26▷三十二歳 新月十日 - 3

「アトネストさんの生誕日もお祝いできたことですし、他の皆さんのも伺っておこうかなー」

「え、私達も、ですか?」

「そうですよ、ラトリエンス神官。今年はシュリィイーレ教会にとって、新しく生まれ変わる節目の年ですしね! 皆さんの生誕日をお祝いさせていただきたいですし」


 タクトさんは重くなってしまった空気を吹き飛ばすように、全員に生誕日を聞いてまわる。

 さっきまでの全てを見透かすような、それでいて誰よりも優しい瞳をしていた彼が今は友人たちの生誕日を聞いてはしゃいでいる少年のようにも見えた。


 本当に、不思議な方だ、となんだか微笑ましくなる。

 そんなタクトさんに、皆さん加護神まで教えていらっしゃる……皆さんも、ちょっと遊文館で子供達の相手をしている時みたいな表情だ。


 聞いたことを書き付けているタクトさんの手元をミオトレールス神官が不思議そうに覗き込むと、一層得意気な笑顔になって『これは暦帳です』と見せてくださった。

「どの月のどの日にどんな予定がある、とか毎年必ず来る家族や大切な人達の記念日なんかを予め書き込んでおけば、間違って他の予定を入れてしまうことも防げますからね」


 私達三人はミオトレールス神官の後ろに回り込み、開いた綴り帳の両側に日付が書かれていて少し覗くと複雑な意匠のような印と『作付』とか『剪定』などと書かれている文字が見えた。

 シュレミスが、農家みたいだ、と言うのできっと遊文館で育てている野菜の栽培日程であろう、とレトリノと一緒に頷いた。

 あ、十三日に卵と鶏肉が入って来るみたいだ。

 またあの『冷製蒸し卵焼き』が保存食になるかもしれない、と私は少し心が躍った。


 ついさっきまであんなにも締め付けられていた胸の痛みなど、綺麗さっぱりなくなっていることに驚く。

 あれはもう、私には必要がないものなのだ。

 それにしても『ここに居ていい』と言っていただけただけでは満足できずに不安になり『いてくれて嬉しい』と言ってもらえて上機嫌になる自分が、なんて図々しいのだろうと少しだけ……落ち込んだが。

 きっとまた、悩むことも悔やむこともあるだろう。

 だけど、その感情も自分自身も『悪』ではないのだということは忘れないようにしよう。


 どうやらこの暦帳は、近々販売されるらしいので絶対に買おうと決めた。

 多分、レトリノとシュレミスと……ミオトレールス神官達も。



「えーと、レイエルス神司祭の生誕日も伺ったし……これで全員解ったかなー」

 タクトさんがそう言った時、思わず誰もが小さい声で驚きの声を上げた。

 レイエルス神司祭の隣にいたテルウェスト神司祭に、タクトさんは全く声をかけていなかったからだ。

 あ、テルウェスト神司祭の眉が哀しげに下がって……

 きっともう聞いたと思って勘違いしているのかもしれない、と数人が声を出そうとしたその時。


「次に一番近い生誕日は……テルウェスト神司祭ですね」


 あれ?

 聞いて……いたのを私達が見落とした?

 だけど、テルウェスト神司祭まで驚いていらっしゃる。


「えっ?」

「だって、新月しんつきはアトネストさんとテルウェスト神司祭だけだし……三十一日ですよねー! 神司祭昇位のお祝いも兼ねて、素敵な釦飾り作りますからねっ!」

「既にご存じだったのですね……」

「ええ、ビィクティアムさんから聞きました。素敵なものを用意しておりますから、楽しみにしててくださいね」


 なんだ、もうご存じだったから尋ねなかっただけか。

 テルウェスト神司祭のことを予めセラフィエムス卿に……って、そんな話をなさるほどセラフィエムス卿とタクトさんは親しいのだな、やはり。

 やはり……この方と友達付き合い……なんて、この町の子達ではたとえ同世代が多かったとしても無理な気がする。


「それでは、俺はそろそろ夕食と明日の店頭販売の準備に入ります! あ、明日は今日より早めの販売開始になりますので、どうぞ宜しく!」

 そう言ってタクトさんは、あっという間に聖堂を飛び出して『移動』してしまった。



 見送った私は、なんだか……ちょっと、不思議な気持ちだった。

 タクトさんの言葉はいつも唐突で、私を驚かせるだけでなく、感動させたり、励ましたりする。

 時折、信じられないほど苦しむ言葉もあるけれど、それにはいつも思いやりがあると感じられている。

 そして……話した後いつも、つかえが取れたようにすっきりするのだ。


「アトネスト」

 テルウェスト神司祭の声に、振り返る。

「タクト様の言葉は、あなたの強さを信じてくださったからのものでしょう。だけど、つらかったり苦しかったりしたら、そんなに頑張らなくたっていいんですよ?」

 その微笑みは、私が一番好きなテルウェスト神司祭の表情だ。


「……はい。でも、私は自分を全ては信じられず、弱いと思うことで遠慮した気になり、罪悪感を感じることで言い訳を探していたのも、本当です。一度には……直せないかもしれませんが……」

