34▷三十二歳 繊月十九日 - 夜

 試験研修生宿舎はとても快適で、私達はその暮らしにも随分と慣れた。

 だけど、ここはあくまで仮住まい。

 誰もがそう感じているのは伝わってくるし、早く教会に、自分達のいるべき場所に戻りたいと思っているのだ。


 ある日の夜、いつものように遊文館の寝床のある部屋に入るといつもより子供達が少なかった。

 そういえば最近、毎日来ていた子やアートルムとエリュトもたまにいない時があったのだが……

 今日は珍しくアートルムと、たまに顔を出すようになっていた十七歳のアイティオが何か話をしている。

 私の姿を見ると、アートルムが走り寄ってきた。


「あのね、おねがい、あるんだ」

「なんだい? 私にできることかな?」


 アートルムはアイティオの方を振り返り、彼が頷くと一緒になって頷いて私の手を引っ張る。

 導かれるままに、私は部屋を出て階段を上る。

 部屋の中にいた子供達も、ぱらぱらと私達の後をついてきた。


 そのまま屋上に着くと、初めて夜の屋上で長いすと共に見えなくなった子もいて、いつも夜になると消えていた幾つかの椅子も消えずに誰もいないままだった。

 子供達がどこかに集まっているのだろうか?


 私の手を引くアートルムとアイティオが立ち止まったその場所に……主神像があった。


 驚きを隠せず立ちすくむ私に、アイティオがゆっくりを話し出す。

「本当は……見せるかどうか、迷ったんだ。レトリノさんもシュレミスさんも知らないみたいだったし……アトネストさんに言ったら、教会の人達全員に知られちゃって……もしかしたら、他の大人達にも、知られちゃうかもしれないし……」


 人と話すことがあまり得意でない彼が、懸命に言葉を探して話してくれている。

 私に見せても夜のことを他の大人にばらすようなことはきっとしない、と他の子供達と一緒に話し合って今日、打ち明けてくれることに決めたのだと言う。

 彼らの信頼が、何より嬉しくて胸が熱くなる。


「昼間の紫朴樹むらさきほおじゅも凄く好きだけど、夜になると、主神様が来てくれるんだ」

「今は教会がないから、ここに来てくれているんだって」

「だけどね、ほかのひとには、いわないほうがいいよって……」


 この子達にその助言をしたのは一体誰なのだろう、と聞いてみたら『レェリィ』という名前を教えてくれた。

 ……確か、たまに姿を見るだけで私の居る部屋にはあまり入って来ない子だ。

 だけど、もしかしたらずっと屋上にいて、この主神像を一番初めに見つけた子なのかもしれない。


「レェリィが言ったからってだけじゃなくって、大人の人達がここ来ようとしたり、昼間の朴樹に触れようとしたら……多分、主神様がここに来てくれなくなっちゃうって……思って……」


 その言葉に頷く子供達も、喜びと不安の混じったような言葉を口にする。

 この子達はきっと、教会も神々のことも決して遠い存在だとは思っていないのだろう。

 だけど、大人達という苦手で恐怖すら感じる存在が必ずそこにいることで、近付くことができずにいるだけなのだろう。

 それは私達がいつも感じていたことだが、どうにもできずにいたことでもある。


 そんな子供達と私達の想いを受け止めて、主神像は夜の子供達の前に姿を現してくださったのかもしれない。

 ああ、そうだった。

 紫朴樹は、主神から人々を癒やす力を与えられた朴樹が紫色の蕾を持ち、白い花弁に紫の縁取りが現れるからそう呼ばれているのだと聞いた。


「でもね、司祭様は、知ってると思うの」

 そう言った少女はいつも屋上で過ごしているヴィエーシアだ。


「だから、昼間はいつもここにいらっしゃるんだと思うの。だけど、何も仰有らないの」

「しさいさまも、ぼくたちのこと、しってる?」

「そうか、だから教会がお休みの時も、ここに主神様が居るんだね!」


 私はそうかもしれないね、と子供達と目を合わせるようにしゃがむ。

 朝、教会に戻ったらこっそりと、テルウェスト神司祭に伺ってみよう。

 きっと困ったような顔をなさりながらも、教えてくださるだろう。


 ここに子供達を見守るように主神像を置いてくださったのが……タクトさんだと。


 いつの間にか私の横に来ていたエリュトが、一冊の本を手渡してくれた。

 主神が、朴樹にお役目を与える神話が載っている絵本だ。

 この場所で読むのに、相応しい本かもしれない。


「ここで読んでも……眠ってしまっては駄目だよ? お部屋に戻って眠れるかい?」


 小さい子達は『どうしよう?』という顔をするが、寝ちゃったら連れて行ってやるから、と言う年長の子達の言葉に安心したのか、ぺたん、と芝生の上に座り込む。

 そうだな……私も運んであげられるけど……私自身が眠ってしまわないように気を付けなくては。



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