11▷三十一歳 更月下旬-7

 目が覚めた時、喉がカラカラだった。

 朝日が当たる窓辺には、珍しく雪が止んでいて青い空が見えていた。

 清々しい、とはこのことだろう。

 卓に用意されていた水差しから水を汲んで、飲み干す。


 すると、かちゃり、と扉が開いて司祭様がいらした。

「目が覚めたのですね! よかった!」

 え? よかった?

 話を伺うと、どうやら私は丸々一日、まったく目を覚まさなかったらしい。

 本気で具合が悪かったのだな、と改めてタクトさんに感謝した。

 あの時にドルーエクス医師に診ていただかなかったら、突然原因不明で倒れていたのかもしれない。


 もう昼食が終わって、皆、遊文館に行ってしまったようだった。

 まだ少しふらつくだろうか、と歩いてみたら意外と大丈夫だったので一階の食堂まで降りた。

 司祭様が一番柔らかい煮込みならば食べられるでしょう、と保存食の『灯火薯と人参の玉葱茶煮込み』を用意してくださった。

 あ……美味しい。


 レトリノは肉が入っていなくて物足りないというけど、私はこの野菜煮込みが大好きだ。

 ちぎったパンを入れ、柔らかくしたものも一緒に食べると格別……

 ふぅー……なんだかやっと、体に温かさが戻ってきた、という感じだ。


 テルウェスト司祭が厨房への扉の向こう側から食堂を覗くようにして、私に声をかけてきた。

「アトネスト……まだ、何か食べられそうですか?」

「え、ええ……少しなら」

 にゅっ、と差し出されたその手にあった皿には、『蒸し焼きクレマ』が乗っていた。

 甘い卵の入ったクレマが使われたそれは、焼いてあるのにプルプルしていて舌触りが良い冷たい菓子。

 苦いのに甘いという、不思議な味の焼き溶かした砂糖がかけられている。


「これは、体調が少しだけ悪い時に食べると、回復が早くなる不思議な菓子なのですよ」

 そして、みんなには内緒です、とふたりで食べた。

 美味しいです、凄く!

 なんだか……楽しくなって、思わず笑ってしまった。


 司祭様から、移動の方陣鋼を使った時に不具合はないのですよね、と改めて尋ねられそれは全くないと答えた。

 やはり、あの移動のせいと思われているのかもしれない。


「不具合はありません……ただ、私は身体の大きさのせいか、たまに余分に魔力を吸われるような感覚がありますけど……」

「そうですか……でも、アトネストは食べないで移動することが多いようですから、本当に、それだけは気をつけなくてはいけませんよ」

「……はい」


 やっぱり、ドルーエクス医師の仰有った通り、きちんと食べて眠らないといけないのだなぁ……


 食べ終わって落ち着いた頃、二、三人の方が聖堂にいらしているようだった。

 いつでも、儀式などをしていない昼間は教会の門は開け放たれている。

 聖堂の奥まで、誰でも入れるように。

 夜でも、扉は閉められていても鍵は開いている。


 そして司祭様が微弱回復をしてから、もう少し眠った方がいいでしょう、と方陣札を探してくださったのだがなくなってしまっていた。

 おそらく、私に使ってくださったのだろう。


「ちょっと、隣の魔法師組合に行ってきますから、ここで待っていてください。無理に階段を上ろうとしては駄目ですよ!」

 司祭様にそう言われ、はい、と言ったものの随分弱っていると思われているのだな、と恥ずかしくなった。

 だって、これは自己管理ができていなかった結果なのだ。


 司祭様がお出かけになって少しした頃、待合の部屋にどなたかがいらっしゃったようだ。

 だが、聖堂まで入らない……もしかして、儀式か何かでいらした方だろうか?

 今、司祭様がお出掛けだから、少し待ってていただくように伝えなくてはと、待合の部屋に行った。


「あれ……? 遊文館にいらしているとばかり……」

 タクトさんだった。

 あ……あの日、黙って帰ってしまったことを詫びなくては……えーと、でも、なんだか、今更……という気も……


 私が煮え切らずにいたら、なんとタクトさんから謝られてしまった。

 慌てて取り繕う私と、そんなことはないですから、と私を庇ってくださるようなタクトさん。

 少しの間ふたりで変なやりとりをして……なんとなく、おかしくなって笑ってしまった。


 そしてテルウェスト司祭がすぐにお戻りになるのでお待ちください、となんとか西側の小部屋にご案内できた。

 紅茶を入れてお持ちしようと思い、厨房で準備をしていたら司祭様が戻られたのでタクトさんがいらしていることを告げおふたりの分の紅茶を運びつつ司祭様と一緒に小部屋へ。

 お茶をお出しして退席しようとしたのだが、タクトさんから少し一緒にお話を、と言われ……司祭様に促されて、席に着いた。



 タクトさんからの話は、私が使った移動の方陣についての確認と、それを踏まえてお作りになったというレトリノとシュレミスの分の移動の方陣についてだった。

 一番魔力の少ない私でも使えるのだから、あのふたりならばまったく問題はないだろう。

 そして、私ももうひとつの目標鋼を表門のところに置くのであれば、昼間でも移動ができるように計らってくださるということだった。


 なんと素晴らしいことだろう!

