32▷三十二歳 繊月十四日

 私達教会の全員が、衛兵隊東門詰め所近くの騎士位試験研修生宿舎に間借りを始めて約半月が経った。

 初めのうちこそ魔法付与で至れり尽くせりになっている部屋に感動して、はしゃいでいたのだがそれもすっかり落ち着いた。


 厨房も『使い勝手が良くて美しい』と今でも見惚れてしまうが、そこで料理を作ることにビクビクすることはなくなった。

 ただ……その他の課務もあまりにも設備が良過ぎて、今まで自分達が方陣札でやっていたことの半分以上をせずに過ごしてしまうことに戸惑うようになった。


「なんだか、楽をし過ぎで怠け者にでもなった気分だよ……」

 シュレミスがこの半月、一度も掃除をしていないことに『背中の辺りがムズムズ』して居心地の悪さを感じると言っていた。

 それには、私とレトリノも、なんとなく同意する。

 しなくていいと言われて、今まで当たり前のようにしていたことを『取り上げられた』気分になっているのだ。


「あの『洗浄の方陣』を使い終わった後の爽やかさを味わえないと言うことだけなのに、こんなにもがっかりとした気分になるのはどうしたことだろうか」

 レトリノもそう言うと、どうしてこんなことに、と三人で小さく溜息をついた。

 きっと、私達自身が自分達で『すべきこと』や『したいこと』『した方がいいこと』を見つけられていないからだ。

 課務として与えられることに慣れてしまって、自ら動いて求めることをしていないからどうしていいか解らないという状態になっているのだ。


 遊文館に行って、子供達と一緒に過ごすことだけしかしていない。

 私達はそれを仕事と捉えているはずだが、どこかで『こんなに楽しいだけでいいのだろうか』と不安なのだ。


「でもね、それを言ったら、シュリィイーレ教会で今までやって来たことの全部が、楽しいことばかりなのだよ、僕は」

「うむ、そうだな。俺もだ」


 無言で頷くが、私も確かにそうなのだ。

 魔力量が少なくて、正しい魔法の発動方法すらろくに知らなかった頃は、魔法を使うということ自体が大変なことで、時に苦痛ですらあった。

 だが、今では全くそれもない。


 まだまだ魔法は下手だし、魔力量も私など千に届いてはいないのだが、方陣札での魔法も、自らのまだ拙い幾つかの魔法も、全てが『楽しく』なってしまっているのだ。

 だが、そんな風にどこか所在なさげに宿舎の共用部分をウロウロと歩き回る私達に、ガルーレン神官がくすくすと笑いを漏らす。


「君達は変に真面目過ぎるのだなぁ。仕事だから楽しくてはいけない、なんて誰が決めたんだい? 楽しいと思えることが仕事になるなんて素晴らしい……それでいいじゃないか」

 確かに、そうだ。

 タクトさんも言っていらしたことだった。

 だけど……なんでだろう、仕事というものは楽しいだけではいけないのではないか、という思いが拭えない。

 なんか、こう、苦労するもの、という……先入観?


「そういうところを意識して気持ちを変えていく方が、子供達が君達と同じように『楽しい仕事』を見つけられるように、手助けができるのではないかな?」


 ああ、そうだ。

 子供はいつまでも子供ではなく、いつか大人になって職位が示され働き始めるのだ。

 私達は、その子供達に『仕事とは楽しいものなのだよ』と……言ってあげたい、と思えた。

 そうか、そのためには、私達が『仕事は楽しい』と知らなくてはいけないのだな。

 ガルーレン神官のお言葉に、私達は大きく頷き、楽しみながら仕事ができることを喜び後ろめたいなんて思うことは間違っているのだ、と自分達の心に知らしめなくては、と改めて思った。



「えーと、レトリノさん、いらっしゃいます?」

 食堂近くの廊下にいた私達に、チェルエッラさんが声を掛けてきた。

 レトリノが少し慌てるように返事をして、一歩進み出る。

 突然、衛兵隊の方に声を掛けられれば、誰でもそうなるだろう。

 チェルエッラさんはレトリノ宛に客人が来ている、と知らせてくれたようだ。


 走り出そうとするレトリノに、ガルーレン神官が『廊下を走るのは行儀に反しますよ』と声を掛けると、ぴたりと止まってせかせかと早歩きを始めた。

 その後ろ姿があまりにおかしくて、ついシュレミスとふたりで笑いを堪えきれずに吹き出してしまった。


「チェルエッラさん、レトリノに客人とは?」

 ガルーレン神官の問いかけに、チェルエッラさんは笑顔で答える。

「妹さん、のようです。一番小さい荷馬車にお引っ越しの荷物を積んで……ご自分で馬車を操っていらっしゃったみたいですよ」

「おや、それは凄いですね! 確か、コレイルの一番南、ファルスからいらっしゃると……てっきり、請負に任せて同行して来るかと思ったのですが」

「それが、ふふふっ、請負の方々が『好みの顔』でなかったから二日も一緒に移動したくなかった……なんて言うのよ。ちょっと笑っちゃった」


 面白い理由だな。

 私は額面通りに受け取ってしまったのだが、シュレミスとチェルエッラさんはちょっと違ったみたいだ。


「女性ひとりでの移動ですからね。コレイルからだと、三回は馬車方陣を使わないと二日間では来られませんよね、確か」

「そうね。見た目も可愛らしい方だから、男性を警戒しているのかもしれないけど賢明な方だと思うわ。自分で馬車が操れる技能をお持ちなら、ひとりの方がずっと安いし身軽に移動ができるもの。なんだか、自分が我が侭だと演出しているみたいで可愛いわ」

「出費を節約するため、と言ってしまうと送金しているレトリノに恥をかかせると思ったのかもしれない。それに請負の人達を信用していないと言うことではなく、あくまで自分の好みで頼まなかったという言い方も、好感が持てる言い訳だと思いますね」


 シュレミスの意見に、ガルーレン神官も頷いていらっしゃる。

 そうか……一見、我が侭のように感じる言い訳も、このような深い思いがあってということなのだな。

 人の心の機微というのは、やはり解ったつもりになっていてはいけないのだなぁ。

 そしてチェルエッラさんが詰め所に戻り、ガルーレン神官が先に遊文館へと移動なさった後……私はシュレミスに耳打ちをされた。


「ちょっとだけ、レトリノの妹を見に行かないか?」

「え、だが、いいのだろうか、勝手に……」

「遠くから見るだけならば構うまい? それに、どうせそのうちに紹介してもらえるのだから、先に様子見をしても」


 そのうちに紹介してもらえるのならば、その時でもいいのではないか……と言いかけたが、私も好奇心に逆らえず東門へと……シュレミスを追いかけるように、小走りで付いていった。

 衛兵隊訓練所を横切って、東門が見えるところまで来ると小さい荷馬車と一頭の馬が詰め所前に止まっていた。


 だが、私達はひと足遅かったようで、レトリノと妹さんは家を決めるために仲介所に向かったのだという。

 そういえばレトリノが、幾つかの候補となる家を南東・紫通りの仲介所で見繕ってもらったと言っていたな。


「うーむ、残念だったが、家を決めた後に荷物を取りに来るよね?」

「その頃にはきっと、私達は昼食の支度をしていると思うのだが……」

「あ、そうか。一目見ておきたかったのだがなぁぁ!」


 何をそんなに残念がっているのだろう。

 いや……ちょっと残念、かな?

 私も。


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