第107話 三十一歳 冬・待月下旬-3

 翌朝早く、テルウェスト司祭に呼ばれて私達三人は聖堂に集まった。

「実は、君達三人にも遊文館で手伝っていただきたい『仕事』があるのですよ」

 突然、司祭様が口になさった『仕事』とは、遊文館で『子供達に聞かれたことに応えてあげる』ことだった。


「あの施設は皇王陛下認可施設であり、第一等位輔祭様も設立に大きく関わっていらっしゃいます。その輔祭様が、シュリィイーレ教会にいる『全ての神職』に協力して欲しいと仰せなのですよ」

 そしてこれは教会に所属していらっしゃるが民間の方である輔祭様からの協力依頼ということで、なんと『報酬』があるのだという。

 そうか、だから『課務』ではなくて『仕事』なのだな。


 レトリノには美術品や絵画の図録を、子供達にどのように見たら楽しめるかを教えて欲しいという。

 彼は美術品などにとても興味があって調べたり、品評会に足を運んだりしていたのだというからうってつけだろう。

 シュレミスには子供達と一緒に語り合って、どれほど算術が楽しい学問であるか、どのように考えたら面白いか話して欲しいらしい。


「アトネスト、あなたは子供達に是非とも神典や神話を元にした『少し読むのが難しい本』を、読み聞かせてあげてください」

「すこし、難しい本……ですか?」

「絵があって、短い簡単な言葉で書かれたものであれば、子供達は自分で読めます。だけど絵が少なめで、言葉の言い回しや言葉そのものがあまり日々の生活に出てこないものというのは、読みづらいものです。ですが、そのような本に慣れることによって、正典が読みやすくなるのですよ」


 子供達に、神々の物語を、英傑たちの物語を読み聞かせる……なんという、夢のような『仕事』だろう!

 私達三人はそれぞれに『好きなこと』で、対価を得ることができるという思ってもみなかった幸運に心が躍った。



 遊文館には氷の隧道を歩いて行く。

 移動の方陣だとしても、私達の魔力量では着いた途端に何か食べて眠らないと他の魔法がまったく使えなくなってしまうからだ。

 子供達用ですら私達が使うには危ないだろうという判断だ。

 ……こればっかりは仕方ない……体重が軽くて小さい子供であればたいして魔力もかからずに移動できるが、大人と同じ重さでは魔力がそこそこ必要になる。

 冬のシュリィイーレで、魔石を無駄にしたくはない。

 それに私達三人はこの氷の隧道が大好きだったから、毎日のように歩けるのは嬉しかった。


 遊文館の中にはもう随分と沢山の子供達がいた。

 隧道ができても、走り回れるわけではないからここに来てみんなで遊ぶのだろう。


 まずは、レトリノが皇家寄贈の図録を取り出す。

 そしてその界隈で背表紙の絵を見ていた子達に、いろいろ話しかけ始めた。

「……意外な才能だな」

 シュレミスが呟くのも無理もないだろう。

 あっという間にレトリノの周りには子供達が集まる。


「ほら、見えるか? これは雁という鳥だ。コレイルにはよく渡ってきていたのだぞ。この画家は、コレイルの北に住んでいるのだ」

「鳥が飛んでくるの?」

「ああ、沢山来るぞ! この雁という鳥は毎年同じ時期にやってくる。それがこの絵の季節だ。かいてある鳥や花で、その絵がいつ頃の季節かが解るのだ」


 子供達にひとつひとつ描かれているものが何なのかとか、画家がどんな気持ちで描いたものかなんてことも説明している。

 本当に好きなのだなぁ、レトリノは……


 私がその様子を眺めていたら、シュレミスが算術の本を何冊か取り出してその棚の周りにいる子達に声をかけた。

「どうだね、僕と一緒にこの問いを解いてみないか?」

「……計算なんて、つまらないよ」

「いやいや、計算だけでは解けないのだよ。理解力と論理力が必要なのだ。君等とならば面白い解き方が思いつきそうなのだがなぁ?」


 なるほど、子供達と一緒に算術の問題を解いてみようというのか。

 確かに一方的に教わるとか、延々と計算ばかりするよりずっと面白そうだ。

 しかも図の描き方に繋がるように、線の長さをどう導き出すかなんてことを言っている。

 タクトさんが言っていた『方陣には正確な図が必要』ということを聞いている子供達だから、興味もあるということを見抜いているのかもしれない。


 少し出遅れてしまったが、私は彼等と離れたところで何冊かの神話の本を手に子供達が座る低い椅子に腰掛けた。

 椅子が高いと子供達と目線を合わせるのが大変だったから。

 昨日の子が私に気付いて、駆け寄ってきた。


「おにーちゃん、またごほんよむの?」

「そうだよ。聞いてくれるかい?」

「うんっ!」


 私にはレトリノのように、何かを説明したり知識を伝えることはできない。

 シュレミスみたいに、自分の考えを口にして他の人の考えを引き出すことも難しい。

 だから、せめて手にした本を読み上げよう。

 何が書かれているかを、読み聞かせることが私のできる精一杯だ。

 君達の耳に、心に届くように。


 セラフィエムスの蔵書には絵本なんてないかと思ったけど、神典が元になっているものは随分あるのだな。

 星の上に大地が作られた時の話は、子供達も大好きなのだろう。

 聞いてくれる子が増えてきた。

 そして天光を全ての場所に訳隔てなく注ぐように、この星を巡らせて季節を作ったのだと書かれた壮大で美しい創世の物語。

 ……この文字、とても読みやすくて……タクトさんのものによく似ているなぁ。

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