31▷三十二歳 新月三十一日
「もう、授章式典は終わりましたかねぇ」
「ああー、私も行きたかったですー」
「仕方ないですよ、ミオトレールス神官。引っ越しは今日中に……というか、昼過ぎくらいには終えておきませんと『準備』がありますからね!」
私達は教会の改装のため、一時的にお借りする衛兵隊の研修生用宿舎に引っ越し作業で来ていた。
自分達のものだけなのでさほどの量はあるまいと思っていたのだが、そうでもなかった……
いつの間にか増えていた小物類の中には、子供達が描いてくれた私達の絵や、一緒になって作った『折り紙』もあった。
当然、捨てられるはずなどない。
しかし、なんといっても大変だったのは地下にあった本と、季節ごとに使う魔道具の数々だ。
教会には建物自体に境域結界や方陣門などが設置されるため、部屋の内部に付与できる魔法は限られてしまう。
そのため、生活を支える魔法の付与が一般的な家よりも少ないのだ。
だからそれを補うために、様々な魔道具が使われている。
「この町ではどの家でも魔法付与で対応することの方が多いですから、魔道具は使い勝手のいいものがなかなかなくて……たまに、エルディエラのミシュレ村やターレ村などから来てくださる方々から買えるのですがね」
ガルーレン神官が仰有るそのエルディエラの村では、木工製品だけでなく方陣を使った魔道具が多く作られているらしい。
しかし、少々山間の不便な場所の村らしく、輸送費が高くなることからも魔道具自体が高額なのだとか。
「ええ……決して安くはないですが、非常に良い道具が多いのです。エルディエラは、方陣が非常に発達していて素晴らしい魔法師も沢山いますからね」
シュレミスがその方々は『方陣魔法師』なのですか、と訪ねたがガルーレン神官は首を横に振る。
どうやら、方陣魔法師という方は非常に少ないらしく、普通は魔法師職であれば方陣札が作れたり魔道具に方陣を描くことができて、その精度が高い方陣が作れる方々がエルディエラに多い……というだけのようだった。
「上皇陛下を含め、現在【方陣魔法】をお持ちの方陣魔法師と呼べる方は……皇国には四人だけですね」
「そんな貴重な魔法なのですね!」
シュレミスだけでなく、レトリノの瞳も輝いて見える。
もっと話を聞きたかったのだが、すっかり私達の手が止まってしまい荷物の片付けが滞ってしまった。
慌てて作業に戻る。
「夕食の支度、今日はいつも以上に、気合いを入れねばいけませんからね!」
「ええ! テルウェスト神司祭の生誕日なのですから!」
神官の皆様と私達三人で、テルウェスト神司祭には内緒で『祝い膳』を用意しよう、と決めていたのだ。
神職になると家族とは離れた場所で、血の繋がらない方々と寝食を共にする。
生誕日を知らなかったり、そもそも家族ではないのだから祝うことも祝われることもないだろう。
でも、シュリィイーレ教会ではタクトさんのお陰で、全員が生誕日を知ることができたのだ。
まるで、家族のように。
だから、生まれてきてくださったことを祝おう。
血が繋がらなくても、共に暮らせることを祝いたいと誰もが思ったのだ。
……そう、思えたことが、私自身もとても嬉しかった。
私の生誕日を祝っていただけた時のことは、一生忘れない。
その時の感謝もあったのかもしれないとは思うが、この教会の仲間……いや、家族を祝いたい気持ちはとても強かった。
その祝いを私達の手で作ることができるということに、私達は信じられないくらいの喜びを感じていた。
そして私達はタクトさんの生誕日も、衛兵隊の方々にお伺いしていた。
夕食作りは、試験研修生宿舎横に作られている専用食堂の厨房で作る。
この試験研修生宿舎の厨房の仕組みは、信じられないくらい素晴らしい魔法付与がされており、これから使うのが楽しみで堪らない。
明日から暫くは、私達の食事はこちらで作って食べることになる。
ただ……今日の夕食までは、教会で食べることができた。
教会の厨房は残念ながら魔具の取り外しと運搬があったので、既に空っぽになっておりこちらで作って教会に運ぶのだ。
少し狭い、あの教会の食堂での最後の食事であり、私達が出会って暮らした教会で司祭様の祝いをしたかったから。
「ふふふふふ、我々の【収納魔法】があれば、盛りつけた膳を運び込むのも造作もないことですね!」
「まったくです! 容量は充分増えておりますし、全員分を苦もなく運べますよ!」
ヨシュルス神官とミオトレールス神官は自信満々で、レトリノが【収納魔法】をとても羨ましがっていた。
「よし、次の買い物から荷物は全て俺が持つぞ」
