21▷三十一歳 新月五日 - 2
聖堂に入って来たその人の姿に、ミオトレールス神官とラトリエンス神官が驚きの声を上げる。
「テルウェスト司祭?」
「王都からのお帰りなのに、越領門の部屋からではなくて町の方から?」
だが、その問いかけには答えず、テルウェスト司祭ははっきりとした声で『全員を集めてください』と仰有った。
その様子を盗み見ていた私達は慌てて顔を引っ込めたが、ラトリエンス神官に見つかっていたので、すごすごと聖堂に入る。
すぐに全員が揃い、テルウェスト司祭の前に並ぶように立つ。
……なんだか、テルウェスト司祭が少しだけ後ろを気にしていらっしゃるようだけど……?
「まずは皆さん、留守中の管理ご苦労様でした。無事、何事もありませんでしたか?」
「「「「「「「「「はいっ」」」」」」」」」
返事くらいなら、遅れずに声が出るようになった。
揃うと、なんだか気持ちがいいものなんだな、とちょっと笑いが漏れそうだった。
「それは、よかった……」
そう仰有ったテルウェスト司祭は、さぞ安堵の表情かと思いきや……真っ直ぐに口を結んで真剣な眼差しのまま……何も仰有らない。
……
……
私達もどうしていいか解らず、全員で微動だにしないまま立ち尽くした。
暫くして、テルウェスト司祭が意を決したかのように口を開く。
「……レトリノ、シュレミス、アトネスト」
私達三人は、その真剣な表情に少し、気後れする。
何か重大なことを言われるのかもしれない、と両側のふたりからも緊張が伝わってきた。
すぐにでも新しい教会へ……などと言われたら……どうしよう……
「私は……あなた方に、ずっとシュリィイーレに居ていただきたいと思っていますっ!」
え?
「この町に、この教会にずっと、居てもらえないですか?」
一瞬、私の願望が、都合よく耳元で音になりテルウェスト司祭の言葉のように聞こえているのでは、と思った。
ずっと、ずっと願っていた一番欲しい言葉だったから。
「はいっ! 喜んでっ!」
右側のレトリノの声が少し震えている。
「僕も嬉しいです! 是非ここに置いてくださいっ」
左側から聞こえるシュレミスの声は、弾んでいる。
「私も、ここにいたいです」
やっと絞り出した私の言葉は、胸が詰まってこれ以上形にならない。
笑顔と泣き顔がぐちゃぐちゃになったようなテルウェスト司祭の両腕が、私達三人を抱きしめる。
力のこもった腕と、小さく聞こえた『ありがとう』と言う呟きに、私はこれ以上ないほどの喜びを感じていた。
……いや、多分、レトリノもシュレミスも。
アルフアス神官が、ちょっと驚きつつ司祭様に手巾を差し出す。
「三人が、ずっとここにいても大丈夫になったのですか?」
「そうですよ、シュリィイーレ教会には神従士をおけないと、ずっと王都の方から……」
そして、ガルーレン神官は、私達の歓喜がぬか喜びでないことを確かめようとしてくださっている。
「……びばぜん、いば、ぜづべぃじば……」
テルウェスト司祭が何を仰有ったかは、ちょっと聞き取れなかった。
ヨシュルス神官は【収納魔法】に入れていらしたのだろうか、浅めの手桶に水をだして、テルウェスト司祭にお顔を洗ってくださいと差し出す。
そして二、三度お顔をすすぎ、ミオトレールス神官から拭き布を受け取ったテルウェスト司祭がその布をまだお持ちのまま話し始める。
皆、テルウェスト司祭に促されて司祭を囲むように座って、ゆっくりと話される内容に耳を傾ける。
「今回、教会内部での異動が非常に大規模で行われる、ということだけは皆さんもご存じだったと思います」
テルウェスト司祭の言葉に、誰もが頷く。
「教会内で起こっている数々の事件やでき事などを鑑み、司祭と神官の異動や還俗の受け入れも行われますので、教会全体での大きな異動が行われることになりました」
還俗希望者……さっき、シュレミスとレトリノが話していたような教会の神職達だろうか。
神々の傍らを離れることになったとしても、その場に居たくないと思うほどのことがあったのだろう。
「神従士達は領内のみの異動と決まったのですが……司祭と神官は、場合によっては他領にも動きます」
私達は神官の皆様の緊張した雰囲気に少しばかり身を強ばらせ、もしどなたかが、いや、全員が居なくなってしまったら……と、不安が押し寄せた。
だがそれはすぐさま否定されたテルウェスト司祭の言葉で、安堵に変わる。
「ああ、皆さんは異動にはなりませんよ!」
よかった……それだけで充分だ。
「と、いうか……今後、シュリィイーレの神官や神従士は、何処にも転属できないかもしれません……」
目を伏せた司祭様は、肩を落として持っていた拭き布を握り締めた。
「会議に出ている上位司祭達の数名と……ちょっと、大喧嘩になってしまいまして……」
テルウェスト司祭と『大喧嘩』という言葉が、結びつかない。
いつでも穏やかで……あ、いや、タクトさんが襲われたあの時は……凄く、怒ってらっしゃったっけ。
あの一瞬のうちに展開された炎の魔法は、凄い威力だった……
「『シュリィイーレの神官も神従士も何処にも渡さない』と言ってしまいました」
その言葉に感動しなかった者など、この場にはひとりも居なかっただろう。
テルウェスト司祭に、私達は守っていただけたのだ。
他の上位司祭様達を敵に回しても、私達を。
でも、テルウェスト司祭は私達から帰る場所を奪ってしまったとお感じになり、とても後悔していらっしゃるように見えた。
そんなことなどないのに!
