33▷三十二歳 繊月十五日

 妹さん……カーラさんと言うそうだが、その家を決めて戻ってきたレトリノが激しく落ち込んでいるように思えた。

 何かあったのだろうが、どうしたというのだろう。

 いつもだったら三つは食べる胡麻の入ったパンを、ひとつだけしか食べずにヨシュルス神官がとても心配なさっていた。

 私達も聞きあぐねていたのだが、テルウェスト神司祭がそっとレトリノにお声がけされた。


「レトリノ、妹さんのことで何か心配事ですか?」

「あ、いえ、その、妹のことというか……妹のことだから、どうしたらいいか解らないというか」


 私はそう答えるレトリノの横でちらり、と正面にいるシュレミスの方を見た。

 いつもならば『はっきり言いたまえよ!』と急かすことが多いシュレミスが、特に何も言わずにレトリノの次の言葉を待っている。

 家族のことだから、口出しすべきではない、と思っているのだろうか。


「実は、仲介屋に向かう途中で……タクト様にお会いいたしまして」


 がたんっ!


 突然立ち上がったシュレミスに、ちょっとびくっとする。

 が、何も言わずに立ったままだ。

 レトリノが言葉を繋げる。


「妹が……不躾にも、タクト様を、その、見つめ過ぎたからか……タクト様を怯えさせてしまったみたいで……」


 その言葉に、全員が目を剝いて固まる。

 私はその様子にただ、目を瞬かせるばかりだった。


「あの、タクト様を……?」

「王都で暗殺者をおひとりで三人も縛り上げ、全くの無傷だったタクト様が……怯えるなんて」

「叙勲式でも刃物を持った不審者を、一撃で叩き伏せたタクト様を怯えさせるなんて、いったいどのような……」


 イスグロリエスト大綬章授章式典での一部始終は、王都では今でも英雄の物語のように語られていると、私も何度も耳にしている。

 確かに、それを考えるのであれば、女性ひとりに怯えるというのは余程のことではあるまいか。


「あっ! もしや、レトリノの妹さんは魔眼ですかっ?」

「そうだな、それならば、魔眼の種類によっては……」

「いいえ、そんなことはございません。あいつの瞳は焦げ茶で、特に何も……ただ、幼い頃から特定の方々を、もの凄くじーーーっと、微動だにせずに顔を見つめ続ける癖がございまして……それが人によっては『圧が強い』とか『睨まれているようで怖ろしい』と思われることが多くて……そのせいで随分と誤解されたり、友人すらできなかったり……」


 何人かの神官の方々は思い当たることがおありなのか、ああ……と吐息のような声を漏らしつつ、そういう人はたまにいますよね、と苦笑いをなさる。


「特に妹は、華奢……と言うか、痩せている体型の、優しげな男性にそのような視線を向ける傾向が強く、魔法師様にはよくそのようにしてしまい、不審がられていたのです……」

「ああ……タクト様はまさに、ぴったりですねぇ」

「魔法師には細身の方が多いですよね、そういえば……」


 テルウェスト神司祭もアルフアス神官も、困ったように微笑む。

 初めて聞いたが、明確な敵意とか嫌悪でなくても怖ろしいと感じることがあるんだな。

 私も初めて会う人に、じっと見つめ続けられたら……怖いと思ってしまいそうだ。

 レトリノは『もしかしたら、タクト様に嫌われてしまったかもしれない』と気落ちしているのだそうだ。

 だが、その気弱な発言を一蹴したのは、なんとシュレミスだった。


「レトリノ、思い出してごらんよ。タクト様がそんなに、お心が狭い方だと思うかい?」

 はっきりとしたシュレミスの言葉に、レトリノが顔を上げ視線を合わせる。


「タクト様は確かにお強い方だろう。魔法も強大で、僕達が想像もつかないような魔力をお持ちだ。だが、その強さをひけらかすこともなく、全てを子供達のために、この町のためにご使用になっている。お優しく尊い志をお持ちのタクト様は、態と君の妹さんに怯えるような態度をとることで、諦めさせようとなさったのだよ!」

「あ、諦め……?」

「妹さんは、熱い視線を送っていた……と言ったね?」


 いや……『圧のある視線』だったような?

 いやいや、間違いとも言いきれないのかな?


「その想いには応えられないから、早々に身を引かれることで妹さんの気持ちをご自身から離そうとなさったのではないのか? どうあっても絶対に結ばれないのだし、出会ってすぐならば傷つきもしないだろう。変に期待を持たせないようにというご配慮に違いないと、僕は思うよっ!」

「でも、シュレミス、もしかしたら、レトリノの妹さんをお好きになることだってないとは……」

「ないね! タクト様には既に『神々に誓いを立てたご婚約者』がいらっしゃるのだよ! 神々の使徒であるタクト様が、神々との誓いを破るだろうか? 否! 断じて、否だろうが!」


 確かに、タクトさんはそんな不誠実な方ではない。

 そうか、うん、レトリノの妹さんがレトリノの五歳下だというのならば、タクトさんとは三歳くらいしか違わない。

 そのような年の近い異性が好意を寄せているとご婚約者が知ったら、おつらい想いをなさるだろう。


「な、なるほど、タクト様はそのようにご婚約者様にも妹にもお気遣いくださった……と言うことか!」

「そうだよレトリノ。妹さんが万が一にもタクト様に懸想してしまったら、不幸になってしまうだろう? お優しいタクト様がそんな、うら若き乙女を苦しませるようなことをなさるはずがないよっ!」


 全員が、シュレミスの熱弁に感動を覚えている。

 私は……どうも、女性の心持ちというものを推し量ることがまだまだ全然できないせいか、少々置いて行かれている気がする。


 物事というものは自信たっぷりに断定されると、そうに違いないと思ってしまうものだと言うが……ちょっとそんな雰囲気にも感じる。

 でも、そうだったとしてもそうでなかったとしても、タクト様に某かの想いを寄せるというのは、やはり我々臣民には報われないことの方が多い気がするから傷つかないために、というのならば……あまり近付くべきでないのかもしれない。


 なんだか、自分のことに重ねてしまって少しだけ落ち込む。

 タクトさんに『何かを期待している』のは、私も……同じだろうから。

 だけど、私の期待に関しては……なんだか報われるのではないか、なんて思っている。

 自分のことを都合よく考え過ぎなのかもな、私は。


 それにしてもレトリノの妹さんのことはなんだか少し違和感があるのだが、シュレミスとレトリノが納得しているのなら、それでいいの……かな。

 うーむ、気持ちをおもんぱかると言うのは、本当に困難なことが多いなぁ。


 少しだけレトリノの妹さんに会うのが怖くなってしまったけど……私は魔法師でもないし、特に細身でもないから関係ないか。



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