第111話 三十一歳 冬・待月下旬-7

「ごっめんねぇ、遅い時間にー」

 リヴェラリム……じゃなかった、えーと、副長官……の方がいい。

 やっぱり大貴族の方を、心の中とはいえ名前で呼ぶのは気が引ける。

 そんなに固くならないでよー、といつものように軽口を仰有るが、後ろにいる三人の衛兵はピクリとも笑っていないせいで緊張は解れない。

 椅子を勧められて腰掛けたところで、後ろからテルウェスト司祭も入っていらした。私の横に座り……軽く肩に触れてくださって少し、落ち着いた。小心者だなぁ、私は。


「まぁ、君も関係者だから一応お知らせしておこうかな……って感じかな」

 何かを聞きたいのではなく、聞かせたい話ということ?

 副長官から笑顔が消える。


「アーメルサスは完全になくなった」


 膝の上に置いていた両手が自然と握られて、視線が下を向く。

 不思議だ。

 笑いさえ起きてくるかのように肩の力が抜け、胸の奥に何も感じない。

 きっと今私が顔を上げたら、口角が上がっているに違いない表情を見て誰もが不気味だと思うだろう。


 私自身も……この表情を操ることができない。

 両手で、口元を覆う。

 見られたくなかった。

 こんなにも醜い感情が自分の中にあることの証明を。


 ああ、彼等は、私を否定し排斥した彼等は正しかったのかもしれない。

 きっとあの国にいたら……私は間違いなくあの司祭たちを裏切っていただろう。

 今『なくなった』と聞いて、こんなにも大笑いしそうになっているのだから!



 なのに、なんで……なんで、私は、泣いているのだろう。



「ホント、ごめんねぇ。でもどう言っても、結論はひとつだからさ」

「……いいえ、平気です。お気を遣っていただいてありがとうございます……」


 副長官に、本当にすまなそうに謝られてしまった。

 暫くテルウェスト司祭に肩と背中に触れていていただいて、随分と落ち着いた。

 あのぐちゃぐちゃの感情は、もう何処にもなかった。

 やっと心が『亡国』を納得したのだろう。


 どうやら首都を占拠していた『憂国騎士団』とやらは、まったく統制がとられていなかったようであっという間に内部分裂で瓦解したらしいという。

 首都近郊にいた民達は、殆どの者達がなぜか逃げようとしていなかったようだ。


「……きっと、そんな判断すら、できなくなっていたのでしょうね……」

 私がそう言うと、正しい判断力がなかったということかとお尋ねになるので、頷いた。

 多分、首都で残っていたのは『地下で使われていた者達』だろう。

 だとしたら『自分で考えること』ができなくなっていただろう。

 何が正しいか、誰の言葉が真実かなど見極められる者は居なくなっていただろう。


「その首都で君に教えてもらった『赤月の旅団』の数人が……遺体で発見された」

 どくんっ、と、心臓が跳ねた。

「君が話してくれた『ミレナ』という通称の女性は、いなかったよ」


 身体が弛緩した。

 息を大きく吐き、整える。

 そして、昨日までの探索の結果、アーメルサスは首都以外にはほぼ誰もいなかったという。

 逃げ出したのだろうか……どこかで無事にいてくれるのならいいのだが。


「君に言われて地下も地下壕も全部確認したよ。おかげで、ふたりばかり、逃げ惑っていた子供を助けられた」

 そうか……よかった。

「皇国に来るかって聞いたら、断られちゃったんだけどね」

「え?」

「冒険者になりたいって言われてさー。皇国は冒険者が弱そうだから嫌だって。オルフェルエル諸島に預けるのもちょっとまずそうだったんで、本人達の希望でヘストレスティアまで送ってあげた」

 まだ、冒険者に夢を見てくれている子供はいるのか。


「それでね、まだ赤月の残党はいそうだし、何かするかもしれないからさ。前に教えてくれた『王の子孫』って奴のこと……もう少し何か覚えていたらなーって思っているんだけど……どうかな?」


 衛兵隊副長官に問われ、私はタクトさんと話したことを全て伝えた。

『赤月』ではなく『赤槻』である可能性。

 その『槻』の葉が五司祭家門の紋章であること、その枚数が違うだけだからもしかしたら同一家門ではないかという推測……だとしたら……『王』と呼ばれていた人がいた家門も、同じではないか……ということ。


「きっと、そう遠くはない推測だと、思うのです。そうするとああまでもねじ曲げた教典や神話を作り聖神二位を貶めるのも、保身故と納得がいくので……」


 私の言葉を驚いたような表情で聞いていた副長官が、ふうーーと息を吐いて頭をかく。


「……まいったなぁ……そこまで……アーメルサス語の表記を見ただけで、考えられちゃったわけかぁ。相変わらずだなぁ」


 相変わらず……?

 あ、ああ、そうか、タクトさんは途轍もない知識量だと仰有っていたから、以前にも何か衛兵隊に協力したことがあるのかもしれない。


 赤い槻の葉……司祭五家は全員がこの葉の紋章だった。

 家中の至る所に使われていたっけ……

 幼い頃、まだ私が『諦められていなかった頃』に父から聞いた言葉を思い出した。


『おまえはこの紋のひとつとなって、この地を守るのだよ』


 赤い槻の葉の一葉となり、国を護れ……か。

 私は『赤い槻の葉』ではなかったから、切り落とされたということか。

 なのに自分達はその地を捨てて逃げ出た。

 ああ、だから『アカツキ』の彼等は、自分達こそが赤槻の葉である……この国の護り手であると言いたかったのだろうか。


 どちらも、なんて身勝手なのだろうか。

 結局は、全てを滅ぼしただけではないか。

 ガウリエスタやマイウリアの終焉も、こんなに愚かだったのだろうか。


「あの……攻め込んでいた、他国……というのは?」

「ウエリエには、オルフェルエル諸島南方のユンテルト国の旗が立っていたそうだ」


 アーメルサスの西の港町ウエリエから見えるペルウーテと並んでいるかのような、同じくらいの大きさの南西の島がユンテルト。

 どちらも、争いを好まない国だと聞いていたのに……


「使われていた武器は、ガウリエスタのものだった」


 それを聞いて、腑に落ちた。

 ガウリエスタは『まだ戦争を終えていなかった』のだ。

 今まで住んでいた場所が魔獣に埋め尽くされたから、アーメルサスが勝手に『終わった』と思っていただけだったのだ。


 ガウリエスタの民は……いや、貴族や王族かもしれないが、ユンテルトで新しい兵を得て別方向から攻め入ってきたということなのか。

 アーメルサスは、戦に『負けた』だけ、か。

 もしも、ユンテルトに攻め入られたことを把握しておらずに司祭五家の連中がオルフェルエル諸島に逃げていたとしたら、とっくに殺されてしまったかもしれないな。


「不思議なんだよねぇ……今、アーメルサスには『誰もいない』んだ」

「え? ユンテルトの兵とか、ガウリエスタとかも?」

「そう。彼等の目的は『アーメルサスの土地』ではなかったみたいだね。多分もうすぐ、魔獣が蔓延って入れなくなりそうだよ。西側の殆どが遺棄地だなんて、ホント、迷惑……あ、ごめん、つい」

「いいえ、私も今、同じことを思いましたから」


 それだけ話し終わると副長官は、面白かったよ、と言いつつまたね、と手を振ってお帰りになった。

 ふぅ……なんだか、感情が大きく動き過ぎて、何がなんだか解らなくなってしまった。


 ただ『完全に終わった』と感じたからか、もの凄く……『楽』になっていた。

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