第105話 三十一歳 冬・待月下旬-1
表側の扉を開き、ガルーレン神官がもうすぐだな、と笑顔を見せる。
どうやら氷の隧道が随分とできてきたようだ。
昼少し前に何人かの衛兵隊の方々がいらして、待合の部屋で休憩をとっていた。
お水でも差し上げた方がいいのだろうかと思ったのだが、寒い中にいらしたというのに冷たいものでは……と躊躇していた。
すると、衛兵隊員達は各々水筒をお持ちのようで、そこに入れていた温かい飲み物を飲んでいるようだ。
凄いなぁ……湯気が出るほどのものを持ち運べるなんて、きっと素晴らしい魔法が付与されているのだろう。
「あれはこの町だけでしか使えないという『水の湧く水筒』だね……!」
シュレミスは、本当にどこでいろいろと聞いてきているのだろう。
「だから言っただろう? 観察力だよ、アトネスト。僕は市場で買い物をしていた時に、あれと同じ水筒で水を飲んでいた店の人に聞いただけさ」
町の人達まで、持っているものなのか……
「この町は雪の季節に水道が凍ることもあるというし、夏場に水が足りなくなるという災害も何年かに一度あるらしい。そのために『非常用』で作られたもので、外門にある食堂には大きいものが常に水を湛えているのだというよ」
「……凄いものだな……」
いつの間にか、レトリノまで加わっている。
「この町の中だけでしか、水は湧かないらしいがとんでもない魔法さ。水が湧かずとも、熱いものは熱いまま、冷たいものは冷たいまま長時間保つことができるのだそうだ。行商の人達も買っていたから、相当便利なのだろうね」
「高価……なんだろうなぁ……」
「銀貨二十枚だそうだ」
えええっ? そんなに安く手に入るのか?
「ああ、この町で作られるものは全て、武具や日用品、魔石、石細工……全部、他領に行ったら三倍から五倍はしそうなものばかりさ」
「流石は『鉱石と職人の町』だな。錆山やその周辺の森で獲れる材料と、一流の加工師や魔法師が多いからこそだな……」
信じられないような素晴らしいものが、信じられないような安価で手に入る町……だというのに、残念ながら私達はその恩恵を充分には享受できそうもない。
そろそろ持ってきた個人的に使える金が、乏しくなってきたのだ。
無理もない……私達が金を手にできるのは、書簡や荷物を運ぶ『お使い』をするからだ。
その時に『礼金』という形で、幾許かの賃金のようなものをいただける。
それは、その年に教会に預けられる衣食のための金とは別に個人的に使えるものだ。
嗜好品や個人的に使う道具類などは、そちらから買うのだが……シュリィイーレではそういう『仕事』が全くないのだ。
冬は雪で閉ざされるから買い物などできないだろう、と思っていたが……
この町では『氷の隧道』なんてもので行き来ができて、僅かばかりではあるが開いている店もあるのだという。
私達は三人とも、これからまだ四ヶ月もあるこの町での生活の間、我慢などできるのだろうか……と少々落ち込んでいるのだ。
節約してても……タクトさんの食堂の焼き菓子だけは……買いたいなぁ。
昼食過ぎに、外扉の近くまでできた短い隧道を通ってみた。
まだ天井の上に雪が少ないから明るいが、一晩もしたらこの中は薄暗くなるほどに積もりそうだ。
屋根も厚目だし、晴れている昼間でも燈火などを持たないと暗くて歩けないに違いない。
それでも動けないよりはマシ、ということなのだろう。
そして、今日も遊文館に連れてきていただけた。
三人とも一緒なのは、神官の方々全員が今日から始まる『セラフィエムス家門蔵書の一部公開』にいらっしゃるから同行させていただけたのだ。
「ふうむ、やはり混んでいるなぁ」
「仕方ありませんよ、セラフィエムスの蔵書なんて、この町の方々なら読みたくて当然です」
神官の皆様もそうだが、この町は貴系傍流の方が多いからやはりご興味があるのだろう。
皆さんは多くの方々の隙間に手を伸ばし、掴んだ本を持って少し離れた場所で読み始める。
この館内であれば、どこで読んでいてもいいらしい。
「よし……僕の狙いはあちらの隅だな」
シュレミスが何人かの方々の持っていた本で、自分が読みたい本がどの辺りにあるかを把握したようだ。
目的の場所に向かって、突き進んでいく。
レトリノは……どんどんと、中へ入っていってその場で確かめている。
私には……どちらもできないなぁ……
あ、こちら側は絵本がある。子供向けの、絵が付いた神話も。
神話がいいな……この絵はとても綺麗だ。
私が腰掛けた場所に、同じ本を持っていた子が読めない文字があるらしくて難しい顔をしている。
「おにいちゃん」
話しかけられて吃驚した。
「これが、よめないの」
「……じゃあ、私が読むのを聞いているかい?」
「うんっ!」
読み始めた本は、聖神二位の神話だった。
きっと、この物語に出て来る扶翼はゲイデルエスだ……ああ、楽しいな。
こんな風に子供達に神話を聞かせることが……私の『したいこと』なのだと、あの日のドォーレンのことを思い出した。
あの時に、私の話を聞いてくれた子達はどうしているだろう。
無事を祈るくらいは、許されるだろうか。
ゆっくり、その本に書かれた言葉を口にしていくだけで心が洗われていくような感覚に、私は子供達にせがまれるまま何冊も読み続けた。
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