18▷三十一歳 新月初旬 - 1
天から重苦しい冬雲が消え、新しい年の幕開けは天光の光が弾ける雪の煌めきに包まれた。
新年は朝早くから祭りの時のように、その年の守りと豊穣を願うために神典や神話の言葉を書いた刺繍紙を配る。
年末はその作製で、そして年明け最初の日の昼まではその配布と教会に訪れる方々への対応で追われ、あまりものを考えることもなくあっという間に過ぎていった。
「では……いってきますね」
心底行きたくない、とお思いなのだろうか、テルウェスト司祭は力なくそう仰有るとその日の昼過ぎに越領門で王都へと赴かれた。
そして人々の来訪がなくなる夕刻の頃、私達はやっとひと息ついて食堂に集まり夕食となった。
不思議な感じ、だった。
いつも必ずここにいてくださるテルウェスト司祭が、どこにもいないからだ。
おかしいな……今までだってひとりになることも、側にいた人がいなくなることも経験済みだったはずだ。
二度と会えないと思うような別れだって、何度もあった。
なのに、必ず返って来てくださると解っているのに、堪らなく淋しく感じる。
レトリノもシュレミスも、この教会の誰もがどこかでそう感じているのか、時折テルウェスト司祭がいつもお座りになる場所に、視線が向いてしまうみたいだ。
「今頃……王都でもお食事時でしょうか」
「美味しくないだろうなぁ、王都のものなど」
そう仰有ったラトリエンス神官に、シュレミスが不思議そうに尋ねる。
「王都は色々なものが集まる場所と伺いましたが、食事……美味しくないのですか?」
私もそう思い、王都の食事事情をご存じと思われる方々の苦笑いのような表情の意味を掴みかねていた。
すると、皆さんが口々に王都の食事について思うところを話してくださった。
「確かに王都はなんでもあるよ。だが、王都、というか、特に中央に近くなるとね、伝統的であるということに変に拘るものが多くてねぇ」
「そうなんですよねぇ。材料が違うというのに、同じような味付けばかりが並ぶのは勘弁して欲しいです」
「決して、不味いという訳ではないのだぞ? ただ、朝も昼も夜もずっと毎日、ほぼ同じような味わいなのだ……」
「そうでした……もう、あの生活は無理です……食事は楽しむというものではなく、魔力と体力の回復のために腹に入れるという作業……」
「中央区でも、臣民達の町の食堂に入った時の方が旨いと感じたなぁ……」
「私はずっとエルディエラだったから、伝統的というものに少し興味はあるが」
「一食で充分ですよ、あれは。テルウェスト司祭、きっと泣きながら召し上がっていますよ」
「保存食、持っていらっしゃらなかったのだろうか?」
ガルーレン神官以外の皆さんが語る王都の食事。
随分と偏った味のものばかりなのかもしれないと、なんだか……逆に興味が出てしまった。
そういえば、年の末に副長官殿が何度も行き来をしていらっしゃったけど……たっぷりとタクトさんの所の保存食を抱えていたことがあった。
そうか、王都のお食事がおつらかったのだな……
わいわいとこんなにも楽しく話をしているのに、私はどこかで『この日々はもう終わってしまうのだ』と切ない気持ちを拭うことができずにいた。
この町が好きだと感じるのは、この方々が、レトリノとシュレミスが、そしてテルウェスト司祭が……好きだから、だろう。
好きな人達だから、別れがつらいと悲しいと感じるのか。
昔の私だったら、こんなにつらい気持ちになるのなら誰も好きになどならない方がいいと思ったかもしれない。
好きになれたことの喜びより、自分を守ることだけに必死になって。
タクトさんの言葉が、ふいに甦った。
『喜びを感じるのに、血の繋がりは関係ないでしょう? 好きな人や大切な人だったら、嬉しくならないですか?』
やっと、そう思える人達と出会えた。
やっと、共に喜び、共に笑い合うことがどれほど嬉しいかを知ることができた。
なのに。
食事の後、苦もなく使えるようになった『洗浄の方陣』で食器を洗い片付ける。
何をしていても、あとどれくらいこうしていられるのだろう、と苦しくなる。
いつの間にか……涙が出ていた。
慌てて拭い、気持ちを切り替えようと水で顔を洗う。
飛沫を拭う布から顔が放せないのは、いつまでたっても涙が止まってくれないからかもしれない。
情けなく感情を乱す時に、いつも背を擦ってくださるテルウェスト司祭は今いらっしゃらないのだ。
自分で気持ちを立て直さなくてはいけないと、解っているのに。
その時、肩に手を置かれる感触があった。
レトリノ、そしてそのすぐ後ろにシュレミスもいる。
だらしなく泣いている私に何も言わず、ふたりは肩をそして背中を軽く叩く。
「……ずっと……ここにいたい……」
絞り出すように、そう、言ってしまった。
できないことと解っているのに、納得しているはずなのに、そうしたくない。
肩に置かれていたレトリノの手に少し力がこもり、視線を外しながらも悔しげに見えるシュレミスの顔。
きっと、ふたりも同じ気持ちなのだと、そう思っただけでまた涙がせり上がってくるようだった。
私達には……何も、できない。
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