第108話 三十一歳 冬・待月下旬-4

 子供達が聞いてくれるのが嬉しくて何冊かの本を読み上げ、喉が痛くなってきてしまった。

 はしゃぎ過ぎだな。

 水をいただこうと、自動販売機のある硝子張りの部屋に入る。

 一口飲んで息を吐いた時に、タクトさんが入ってきた。


「アトネストさん、こんにちは」

「こんにちは……お食事はこちらで?」

「はい。さっき子供達に読み聞かせをしていらしたの、聞いてました。いい声ですね」

 聞いていてくれたのか。なんとなく、言い訳をするように俯いてしまった。

 なんだかニヤニヤしてしまっている自分が、照れくさくなって。


 するとタクトさんが少しもじもじするような雰囲気で、私に尋ねてきた。

「アトネストさん、神話の他にも何か伝承話ってご存じないですか?」

「伝承……ですか」

「呪われた植物は『椰子』だけだったと言ってましたよね? 植物以外でも、そういうものはあったのかなぁって」


 シュリィイーレでは椰子などないから、他のものがあるかを聞きたいということだろうか。

 それとも、ここで沢山の伝承本をご覧になって、興味を持たれたのかもしれない。

 だが、アーメルサスの伝承や民話は、人を呪ったり呪われたり……という、哀しい話ばかりだった。

 建国には、神々との苦難の物語ばかり……


 呪いを集めて封じたという石、呪い受けたまま動かなくなった星、呪いを振りまく虫……そんな話ですが、というとやっぱり少し微妙な表情をする。

 そうだろうなぁ……皇国では『呪い』という言葉は、とても遠いものだろうから。

 いくつかの話を聞いていただくと、持っていた綴り帳に書き付けていらした。


 なんて、早く書けるのだろう。しかも文字がまったくぶれずに、とても綺麗なままだ。

 このとんでもない速さは【俊敏魔法】だろうか?


「この、呪いを集めた石の儀式って、行われていたんですか?」

「いえ……私は実際にやっているとは、聞いていませんでした。遙か昔にそういう『封印』をなさった方がいた……という言い伝えです。だから、北の海からの『魔』が来なくなったのだ、と」

 シュリィイーレは錆山から多くの貴石が採れるから、やっぱり鉱石に興味があるんだな。

 幾つかの話をしていて、必ずといっていいくらい最後に聖神二位を貶めて終わるのがやはり苦しい。そして、思わず呟いてしまった。


「未だに、時々思うのです。どうして、あの国はあんなにも聖神二位を嫌っていたのか、と」

 すると、綴り帳から目を離し少しだけ悲しげに、タクトさんは言った。

「多分、ですけど、北の方に位置するから氷の大地に何も育てられなくて、生きていくのが大変で誰かのせいにしたかった……ってことなのかもしれませんね」


 生きていくのがつらく苦しくて、誰かのせいにしないと己を保てない……なんだか、かつての自分のようだ。

「弱い……ですね」

「人なんて、そうそう強くはないですよ。弱くてもいいんです」

 え?

「ただ、その弱さを自覚して、神々や他人のせいにさえしなければ」


 そう言いながら、まぁ、無理かもしれないですけど、と笑う。

 笑える、のだ。

 自分の弱さを、他人の弱さを、笑って……乗り越えようとできるんだ。

 それこそが多分『強さ』というものなのではないだろうか。


「他のもののせいにするとその場は楽になっても、後々、凄く苦しくなりそうなので……より『楽』になるように天秤にかけると、しない方がいいかなって思う感じです」

「『楽』に、ですか?」

「他人や神々のせいにしてしまったとしても結局はつらいままだし、その原因を取り除こうとしたら、他人を説得したり変えたりしなくちゃいけないでしょう? 他人をどうこうするって、もの凄く大変じゃないですか! でも、自分の責任だって解っていたら、変えるのは『自分だけ』でいいんです。それに、自分のことで自分が納得している自分のせい……なら、別に自分がこのままでいいやって思えたら変えなくてもいいし。楽でしょ?」


 なんて、理屈……いや、屁理屈、というのかな。

 でもタクトさんはそれを強いとは思っていない、強くなりたいと願うのではなく『楽』になるためのものだという。

 必要なのは強く在ることでなく、幸福であることだと。

 解決……はしないけど、確かに気持ちとして救われるのかもしれない。

 思わず笑ってしまったら少しだけ口を尖らせて、いいんですよ、と続ける。


「気持ちや人生に『解決』なんて、なかなかあるものじゃありません。すっきり何もかもが上手くいくなんて、余程の幸運がないとあり得ませんよ。そんなもんでいいんです」

「楽に、ですね」

「そうです。気持ちを『楽』にできると少し、余裕ができる。そしたら誰かのせいにしなくても、幸せになる方法が見つけられるかもしれない。アーメルサスだって……もう少し時間をかけたら……教典の間違いに気付いたかもしれません」


 間違い、か。

 アーメルサスは根幹から間違えていた。

 それを認められずにいたから、どんどん壊れていくしかなかったのかもしれない。


「間違って、いたのですよね、やはり」

「俺はそう考えていいと思っています。あの教典の神々の描かれ方は、あまりに不自然だ。神々のことを知らなかったとしか思えない」

 ……知らなかった……? どういうことだ?

 だって、神々のことがあれ程書かれていて『知らない』と言い張るのはおかしくないだろうか。


「だって、聖神二位は氷の神なのに『燃える星』を操れませんよ。賢神一位は、夜明けから昼までの時間を司る神なのに夕方にしか現れない。いろいろめちゃくちゃなんです。そもそも神々のことをよく知らない者達が、まったく別の物語に適当に神の名を当て嵌めただけ、にしか感じません」


 思ってもいないことを言われ、理解が及ばない。

 神典ですらない全く別のものを教典や神話に『書き替えた』ということか?


「最もおかしいのは……『全ての神々が夜に活動していることの方が多い』という点です。夜は宗神の時間帯だ。主神が夜中に聖神二位に『星を墜として制裁を加える』なんてなさるわけがない」

「そう、いえば、そうです。どうして今まで、不思議に思わなかったんだろう……」

「アーメルサスでは独自の文字の他に、皇国文字を使っている部分がありましたけど、あれも昔からなんですか?」

「昔のアーメルサス語の原典は、書き直したり写本を作った際に読めなかった所などを、空白にしていて何も入れていなかった部分もあったそうです。それで『音』が解るように、皇国文字を当て嵌めたと……」


 私は頷いて、教典と神話には昔の文字が使われており、現在の発音だと昔にはなかった文字が必要になって年代ごとに入れ込まれていったと教えるとタクトさんはまた少し俯いて考え込む。

「『音』……ですか」

 そしてタクトさんは、音って受け継がれないものが多いんですよね……と、苦笑いを浮かべる。

 継がれていないもの。

 そうなのだろうか。知らないこと、書き留められていないこと、そんなものがまだあるのだろうか。


 その中に……本当はとても大切なことがあったのではないだろうか。

 しかし、もうそれを知ることも調べることもできないのだ。

 あの国は自分達の教典とあのねじ曲がった神話以外の全てをまったく認めずに、守ることも伝えることもしては来なかったのだから。



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『カリグラファーの美文字異世界生活』の第547話とリンクしております。

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