私はこんなにも嬉しいことなどないと、感謝の気持ちでいっぱいだというのに!
それはラトリエンス神官も、ヨシュルス神官も同じであったようだった。
「いいえ、我々の帰る場所は『シュリィイーレ』です」
「そうですよっ、司祭様っ! 私は既にシュリィイーレ在籍にしておりますしっ!」
それには、アルフアス神官が少し驚いたように聞き返す。
「そうだったのか、ヨシュルス神官……君も、とは……」
「え、それじゃ、アルフアス神官も?」
アルフアス神官は頷き、ラトリエンス神官と顔を見合わせて考えることは同じだ、などと微笑む。
既にシュリィイーレ在籍だった方もいらしたが、
これは、テルウェスト司祭もご存じないことだったようで随分と驚かれている。
私も……私も、この町に居るのであれば、居ていいのであれば、帰化誓約地をシュリィイーレにしたい!
そして私の両肩に手を置くふたりも、きっと同じ気持ちだろう。
「あ、あの、私達も、シュリィイーレ在籍になれるのでしょうか?」
テルウェスト司祭は驚きつつも……微笑んでくださった。
「それは構いませんが……いいのですか?」
少し、息を整えて、心からの気持ちを口にする。
「はい。私は……シュリィイーレが、好き、ですから」
言えた。
初めてちゃんと、ここが好きだから、シュリィイーレが、この教会が好きだから、ここに居たいと。
「私も在籍地を変えますっ!」
「僕もそのつもりですっ!」
レトリノとシュレミスの宣言にテルウェスト司祭だけでなく、ガルーレン神官も家族に相談せずに決めていいのか、と問う。
するとシュレミスが大丈夫です、と笑う。
「弟も成人しておりますし、母も姉も全員ちゃんと働いておりますから僕なんて必要とされていないですしね。それに、リバレーラからシュリィイーレなんて五日もあれば着きます。他国と違って町が離れているからといっても、命がけで旅をするということはないですからね! 馬車方陣も使えますし!」
そうだ。
皇国では武器など持たずに、何も恐れることなく隣町までどころかどこへでも行くことができる。
遠くの家族の元へも馬車方陣で繋がっていて、どの町でもどの川でも安全な水が手に入るし、方陣札で水も出せるのだから飲み水さえ持たずに遠出も可能なのだ。
他国の町中で隣の家に行くより、皇国で越領の旅をする方がずっと安全だ。
「私もそう思います……が、私は妹をシュリィイーレに呼びたいと考えております。それは……構いませんか?」
「勿論です。家は、教会で信頼のできる方に斡旋していただけますが……仕事があるかどうかまでは……」
「妹は私なんかと違って魔力が多いので、大丈夫です! 緑属性ですから、仕事は自分で見つけられると思います」
レトリノは女系家門だから、妹の方が魔力量が多いのだ、と言っていたことがあった。
緑属性ならば、仕事は何処ででもあるのかもしれない。
『よるはね、おねがいごとを、かみさまたちがみつけてくれるんだよ』
あの子にお礼をいわなくちゃ。
お願い事、見つけてもらえたよって。
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『カリグラファーの美文字異世界生活』第637話とリンクしています。
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