24▷三十二歳 新月十日 - 1
春を迎える感謝の祭り。
シュリィイーレでは厳しい冬を乗り越え、天光の光と暖かい風が届き人々が町に溢れる。
冬の間に作っていた刺繍紙が、天光が上がった時から祈りに来てくださる方々に配られる。
昼までは半刻間ごとに司祭の祈りの時間があり、壇上にお出ましになるテルウェスト神司祭の祭事衣装が今までと違うことに気付いた方々が、チラチラと振り返りながら囁き合う。
まだ、シュリィイーレ教会の位階変更とテルウェスト神司祭の昇位については正式に発表になっていない。
明かされるのは五日後、
私もだが、シュレミスもレトリノもワクワクしていた。
祭りは勿論なのだが、それが正式に発表になり王都から届く『教会在籍者詳録』という石板に教会所属者の名前が載るのだ。
それは全ての教会の聖堂前に掲げられており、この教会在籍の司祭、神官、神従士の名が刻まれている。
私達が、ここに居ていい……そう、認められる最後の『印』なのだと感じていた。
しかし、私には少し、不安があった。
まだ、帰化が完全に整っていない私は……果たして、それに載るのだろうか。
五刻半の司祭様の祈りが終わった時に、ひと息ついた私達も聖堂を離れて食堂にいた。
そしてシュレミスが私に聞きたいことがあるのだ、と言ってきた。
「アトネスト、君の身分証入れは何処で買ったものなんだい? この町では美しい身分証入れを着けていらっしゃる方が多いんだが、皆さんが買った場所の店はずっと閉まってて僕は見つけられなかったんだよ」
「ああ……これは、えーと、確か東大市場近くの東・藍通りの小さい硝子細工の店……だったはずだ」
「東・藍通り? 僕が聞いたのは東・白通りだったな……よし、祭りの時に行ってみよう!」
「ちょっと見せてくれよ、アトネスト」
レトリノの言葉に身分証を取り出す。
身分証を外し、入れ物だけを渡した時に……ふと見た自分の年齢が、変わっていた。
「あ……今日だったのか、生誕日」
レトリノが首を傾げる。
それに透かさずシュレミスが説明を入れる。
「国が違うと暦が違うから、日がズレるのだよ。僕もガウリエスタで使っていた暦と皇国歴では二日、違った」
どうやら、ガウリエスタの暦だと北部と南部で違うものを使っていたようだった。
シュレミスのいた南東部はガウリエスタの昔からのもので、北部では皇国歴を使っていたのだとか。
「アーメルサスは年末に二日足すから、皇国歴でいつになるかがよく解らなかったのだが……今日、だったみたいだ」
「それはめでたいな! よしっ、皆さんにも伝えて……」
と、レトリノが立ち上がった時に、テルウェスト神司祭が入っていらして『いいことを聞きました』とニコニコなさる。
「春の祭りは雪の加減で毎年日がずれますから、皆さんがこの教会に来てくれた今年の祭りと生誕日が重なるなんて、素晴らしいことですね!」
「そうですね、いい生誕日になったね、アトネスト」
ガルーレン神官にもそう言っていただけて、他の皆さんにも祝いの言葉をいただいた。
「ではっ! 私が焼き菓子を作りましょう! 今日の夕食の後は祝いにしましょうね! レイエルス神司祭もいらっしゃるから丁度いいです!」
テルウェスト神司祭のその言葉に全員が歓声を上げる。
聖神司祭様に手ずから菓子を作ってもらえる神従士なんて、皇国中探したって誰ひとり……いや、史上初に違いない!
なんという光栄なことだろうか!