「おやおや、やる気があっていいですねぇ、レトリノ。持つ時に『この荷物は軽い』とか『こんなことは簡単だ』と思うようにしてごらん。技能と魔法はそういう『思い込み』で出やすくなる……と、タクト様も仰有っていましたよ」
ガルーレン神官の助言に、更にやる気を増したレトリノと、興味がない振りを装いつつも俄然意欲的になったように見えたシュレミスが、なんだかおかしくて思わず笑ってしまった。
「ふふん、そうやって笑っていても、君だって頑張るつもりなのだろう、アトネスト? 負けないからねっ!」
勿論、私も……と応じたいところだったが、残念ながらまだ魔力が少な過ぎてそれに至らないのが少し悔しい。
もう少しで、九百に届きそうなのだが……
夕食より少し早い時間に、どうやら一度テルウェスト神司祭は新しい宿舎内のお部屋にお戻りになったようだった。
でも……なかなか私達のいる部屋……宿舎横の食堂の一部を談話室のように作っていただいた場所にはお越しにならなかった。
この仮で作られた部屋の内装は、新しく教会ができた時にも使える町の方々からの昇位の祝いが飾られている。
衛兵隊の皆様がお気遣いくださり、町の方々からいただいたものを飾り付けてくださったのだ。
きっとテルウェスト神司祭がご覧になったら感激されると思うのだが……
心配になってお部屋を覗いたアルフアス神官が、少し微笑みつつ戻ってきて理由を聞かせてくださった。
「遊文館で子供達から、生誕日のお祝いをいただいたのだそうですよ。それで、あまりのことで感激なさって……涙が止まらないのだとか」
くすくすと笑いを漏らす、アルフアス神官。
真っ赤に泣きはらした目で嬉し泣きが止まらないテルウェスト神司祭を想像して、誰もが微笑ましく思ったのは言うまでもない。
そして、明日、お気持ちが落ち着かれたら是非見せていただこう、とだけ話して『今日の夕食は教会のいつもの食堂で』とだけお伝えし、私達は準備のために教会へ向かった。
歩いて教会へ辿り着くと、初めてこの教会を訪れた日のことを思い出す。
あの時の、早鐘のようだった鼓動の高鳴りと不安と期待とを。
そしてそれから冬を越え、ここが私達の『家』なのだと喜びに溢れたあの日のことを。
私の過去を洗い流し、未来をくれた場所。
扉を開くと何もなくなった待合の部屋から、聖堂の奥まで見渡せる。
主神像だけがここに取り残されているが、今日の夜に『ある場所』への移動が決まっている。
私達には知らされてはいないが、主神像にとって最も相応しい場所だとテルウェスト神司祭は仰有っていた。
食堂に入り、今日のために残していただいていた卓に料理の準備をして椅子を並べる。
これらの大きめの家具などは再度組み替えたり洗浄して使うので、明日の朝に木工師組合の方々が取りに来てくださるのだ。
そこに皆で作った、様々な食材を使った『祝い膳』を並べていく。
全ての膳を並べ終わったら、祝いの飾り付けだ。
大きめの壁掛け布に刺繍で、テルウェスト家門の花である『
皆でお金を出し合って刺繍を依頼して作っていただいたものだ。
できあがりを見たのは、私達も初めてでその花の美しさに溜息を吐いた。
「僕はこの花を見たことはないけれど、南の地方の花なのだろうなぁ」
「そうだな、俺も神話でしか知らぬが……カタエレリエラでは秋の初めに咲く花だそうだ」
シュレミスとレトリノの言葉に頷きつつ、いつかこの美しい花が見てみたいと思ったが……どうやら、シュリィイーレでは咲かない花のようだ。
遊文館の本に描かれていたり、図録などがないか今度調べに行こう、とふたりと約束をした。
そして全てが整った後に、食堂にいらしていただいたテルウェスト神司祭にとんでもなく吃驚されてしまった。
私達からの飾り布を見て、また涙がこみ上げていらっしゃるようだ。
「もぅ〜……やっと、やっと、止まったばかりだというのに〜っ! これではいつまで経っても、目の腫れが引かないではありませんかぁ」
そう言いつつも本当に嬉しげで、喜んでいただけている様子が見て取れて、私達は改めてお祝いを申し上げ……また、泣かせてしまった。
……ヨシュルス神官とミオトレールス神官からさっ、と手桶に入った水が出てきた時には……申し訳ないが、全員で笑ってしまった。
シュリィイーレ教会の最後の夜は、この上なく素晴らしい夜になった。
新しくできる教会でも、こんな風にみんなの生誕日を祝っていこうと約束をして、私達は祝いの宴を心から楽しんでいた。
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