 氷の隧道を歩いてもいいが、この間のようにふらふらでも、なんとか教会まで移動ができればすぐに部屋に辿り着ける。

 いや、あの状態は……まずいな。

 司祭様は、ふたりに使ってもらえることをとても喜んでいらした。


「そうですか……! 移動の方陣が使えるようになれば、彼らも喜ぶでしょう!」

「なんだかアトネストさんに実験してもらう形になってしまって、申し訳ありませんでした。これはそのお詫び……というか」


 私は全然構わないことだったし、試用ということを知ってて引き受けたのだからタクトさんが詫びる必要などないというのに。

 もしかして……私の具合が悪くなってしまったから、責任をお感じなのかもしれない……ああ、やっぱり私がはしゃぎ過ぎてしまったせいだと、落ち込んだ。


「研究にご協力いただいたお礼として、使っていただきたいのです」

「……これは?」

「『安眠枕包み』というものでして、眠りの質の向上をすることで、筋肉の疲れや血流などを調えるようにできないかなーと考えてみたものなのです」


 タクトさんが『礼』といってお持ちになったそれは、間違いなく私にとってとても有益な物だった。

 こんな風に、私のためを思ってくださる方がいてくれることが申し訳ないと思いつつも、途轍もなく嬉しかった。

 そしてまた、ちくり、と胸の痛みを覚えるのだ。

 いたらぬ自分が、情けないのかもしれない。


「首にあたることで血流にもいい作用が期待できますし、魔力の回復にもいいと思うのです」

「……素晴らしい……これは、今のアトネストには、とても良い効果をもたらすと思います。ありがとうございます」

「実は……アトネストさんの為というのは勿論なんですけど、皆さんにも……試して欲しいんですよねー」

「は?」


 テルウェスト司祭も、そして私も一瞬、意味を掴みかねた。

 だが、タクトさんから『全員分』という枕包みが卓の上に並べられて目を瞬かせてしまった。

 こんな素晴らしい宝具を……こんなに沢山?

 え、皆さんというのは、教会にいる全員分……ってことなのですか?


「この間『回復の方陣はかけられる人の加護神と同じ加護神の魔力が入っている方がいい』と聞いたのですが、【付与魔法】についても同じなのか調べておりまして……できれば、なるべくいろいろな加護の方々にお試しいただけたら嬉しいなーって。神務士さん達三人分だけでなく神官さん達の分と、テルウェスト司祭にも。駄目ですか?」


 なんということだろう。

 その回復の方陣の話は、私も聞いたことがあった。

 だが、魔法を付与された法具や魔具をそれと比べようなどと思った者は、おそらくいないだろう。

 比べて違いがあったからなんだというのだろう、と思う者の方が多いからだ。

 タクトさんは、方陣と法具のもたらす影響の違いがどれほどあるのかを調べようとしているのかもしれない。


 こんなことが検証できる一等位魔法師など、なかなかいないだろう。

 法具としての品を自らの手で作り出せて、魔法付与ができ、方陣の仕組みを理解し、方陣を新しく生み出すことができる……そんな天才的な魔法師なんて、聞いたことがない。

 この偉大な実験に協力できることが、どれほどの誉れになろうか!

 テルウェスト司祭も私も、皆さんの意見や気持ちを伺う前にふたつ返事で……引き受けてしまった。

 でも、これに関しては誰も反対などしないと思う。


 そして、タクトさんから頼まれた『もうひとつ』も、私達にとっては恩恵ばかりのように感じた。

 斜書体の見本帳を作って売ることに協力をしてもらえないか、ということだった。

 あれは書きたがっていらっしゃる方々がとても多いと思うし、子供達に見本帳を見せて欲しいと言っている大人達の姿はよく見受けられた。

 私達が近付くと……すーっと、離れて行ってしまうのだが。


「冬場って店を開けていないことが多いでしょう? 千年筆を扱ってくださっている南東市場も、いつも開いているというわけではありません。それに……できれば遊文館に、それを買いに来るためだけの大人には来て欲しくないんです。この間、血赤服になっちゃったような方々もいらっしゃいますし……」


 あの光景は……今思いだしても『驚愕』でしかなかった、と司祭様が教えてくださった。

 あっという間のこと過ぎて、何が起きたのかすらよく把握できないほどの大混乱だった、とも。

 ちょっと、見てみたかった……不謹慎だが。


「それで……大変申し訳ないのですが……教会の待合室で『販売』をお手伝いいただけないかなぁ……と思っておりまして」

「承りましょうっ!」

 テルウェスト司祭の即答に、私も何度も頷く。


「教会では基本的に、販売ってできないのですよね?」

「ええ、わたくし達の作った物は、できません。ですが、場所を提供することには問題はないのですよ。ただ……内容が、神典や神話ですと販売はちょっと憚られますが」

「書き方見本に載せるのは、日常でよく使う物の名前や地名などが主な『参考資料』というか……『教科書』になります」

「ああ、なるほど! それならば、問題にはなりません。お預かりして販売のお手伝いもできます」

「ありがとうございます。助かります。では、後日売っていただく分をお持ちしますので。これは、皆さんの分としてお使いください」


 と、タクトさんから全員に一冊ずつの『教科書』をいただいてしまった……

 きっと、みんなも大喜びしそうだ。


 タクトさんのなさることに協力できるのは、とても嬉しい。

 きっと他の町では絶対に経験できないことばかりだろうから、少しでも多く色々なことに関わりたいと思う。

 それが最も『シュリィイーレでしか学べないこと』のような気がするから。


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