25▷三十二歳 新月十日 - 2
私達はそのまま藍通りではなく、あまり通らないが珍しいものが売っている店が幾つかあるという東・白通りを抜けて教会に戻ることにした。
シュレミスが行ってみたがやっていなかった、という店は祭りの今日も開けてはおらず、店主は他領に行っているという。
……窓から見える中の棚の上に置かれているものが……なんだか蛙みたいなのだが……あ、いくつか置いてある。
その商人というのは、もしかして……と思いつつ、いつか帰ってきたら会えるだろうか、と楽しみがまたひとつ増えた気がした。
教会に着き、テルウェスト神司祭といらしていたレイエルス神司祭にも祭りのお土産を渡した。
今日はレイエルス神司祭も一緒に夕食にしましょう、と前々からテルウェスト神司祭が約束していらしたのだという。
「嬉しいですね、春祭りだけでなく君の生誕日を祝うこともできるとは」
「……ありがとうございます、レイエルス神司祭」
シュレミスとレトリノからなんて贅沢なことだ、とか自分達の生誕日では春も秋も祭りとは重ならない、と呟く声が聞こえる。
夕刻の祈りの時間の準備をしていると、聖堂に入ってくる人影が見えた。
「こんにちはーー……」
「おや、いらっしゃいませ、タクト様」
まだ私達以外は誰もいないからか、テルウェスト神司祭はタクトさんに敬称をつけて呼ぶ。
「アトネストさんが生誕日と伺ったので、是非とも記念の贈り物を差し上げたくて」
「そうでしたか!」
え……?
さっき知ったばかりの私の生誕日のために……態々?
タクトさんは私の姿を見つけると、笑顔で小さい
手絡の結び方が、まるで花のようだ。
「生誕日、おめでとうございます。アトネストさん」
「ありがとう……ございます……!」
皆さんから拍手という素晴らしい祝福をいただき、更に恐縮する。
拍手は言葉を発することのできない場所、言葉だけでは気持ちを表せない時の最大の祝福だ。
「あ、開けても、よろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
手絡を外し、片手で簡単に畳んでから衣囊にしまう。
これも、ずっと取っておきたいと思ったから。
硝子の透明な箱は、開かなくても中身がみえるし箱の側面に浮き彫りがあって美しい。
……私の名前と年齢、そして祝いの言葉がまるで大切な宝物のように飾り細工になっている。
透明で平らな蓋を開けることすら勿体なくて、私はそのまま中を見つめる。
「釦飾り……ですか」
「はい、これなら襟留めに使っていただけるかなーと思って」
その上に藍色の……この石はなんというものだろう……聖神二位の色、だ。
「象ったのは『ケヤキ』です」
え?
「え……ケヤキ、ですか?」
それは確か『槻』のことではなかったか?
遊文館で確かめた……あの、アーメルサス神職家門に使われていた『葉』の……
顔が強ばるのが解った。
どうして、今更私に『槻』の意匠などを?
でも……これは『葉』ではないみたいだが……?
「はい。『ケヤキの花』です。俺の勝手な憶測で失礼なんですが……アトネストさんは、どこかでまだ皇国に来たことに罪悪感を持っているんじゃないですか?」
「……!」
罪悪感……?
予想していなかった言葉だった。
「生まれ育った場所が、どんなところであったとしてもそこを離れるということは並大抵の決意ではないと思います。だから吹っ切ったと、なんの気持ちも残っていないと……『思い込もうとしている』ように感じるんです。でも、それがアトネストさんの中で罪の意識になっているのではないか、と」
目を閉じ言葉を探すが、見つからない。
私はあの、いつも感じる胸の痛みを思いだしていた。
自分が少し震えているのが解る。
「故国を離れて自分の好きな道を選ぶことに、後ろめたさを感じているんだと……俺には思えるのですが?」
タクトさんの言葉が耳に届く。
その声が私の中へ入って、私の隠していたかったものを表に引き出す。
そうだ……『罪悪感』……私はいつも、自分が幸福になどなれないとどこかで思っていた。
いや、なってはいけないと、思っていた?
アーメルサスにいた頃は加護神と職位のせいにして、皇国に来てからはアーメルサスでの過去と魔力量のせいにして。
神職家系である私が、そこから弾かれてしまったのは自分が劣等だったからだという罪悪感。
冒険者になった時には、弱くて役に立たないことへの罪悪感。
皇国に来てからは魔力量が少なく、人の気持ちがわからないことへの罪悪感。
そして……故国を『捨てた』という……ことにも?