そして……初めて、ではないだろうか。
『生まれた日を祝ってもらう』ことなど。
いや、五歳までは祝われていたのかもしれない。
残念ながら、記憶には全く残ってはいないのだが。
二十五歳の生誕日、成人の儀の時に友人だと思っていた彼等からも、一年以上一緒にいたミレナからも言われたことはない。
生まれたことを祝う言葉など、ただの一度も聞いた記憶がない。
私の存在を、こうして喜びの言葉で認めてくださっているのだ。
大袈裟かもしれないが、生きててよかった、と心から思える。
ちくり
まただ。
昔を思い出す度に、まだ胸の奥が痛むことがある。
乗り越えられていないのだろうか、それとも吹っ切れていないのだろうか。
全て捨て去ったはずなのに、いつまで些細な思い出にかき乱されているのだろう。
この痛みを感じる度に、ほんの少し後ずさりしているように感じることが、酷く嫌だった。
昼日刻を過ぎ、お腹を空かせたままの私達は楽しみにしていたタクトさんの店頭販売を買いに出かけた。
残念ながら司祭様だけは教会に残られるので、必ずお土産を買っていこう、と皆で色々と眺めながら南・青通り三番の食堂に向かう。
食堂に近付くと、ちらり、と別の通りへ歩いて行くガイエスの姿が見えた。
やっぱり来ていたんだ。
春祭りには来る、と言っていたから会えるかもしれないと思っていた。
でもきっと祭りの二日間は無理かも……ガイエスは人混みに紛れ、私達はタクトさんの『新作』を買うべく列に並んだ。
店頭でタクトさんの姿を見て、ちょっと安心する。
いつもの『タクトさん』だ。
新しくお作りになった『プパーネ』という面白い名前の……菓子ではないのかな?
だけど甘いものもあるようだし、イノブタ肉が入ったものもあるみたいで私達は全種類入りと書かれた袋のものを司祭様の分と併せて買った。
その時、ミオトレールス神官が今日はアトネストの生誕日なのですよ、とタクトさんに話していた。
「えっ! 今日、アトネストさんの生誕日なんですか?」
少し驚いたように、でも笑顔で尋ねられ、はい、と答える。
「皇国の暦でいつになるのかが全然解っていなかったのですが、先ほど見ましたら三十二になっておりました」
「それは、おめでとうございます! 祭りで生誕日だなんて、素晴らしい一年の始まりじゃないですか!」
ああ、この言葉だけで充分だ。
タクトさんに『認めてもらえた』のだと思えることが、とても嬉しかった。
ラトリエンス神官が、テルウェスト司祭が焼き菓子を作ってくださるのだと、話すとタクトさんだけでなくタクトさんの父君も吃驚したようなお顔をなさっていた。
このふたりを見ていたら、血が繋がっていないはずなのに似ているんだな、と微笑ましくなった。
態々『司祭』と仰有ったのは、まだ神司祭昇位が正式発表ではないからだろう。
その後、混み合う南・青通りを抜けて、私達は東・藍通りへ向かう。
近道をしてもいいのだが、折角の祭りだからと店が多く立ち並ぶ辺りを歩きつつのんびりと。
そしてうろ覚えだったので不安だったが、私が初めてシュリィイーレに来た日に買った身分証入れを売る店を見つけることができた。
「あら、神官さん達がお揃いでいらっしゃるなんて、珍しいわね」
「実は身分証入れを探しておりまして」
店の女性にレトリノがそう聞くと、身分証入れはこちらよ、とそちらを見ると店の前にずらりと並べられた棚があった。
私が見た時はこんなに沢山はなかったと思うのだが、どうやら春祭りでお客が多いから沢山並べているのだという。
「すまない、実は妹が近々この町に来るのだが……その、贈り物にしたいのだ。何が良いだろうか?」
「あら、素敵ね! 妹さんの加護神は?」
レトリノが店員と話している間、シュレミスも神官の皆さんもとても美しい細工の身分証入れを眺めて楽しそうになさっている。
どうやらシュレミス以外の皆さんは既に何個かお持ちのようで、追加で買おうかと悩んでいらっしゃるようだ。
「決めました、タクトさんの意匠の物を追加で買います!」
「おや、ミオトレールス神官はまだ持っていなかったのか?」
「いいえ、四個目です」
「……買い過ぎでは?」
「色と使っている石が違えば、別のものですし」
ミオトレールス神官とアルフアス神官の会話に私とシュレミスだけでなく、店員の話を聞いていたはずのレトリノまで振り返る。
『タクトさんの意匠』……?
