10▷三十一歳 更月下旬-6

 シュレミスとレトリノに手を引かれながら、何度となく眠くて……なのか、先ほどのドルーエクス医師の前で足踏みをした時のように身体が振れてしまうことがあった。

 その度にレトリノが引き上げて支えてくれるのだが、ふたりの口数がどんどんと減っていく。

 教会に着くなり、私はそのまま自室へと運ばれるように入れられて寝床へ。


「どうして、こんなにも具合が悪いというのに、遊文館に行ったんだ! 無理をしていたのかっ?」

 レトリノの声は少し荒いが、怒っているのと違うことは解る。

 シュレミスの仏頂面と一緒で、心配してくれているのだ。


「……心配かけて、すまない……でも、さっき医師様に言われるまで、まったく……自覚がなかったんだ」

 ふたりの顔が少しだけ緩んで、とにかく司祭様に伝えるからね、とシュレミスに言われ、このまま起き上がるなよ、とレトリノに釘を刺されてしまった。


 起きたくても身体がもの凄く重くて、寝床に沈んで行くように感じる。

 やっぱり、昼間にあれほど眠かったのは具合が悪かったということなのか……と、ぼんやり考えていた。

 今は、体は重いが眠くはない。

 そしてすぐに、扉が開き、少し青ざめた司祭様がいらした。

 ああ、ご心配をお掛けしてしまった……ちょっと、寝不足なだけ……だと思うのだが。


 司祭様はレトリノとシュレミスに、今日の夕食を私の分だけ少し早めに用意できますか、と頼んでくださった。

 ふたりは頷いて、厨房へと向かったのだろう。

 足音は階下へと消えていった。

 それから、司祭様は寝床の脇に椅子を持っていらして、私の様子を窺うように覗き込む。


「やれやれ……夜に毎日のように、遊文館に行っているからですかねぇ……」

「え、ご存じ、だったのですか?」

「あなた達が遊文館にいる時は、私の手元にある遊文館の『位置表示板』に示されるようになっているのですよ」


 私が移動していることも、私達三人がどのような様子かも、司祭様はちゃんとご存じだったのだ。

 ……ちょっと、嬉しい、と感じるのは『見守られている』と思えるからだろうか。

 先ほどドルーエクス医師に言われたことを伝えると、テルウェスト司祭は大きく溜息を吐かれる。


「そうでしたか……血流にそんなにも影響が出てしまったとは、予想外でしたね」

「私も、眠くなってしまうのは、子供達の体温が心地良いからだけかと思っておりました」

「それは、ありそうですけどねぇ……」


 司祭様と話をしているうちに少しずつ重だるさがなくなり、体を起こせるようになった。

 きっと、魔力がちゃんと回復してきたのだろう、と司祭様が仰有るのだが……魔法を使ったという自覚がない。


「もしかして、新しい魔法の出る予兆かもしれませんねぇ……暫くは気をつけておいた方がいいですね」

「新しい、魔法……」

「アトネストはずっと魔力量だけでなく、魔力流脈が正しく成長していなかったせいで、魔法の獲得ができていないという可能性があります。魔力流脈が正しく整ってくれば、出ていてもおかしくない魔法が今になって現れても不思議ではありません」


 そう、なのか……ああ、そうだ、シュレミスに以前聞いたセラフィエムス卿の話を思いだした。

 正しい魔力量を神々から賜り、子供の頃に獲得するような些細な魔法が次々と顕現なさったのだという話を……そして、この間拝見したそれらの魔法は神々に近付くような素晴らしい練度であったと。

 私にはそこまでのものはないと思うが、それでも少しは期待してしまう。

 今まで、諦めていたような魔法や技能が得られるのではないか、と。


「とにかく、二、三日は遊文館に行くのはお止めなさい」

 う……そうだった……行って、子供達の前で倒れてしまったら……大事おおごとどころの騒ぎではない。

「はい」

 返事をしつつ、少し落ち込んでしまった。


 こんこん、と扉を叩く音がして、レトリノが食事をここまで運んだ方がいいですか? と司祭様に尋ねる。

 できれば……みんなと一緒に食べたいが、今は無理かもしれない。

 一階に下りたら、階段を上がることも一苦労しそうだ。


「そうですねぇ……アトネストが寂しがるので、本当は一緒がいいのですが……今は無理でしょう。この部屋に運んでもらった方がいいですね」

 司祭様に、見抜かれている。


「あ、あのっ、でしたら我々ふたりも、この部屋でアトネストと一緒に食事をしてもいいでしょうかっ?」

「そうですっ、食べ終わった物を置いておくと、アトネストは下へ運ぼうとして、また倒れそうですからっ!」

 少しだけ、驚いた。ふたりが、そんな風に言ってくれるなんて。

「そうですね。アトネストは変に律儀ですから……では、卓を用意して……あ、椅子ももうひとつ要りますね」

「はいっ! 持って参ります!」


 あれよあれよという間に、私の部屋に丸い卓が運び込まれ椅子がみっつ用意されて夕食が並んだ。

 なんとか寝床からは起き上がれた私に、ふたりはまるでいつ倒れてもいいとでもいうように脇に立って座らせてくれた。

 その日はイノブタの生姜焼きで、少し硬めのパンにつけ垂れを吸わせるともの凄く美味しかった。

 三人で信じられないくらい喋りながら、笑いながら、食事をした。


 楽しくて、嬉しくて、美味しくて、ふたり共突然具合の悪くなった私のことを責めもせず、怒りもせず、そして同情などもせずに普通に接してくれた。

 たったそれだけなのに、私の心は信じられないくらいに感謝で溢れていた。

 そして、その日は……とても良く眠れた。

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