30▷三十二歳 新月中旬

 十五日の夜に遊文館に行くと、アートルムとエリュトだけでなく何人かの子供達からも名前を教えてもらえた。

 いつも夜にここにいる子供達は、大体十五人前後だ。


 だが、私と同じ部屋に居たがるのは十二歳以下の子供達ばかり六人ほど。

 夕方に来てすぐに屋上に上がってしまう子供達は三人で、この部屋の子達よりは少し年上のようだ。

 成人の儀前で二十歳前後の子が三人か四人、成人の儀は過ぎたが適性年齢前の子はふたり……みたいだ。


 一番の最年長は、昼間に絵を習っているオーデルトという子で、彼が夜に来るのは、毎日ではなくて三日か四日に一度くらいだけ。

 レトリノの話でもよく聞いているが、自分からは殆ど話をしないとレトリノが言っていた。

 だが、タクトさんとはよく話しているところを見かけるので、心配はしていない。

 ……一度、タクトさんに『アニキ』と言っているように聞こえて吃驚したが……きっと、聞き間違いだろう。


 もうひとりもやはり男の子で、こちらの彼は……殆ど毎日遊文館に来ているが部屋の隅で私達を見ている、という感じだ。

 昼間は子供達の世話もしてくれてはいるようだが、話しかけても全く応えてはくれない。

 だけど、タクトさんの教えている書き方の勉強にとても熱心だから、タクトさんとは何度か話をしているみたいだった。


 二十歳前後の子達は思い思いの場所にいるが、眠る時などは私達と同じ部屋に来て端の方で丸まっている子が多い。

 私が読み聞かせを始めると部屋に来てくれるので、まだ少し距離があるというだけで嫌われてはいない……と思っている。

 大丈夫、まだ時間はある。

 ゆっくり、親しんでいけたらいいのだが。


 今度、屋上にも行ってみよう。

 あの長椅子で眠っていたら全く見えないだろうけど、彼等に一言でも……いや、無理に話しかけようとするのはよくないな。

 私が散歩をしているだけならば嫌がりはしないだろうけれど、私がいることでここにも来られなくなってしまわないように気を付けなくては。

 小さい子達と一緒に散歩に行くくらいは、大丈夫だろうか。



 翌朝は【収納魔法】を獲得して、毎日でも買い物に行きたいと仰有るミオトレールス神官と一緒に、食材を買いに東市場の朝市を訪れた。


「さぁ、アトネスト! 今日は沢山買いますよーー!」

「はい!」


 私はタクトさんが作ったという『軽量化背負子』をお借りして小麦や豆類を、葉物野菜をミオトレールス神官の【収納魔法】で運ぶことになっている。

 この『軽量化』という魔法では、私と同じかその倍ほどの重さであっても、五、六歳の子供より軽いのではないかという程度にしか感じない。


 以前、ガルーレン神官がこれはとんでもない法具ですよ、と教えてくださった時、私だけでなくレトリノもシュレミスもかなり吃驚したのだ。

 重さを感じない、なんて【重力魔法】という黄魔法の上位魔法に他ならないではないか。


市場を巡りながら、店の人達とも少しずつ会話が増えていた。

教会の在籍録を視て、私の名を呼んでくれる人達もいるくらいだ。


「この豆はなんと言うものでございますか?」

「おやおや、アトネストさんは手亡豆を知らないかい? 白手亡は最近ようやっと、続けて入ってくるようになったからなぁ。こっちの茶豆や黄豆と同じ種類なんだよ」


 店の人にどんな料理に使うとか、どんな味かなど聞いていたら、少しずつ色々なものを買って試してみてはどうだと勧められた。

 大抵は煮豆にすれば美味しいと言われたが、少し珍しそうなものを売っている店では必ずと言っていいほど『タクトがよく買っていくよ』と言う言葉を聞く。

 使い方に困ったらタクトさんに聞いたら教えてもらえそうだと、私とミオトレールス神官は様々な食材を買った。


「では、最後はタクトさんの所で保存食を買いますよ。まだ持てそうですか、アトネスト?」

「大丈夫です。ヨシュルス神官から、大きな袋もお預かりして参りましたから」

 お借りする時に【収納魔法】から膨らませたものが十枚以上出てきて吃驚した……ヨシュルス神官の収納量は、順調に増えていらっしゃるようだ。


 南青通り三番の食堂が近付くと、馬の姿が目に入り店の前でガイエスとタクトさんが話している。

 タクトさんが私達に気付き、ガイエスもこちらを振り向いた。

 そしてこの後、教会に行くつもりだったと言われた。

 あ……そういえば、十六日にシュリィイーレを発つと言っていたっけ。


「そうだったのか……すまない、なんだかゆっくり話もできなかった」

「今回は仕方ないだろう。祭りもあったし、教会の昇位もあったんじゃ。儀式的なものは、全部終わったのか?」

「ああ、昨日全部」


 色々とあり過ぎて、全然ガイエスと話せていなかった。

 だけど、私はここにいる……だからきっと、いつでも会えるのだ。


「で、忘れ物はないか、ガイエス」

 タクトさんがそう聞くと、何かを伝えたようだったが私には聞こえずそのまま馬に跨った。

 手綱を引き、ガイエスは馬の向きを変える。

「じゃあな」

「おう」

 軽く笑うその表情に、タクトさんも笑顔で応える。

 その後で私も少し淋しいと思いつつ返事をした。

 ガイエスはそのまま東門へと向かっていった。


 全く振り返らないその姿は、今まで私が知っていた周りにいた冒険者の誰よりも強く頼もしく見える。

 私が決してなれなかったその姿に、ほんの少しの淋しさと憧れがあるが、羨ましさだけはなかった。

 やっぱり、私は冒険者となるには相応しくなかったのだ。


 ずっと初めから、私は神職でありたいと思っていたのだから当然だろう。

 随分回り道をしたが多くのことに導かれて、自分で自分の本当に欲しいものを口に出せるようになった。

 だから次は、誰にでも真っ直ぐに自分の名を言えるようになろう。

 この町の『神職』として。



*******


『カリグラファーの美文字異世界生活』第661話、『緑炎の方陣魔剣士・続』肆第4話とリンクしています。


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