不思議な顔をする私達に、店員の女性はくすくすと笑う。
「タクトくんが考案したのよ、この身分証入れ。鎖とかの金属部分はタクトくんしか加工できない特別な金属だから、今でもタクトくんに作ってもらっているの」
「い、一等位魔法師様が、身分証入れを、ですか?」
「うーん、まだ一等位を取る前……成人する前から作ってくれていたのよね。だから、うちには特別に作ってもらっているの。この意匠の印があるものが、タクトくんの加工した金属と魔法が付与されたものよ」
その店員の言葉にレトリノは買うつもりがなかった自分の分まで買い、シュレミスは纏めて三つも買っている。
まあ、私もひとつ、買ってしまったのだが。
「えええっ? 蓄音器もタクト様がお作りになったのですかっ?」
シュレミスが驚きの声を上げるのも無理はないけど、硝子細工店にいた客全員が振り返るほどの声だったのでラトリエンス神官に注意されていた。
「ふふふっ、そうよぉ。まー、神従士さん達だと『タクト様』って言っちゃうのも解るけどね。タクトくんは一等位魔法師だから。だけど、タクトくんと年が近い神従士さん達は、あんまり距離を作らないであげて欲しいかなぁ」
その女性が言うにはタクトさんは、友達と呼べる同世代が全くいないのだという。
「まぁ、仕方ないんだけどね、ここに来たのが十九歳だったし。だけど、関わっている人達が衛兵隊とか、自警団のお爺ちゃん達ばっかりで心配になっちゃうの。若い友人がいた方がいいと思うのよ! うちのレンくんも凄く心配していたし、友達っていうのが難しかったとしても、同世代ってことでたまには話してあげてねっ!」
私達は顔を見合わせて、そういえばタクトさんが『町では普通にしてて欲しい』と言っていたのを思い出す。
同世代ならではの話……残念ながら私は、あまりできそうもないなぁ、と小さく溜息を吐いた。
「あっ」
ラトリエンス神官が、買った身分証の釣り銭を受け取る時に持っていたプパーネの袋を落としそうになって、慌ててヨシュルス神官が支えていた。
「よろしければこれを使ってください、ラトリエンス神官」
さっと差し出されたのは、手提げ袋だった。
「ありがとうヨシュルス神官……君は……色々なものを持ち歩いているのだな」
「そういえば、この間いきなり出した手桶は……?」
「ああ、私も気になっていた。あの時は状況が状況だったので聞けなかったが……」
言われてみればそうだ。
尋ねてきたガルーレン神官とラトリエンス神官に向かって、今日も持っていますよ、と笑顔で手桶を取り出すヨシュルス神官。
「実は【収納魔法】で食材を運んでいて気付いたのです。小さくて重いものは魔力は沢山使うのですが大して魔法の成長に繋がらず、軽くても嵩張る物を多く入れている方が重い物を入れていた時と同じ魔力使用でも【収納魔法】の容量が多くなるのですよ!」
「え、そうなのか?」
「はいっ! ですから、手桶とか膨らませたままの袋とか、軽くて嵩張るものを沢山入れて容量を大きくしようとしているのです!」
それを聞いていた店員の女性も少し驚いた顔をしている。
「まぁ! 流石、神官さんねー! どうやったら、その魔法が使いこなせるかを色々試していらっしゃるのね」
「折角授かった魔法ですから……やっと第一位になったばかりなので、まだまだですけどね」
「凄いわよ、第一位なら! あたしもその方法、試してみるわ。ありがとう、いいこと教えてもらっちゃった!」
そうか、神官の方々も町の方々も、自分で考えて努力なさっているんだな……
私も自分の魔法をもっと伸ばせるように色々試そう!
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『カリグラファーの美文字異世界生活』第648話とリンクしています。
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