8▷三十一歳 更月下旬-4

 これから遊文館に行くには、少しばかり時間が遅かった。

 私達三人は歩いて行かねばならないから、着いてもすぐに戻らなくてはいけなくなってしまう。

 夕食の支度まではまだ少し時があるので、私達は課務である写本作業に司書室へと入った。


 すると、シュレミスが私とレトリノの手を取りさささっと、一番広い区切りの机に連れて来てから、もうひとつ椅子を持って来て消音の魔具を使う。

 なんだか、タクトさんに教典を読み上げていただいて書いていた時みたいだ。


 ……まだ、気持ち的には『タクトさん』だなぁ……

 でも、表立って『様』とは言わない方が……いいかもしれない。

 私が何かを知ってしまったと思われたら、タクトさんが遠ざかってしまうのではないか、と少し淋しくなったから。


「おい、まさかあれほど司祭様に言われたのに、あの話をするつもりではあるまいな?」

 消音の魔具を動かしたことで、レトリノが怪訝な表情になる。

 シュレミスは小さく溜息をつき、まさか、と口にする。


「確かにね、とても気になる話ではあるし、興味も疑問も尽きないよ。だけど、先ほどのことについては、僕等の知識や考えなどまったく及ばないことだし、知っていることを並べ立てるだけの言葉遊びにしかならないよ」

「う、うむ、そうだな。知らないことや、これからもおそらく、知り得ない事柄の方が多い。憶測や狭い視野での密談など、根も葉もない時事記紙程度のものでしかあるまい」


 シュレミスも、私も頷く。

 では、シュレミスは何を、音を遮ってまで話したいというのだろうか?


「先ほどの司祭様の話では、僕が一番聞きたかったことがまったく話されなかったのだよ」

「……? 現時点で解っていることを、ほぼ全てお教えくださったと思うが……?」

 レトリノと同じように、私もそう感じていたのだがシュレミスに、なんてふたり共記憶力が乏しいのだ! と呆れられた。


「僕が最も解決して欲しかったのは! タクト様にいらっしゃるという『ご婚約者』のことだ!」


「「あ……」」

 私とレトリノの声が揃った。

 多分、レトリノが一瞬シュレミスに呆れたせいで、私と拍子が合ったのだろう。

「まぁ……確かに気にはなるが……」

「そうだろう? しかも、タクト様が皇国にとって重要な方であるというのであれば余計に! その婚約者という方がどういう方なのか、知りたくて当然ではないかっ?」


 なるほど……言われてみれば、知りたい気もする。

 適性年齢前に『仮婚約』をなさるほどというのであれば、それは『他の誰かではいけないと定められた』からということもあり得る。

「まぁ、それもあるかもね。だけど、一番気になるのはもしもそのご婚約者が『傍流』の方であったとしたら……ということさ」

「……! コレイルの、か!」

 突然レトリノが前のめりになり、目を輝かせる。

 だが、それをシュレミスが遮る。


「コレイル公や次官殿の家門という可能性は、ないと思っているよ。だって、もしもそうならそんなお若い方が他領に……直轄地にいらっしゃるのは変だからね」

 あ、レトリノの肩がすとん、と落ちた。

「じゃあ……おまえは何処の方だと思っているのだ、シュレミス」

「当然、皇系だよ」


 それこそあり得ないだろう、とレトリノが笑い飛ばす。

「皇系ならば間違いなく、王都中央区にいらっしゃるはずだ。ご両親が他領になどは……」

「だが、このような仮説ならば、どうだ? ご婚約者の『母君が皇系でコレイルの貴系傍流の方とご結婚されてできた子供』だったとしたら……?」


 それならば、あるかもしれない。

 コレイルのクリエーデンスもルーデライトも男系だ。

 皇家も。

 だとしたら、皇系の家門に娘が生まれれば、他領の貴系傍流家門の方とのご結婚はあり得る。

 そしてその家門が男系であれば、そのご領地へと行くだろう。


「そのおふたりの間に生まれた娘だったとしたら? だが、何らかの理由でご両親共に亡くなってしまって、そしてどちらの血統魔法もお持ちでないならば……王都中央区には住めない」

「な、なるほど……そういう方であれば、直轄地シュリィイーレにいらした方がいいのだろうね。ここならば、貴系傍流の方々も多い」

「その通りだよ、アトネスト。それに、ご婚約者の母君の母君がセラフィエムスかテルウェストなんじゃないかとまで、考えているのだよ!」


 全て憶測でしかないし、なんの根拠もないが……シュレミスの言葉になんだか納得してしまう。

「ふぅむ……と、すれば、女系であるテルウェストではなく、男系のセラフィエムスの女性という方が可能性がありそうだ」


 えーと、そ、そうか、親戚とか遠戚関係であれば、この町の同家門のどなたかが保護責任者となっているのなら、そのような血統の方であってもシュリィイーレ在籍になれる。

 ……凄いな、ふたり共……私はまだそんなことまで思いつかなかった。


「そのレトリノの意見には、僕も賛成だ。だからこそ、タクト様はセラフィエムス卿と親しくされておいでなのだと思うのだよ!」

「確かに……! どれほど優れていようとどうして一等位魔法師というだけで、教会の皆様が特別だとお思いなのか少々不思議ではあったのだが……このような繋がりがあれば、その方と懇意になったタクト様をお調べになって、先ほど司祭様が仰有ったことに行き着いても当然だな!」


「僕は逆だと思うね。神々に選ばれたタクト様が素晴らしい魔力量をお持ちだからこそ、その方をご婚約者にと『誘導する何か』があったのではないかと考えているよ」

「あ、そうか、それもあるな。いやいや、もしや、初めからタクト様に近付けるために仕組まれていた……とかもあるか?」

「……悪くないね、その方向性も。但し、それだと仕組んだのが皇家かセラフィエムスかコレイル側かで、いろいろと変わってきそうだよ」

「コレイル説だと……クリエーデンスが賢神一位だ。あり得るかもしれないな!」


 ふたりがあちこちに話を飛ばしつつ、それでも一体どんな女性だろう、と想像を膨らませている。

 全部……妄想なのだが、このふたりがこれを時事記紙を書いたら爆発的に売れそうだ……と思ってしまった。


 皇系と貴系傍流のご両親を亡くされた寂しい思いをされている姫君の元に現れた、皇国随一の魔力量を誇るいにしえの大魔導帝国から来た神々に愛される青年との愛の物語……そんな話、嫌いな人はいないような気がする。

 ふたりの突拍子もない話が、もの凄く楽しい。

 これに関しては……無責任な『ただの観客』なのだなぁ、私も。


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