だけど、私はそれを感じることで……自分を支えていた。
こんなに悪いと思っているのだから、こんなに反省しているのだから、今幸福だと感じてもいつまでも続くはずはないと知っているのだから……許して欲しい、と。
許す……?
誰が……?
見捨ててしまった国の全てを忘れて幸福になることの、なってしまうことへの後ろめたさ。
今の『
そして『逃げたのではない』と思いつつも完全に否定できず囚われ続けていることにまた『罪悪感』を持ち……安心している。
罪悪感を持ち続けているからこそ『謙虚でいられている』と思っているのだろうか……?
タクトさんがゆっくりと、どうして『槻の花』にしたのか、と語り出す。
「あなたの一門の印章に『槻の葉』が使われていたと言ってましたよね。そして、あなたは自分はその葉になれなかった、と」
私の側に、シュレミスとレトリノが来てくれた。
そうだ、もう、私は私の中の意味のない『罪悪感』など支えにせずとも、信頼できる人がいるではないか!
「なれなくて当然です。あなたは『葉』ではなく『花』だったんですから」
……当然?
私は初めから『葉』に、アーメルサス神職になるべき者ではなかった……?
「花、ですか?」
釦飾りの模様の花は、小さい花弁を天に向かって広げているように見える。
「ええ。槻の木には同じ木に春になると雄花と雌花のふたつの種類が咲きます。そして花弁を開いた花が花粉を受け取り、秋に実となる」
「春に咲いて……秋に……」
「そうです。その小枝は葉を翼にして遠くへ遠くへと、風に乗せてその種を運ぶのです。そして辿り着いた地で芽吹き、ゆっくりと大地と水と風に育まれて大きく育つ大樹となる。それがアトネストさんだと、俺は思っています」
花は実となり、風に飛ばされて全く違う場所に辿り着く。
それは『予め決められていたこと』で、神々の御手によるものだと?
ならば、神々のなさったことに罪悪感など持つのは……意味がないどころか、見当違いだ、ということだろうか。
「あなたは、元々の木を肥らせ次代への栄養を取り込むための葉や幹ではなく、花となり実となって遙か遠くの大地で『新しい樹』として根付くために旅立つことが決まっていた。そして、神々が用意してくださったあなたが芽吹くべき場所は、シュリィイーレだった。だから、今、ここにいて、ここを好きになってくれたんだと思います」
初めて自分で『好き』と言えた全ては、私なんかが手にしていいものなのかと……多分、不安だった。
いつか、なくなってしまうのではないかと、なくしてしまった時に少しでも痛みを和らげるために私はいつも無意識に『罪悪感』を利用していたのだ。
そして幸せだと思わないことで、それから逃げていたのだ。
「ここが……私の場所だった、と思って、いいのでしょうか……?」
「勿論ですよ! これからは、シュリィイーレでアトネストさん自身の『自分のための枝葉』を大きく広げていってこの皇国でしっかりと根付くことが、神々の望みだと俺は思います。今日が、その記念すべき皇国での最初の生誕日なのです」
タクトさんは、好きになることも幸福になることも、そのために昔と違う生き方をして関わる全てが変わることも絶対に『悪』ではないと力強く言う。
そして、全部神々のせいにしていいんですよ、と笑う。
こういうところ、本当に強くて、羨ましいと思う。
そうだ。
神々はいつでも、罰さず、試さず、見守ってくださるのだ。
「神々は、必要な場所に必要なものを配する。アトネストさんにとってシュリィイーレが必要で、シュリィイーレにとってアトネストさんが必要だった。だから、ここで生きていける全てが整った。今、この教会にいてくださる皆さん全員がそうだと、俺は思いますよ」
信じよう。
もっと、自分を。
もっともっと、強く在ることができると、折れずに大樹になれると思えるように。
このシュリィイーレで生きていていいと言ってもらえたのだ。
私のことを『必要だ』と。
自分と、そして自分に微笑みかけてくれる人達を信じよう。
幸福になることを躊躇ったり、否定したりするのは、今の私を支えてくださる方々への冒涜だ。
神々もきっと、それは望んでいないと思っていても……いいだろうか。
「俺は、いえ、遊文館の子供達もみんな、アトネストさんにここで楽しく過ごしてもらえることが嬉しいんですからね」
言葉は、何も出なかった。
ただタクトさんの言葉が嬉しくて、小さく頷くのが精一杯だった。
いつか、この釦飾りが私の誇りだと笑顔で言えるように、ここで、生きていこう。
「生誕日、おめでとうございます! 素晴らしい一年となりますように!」
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『カリグラファーの美文字異世界生活』第649話とリンクしています。
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