第104話 三十一歳 冬・待月十七日-2

 講義が終わり、私達は少し放心して全員で教会へと戻った。

 あの続きを聞きたい、誰もがそう思っていた。

 だが……我々全員の誰ひとり、第二回を受けることが叶わないのだ。


 シュレミスは立っていたというのに、聞きながらもの凄い勢いでタクトさんの言った言葉の全てを書き取ろうとしていた。

 それはミオトレールス神官とヨシュルス神官も同じだったようで、三人が書いたものを突き合わせて聞き逃した箇所などを埋めていこう、と司書室へ走っていった。

 残った私達はなんとなく食堂に集まり、紅茶を入れて息を吐く。


「まさに『智の礎』であった……」

「ああ、まさか文字が年代で違うことまで突き止めて検証までしていらして、どう学ぶべきかなんてことから子供達に教えるとは思ってもいなかった」


「確かに基本的なことではあるのですが、それ故に見落としておりました。日常的に書く文字と、正しい文字の形との僅かな違いなど……」

「『楷書体』と『斜書体』であったな。あの見本だけでもいただけないものか……」


「いや、千年筆の揃えに付いてくる伝承の小冊子は『楷書体』のようだぞ!」

「それでは、手本がないのは斜書体か……タクトさんが書いたものでは、今のところ見当たらないな」


 古文書の研究をなさっているラトリエンス神官だけでなく、子供達に手習いで文字の書き方を教えてきたガルーレン神官は随分と衝撃だったご様子だ。

 そして、算術についても『方陣とその正確な筆記に必須』と言われたことで、ヒューエルテ神官がずっと感激しっぱなしだ。


「これでやっと、子供達だけでなく多くの方々が算術の魅力に気付いてくださるに違いない!」

「私は算術が少し苦手だから、もう一度計算から始めなくては……」

「いくらでもお手伝いいたしますよ、アルフアス神官!」

「うむ、ではどのような計算で図形とやらが描けるかも、是非頼むぞ」

「……ちょっと、考えます……結構、難しい計算になりそうな気も……ああ、でも楽しいですねぇぇぇぇ!」


 テルウェスト司祭は、タクトさんの子供達への教え方を随分と熱心にご覧になっていた。

 それについてはレトリノも、解りやすいしこれからも続けていきたいと思える、と何度も頷いていた。


「子供に対して『解らないだろうから簡単な説明』とするのではなく『子供でも理解できる言葉でしっかり解説』することを心がけておられた。内容は決して子供向けではないくらいの知識量であった……やはり、多くのことを幼い頃から学ばれてきただけはありますね」


 司祭様の独り言のような呟きだったが、周りの神官の皆さんは大きく頷く。

 レトリノが幼い時とはいつくらいからかと、司祭様に尋ねるととんでもない答えが返ってきた。


「タクトさんは既に十六年もの長きに渡る座学を、十九歳の時には終えていらっしゃいますからねぇ。信じられないことです」

 ……それは……一番最初の神認かむとめの儀よりも前ではないか。

「その後も数々の本をお読みになっており、セラフィラントまで行ってセラフィエムス家門の蔵書にも触れていらっしゃる。実質二十五年以上にも渡り、研鑽を重ねておいでなのだ」


 ラトリエンス神官も言葉に、ガルーレン神官も続く。

「そうだな。この間の君達への『試作法具』も、セラフィエムスの医学書をお読みになって辿り着かれたものであろう。今でもそうして『智』を積み重ねていらっしゃるのだ。なかなかできることではない」


 そして司祭様からまだ二十九歳になったばかり、と伺って更に驚く。

 羨ましいとか、悔しいなんて言っていられない。

 私はまだ、そこ迄の努力なんてしていないのだ。


 テルウェスト司祭が、君達はまだ若いからいいですが……我々はもっと頑張らないと、と自嘲気味に微笑みを浮かべる。

 タクトさんの言う『楽しく気楽に』は……随分と厳しい努力の先の言葉なのだな。

 でも、それを目指すのは、いいかもしれない。

『楽しく』『好きなこと』を学べたら、きっと『気持ちは楽』でいられそうだ。

 タクトさんの文字で書かれた神典や神話があったら……きっと何度読んでも飽きないだろうなぁ……



「できましたよっ!」

 そう言って、シュレミスが何枚かの紙束をテルウェスト司祭に渡した。

 どうやら、三人で書き取ったものをまとめられたらしい。

 テルウェスト司祭が何度か頷き、中身を読んでいらっしゃった。

 そして全員が『斜書体』の見本を必ず手に入れねば、と心をひとつにする。


 ……私は……またしてもちょっと乗り遅れてしまい、シュレミスに遅い、と言われてしまった。

 今回は、気持ちは同じ、なのだがなぁ。


 

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