「いいんですよ、休み休み、いきましょう。樹木というのは草花と違って、一夜で大きくなるものではありません。ゆっくり、でいいのですからね」

 レイエルス神司祭の言葉にも、今は笑顔で頷ける。


「それより、アトネスト! タクト様からいただいたものを私達にも見せてくださいよ!」

 ヒューエルテ神官の言葉に、皆さんもぱっと顔が明るくなり私の手元に視線が集まる。

「……蓋は、開けないでくださいね?」

 一瞬、なんでそう言ってしまったのか解らなかったけど、自分の気持ちがするり、と言葉になったことに吃驚した。

 だが皆さんは私の言葉にそれほど注意を向けるでもなく、視線は箱の中身に釘付けである。

 こんなにも全員の注目を集める物が私の物だということに、今まで感じたことがないような得意気な気持ちになる。


「小さい欠片を集めて、形を作っていらっしゃるのだな。藍晶石か?」

「そうですね、これならば神従士が持っていても、全く問題がない貴石です」

「それより、この金属に色が付いているのは、遊文館の職位章と一緒だな! とても美しい水色だ」

「アトネストの魔力文字の色に合わせてくださったのではないか? いいなぁ!」

「そうでしたーーっ! 魔力文字の色もお伝えしておけば良かったですっ!」

「こらこら、皆さん、それはアトネストの祝いの品ですよ」

「あ、そうでした。アトネスト、この釦飾りを着けてみてくださいよ!」


 なんだか……皆さん、はしゃぎ過ぎ……

 釦飾りを襟元に着けると青鼠色の神従士の上衣にも浮きすぎることもなく、なんだかいつもの上衣が少し格上に見える。

「私なんかにこのような素晴らしいもの……」


 とん、と私の肩にガルーレン神官の拳が軽くあたった。

「それだぞ、アトネスト。その『私なんか』という考え方だ」

 アルフアス神官も少し溜息を吐きつつ、そうですよ、と続ける。

「アトネストは特に顕著ですけれどね、レトリノにもシュレミスにも、少しですがその傾向があります。特に、誰かと比べて自分を『下げる』ようなことは、言ってはいけませんよ」

「君達のことを大切に思う人達に対して、その大切な君達の価値を下げるというのは謙虚というのではないからな」


 私達三人は少し照れながら、はい、と頷く。

 大切に思ってくれる人がいる、と心の中で繰り返す。


「ここにいる皆が、皆を大切だと思っていることは、全員が忘れてはいけません。そして神々も私達が思う以上に、私達を思ってくださっているのですよ」

「そうとも。だから努力はちゃんと形になっているだろう?」


 テルウェスト神司祭の言葉に感激し、レイエルス神司祭の笑顔に一瞬なんのことだろう、と首を傾げるが、シュレミスがぽつり、と呟く。


「そうか……だから、恩寵、なのですね……?」

 レイエルス神司祭が頷くとレトリノが、さっと身分証を取り出す。

 どうして身分証……あ、そ、そうか……!


 身分証に示される技能や魔法は『神々の恩寵』なのだ。

 神々がご覧くださっているから、私達に解るように私達の言葉で示してくださっているのだ。


「ああーーっ! 私っ! 【収納魔法】がっ【収納魔法】がありますーーっ!」

「こら、ミオトレールス神官! こんな所で身分証を広げてはいかん!」

「あ、失礼いたしました……でもっ、でもっ! 【収納魔法】が増えているのですーー! やったぁ!」


 レイエルス神司祭がくすくすと、その様子を見て笑いを漏らす。

「【収納魔法】は貴族らしくない、とあまり大っぴらにしない方々が多いのに、シュリィイーレ教会の方々は違うのですなぁ」


 あ、ヨシュルス神官とミオトレールス神官がちょっと、ニヤッとした。

 そしてふたりして如何に【収納魔法】が素晴らしいか……を、滔々と語り出す。

 レイエルス神司祭がもの凄く真剣に耳を傾け、時折頷いている姿が少しおかしいというか、微笑ましくてつい笑みがこぼれる。


 なんだか、ずっと笑っている気がする。

 シュレミスもレトリノも、皆さん全員が。


「それでいいんです。生誕日は、笑顔でいるのが一番、なのですよ」


 笑顔の生誕日。

 それも、私にとっては、物心ついてから初めて経験するものだった。



*******

『カリグラファーの美文字異世界生活』第650話とリンクしています。


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