどうなるのだろうか。


 朝食を食べながらも、なんだかぼんやりしてしまっていたようでレトリノにパンがポロポロ溢れているぞ、と注意されてしまった。

 本当に、私はひとつのことを考えだすと、手元が疎かになるのだな……


 ちゃんと食べなくては、移動してすぐに動けなくなってしまうかも!

 あ、これ、美味しい……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る