第103話 三十一歳 冬・待月十七日-1

 少し早めに昼食にしましょう、とつい先ほどまでタクトさんと話をしていらしたテルウェスト司祭と硝子張りの部屋の中に入った。

 壁際にいくつも作られている同じような部屋の中には、タクトさんの食堂にもある自動販売機。

 ここのは『保存食』ではないからか、銀貨二枚から四枚程度で買えるものが多い。

 シュレミスは揚げ芋と、細かく裂いたような鶏肉を卵黄垂れで和えてあるものが挟まったパンが大好きだそうだ。

 レトリノは断然、焼いた肉が挟まったものだという。

 私は……この、おむすびという米の中に色々なものが入ったのが一番好きだ。


「この米は、リバレーラのものやガウリエスタのものとは種類が違うみたいなのだよ……僕はもう少し、細長くてさらさらしたものの方が好みなのだが」

「俺は口の中でパラパラになってしまうから、なんだか噛みごたえがないのがちょっと残念だ。味は好きなのだがなぁ」

 やっぱり『好き』は、人それぞれだな……と思いつつ、食べたおむすびにはなんと、魚が入っていた。

 凄く美味しい……えーと、ロカエで獲れる『鮭』というものらしい。


「なっ、なんだとっ?」

「ロカエだってっ?」

 突然ふたりが持っていたものを口に押し込んで、私と同じ鮭のおむすびを買った。

 どうしたのだろう、と思ったらセラフィラントのロカエ港という港で捕れる魚は『献上品』で、なかなか臣民の口に入るものではないのだそうだ。

 そうか、それでこんなに美味しいのか。


「さすがは皇王陛下認可の施設だ……このように素晴らしいものが、さりげなく置かれているなんて」

「ううむ、鮭という魚は初めて食べたが、旨い……コレイルでは、絶対に手に入らない魚だ」

「リバレーラでも、アルフェーレやトエルクのような南側までは、ロカエのものなんて届かないよ……本当に美味しいなぁ」

 ふふふ、なんだか嬉しい。

 私が褒められたわけでもないのに、私の好きなものをいいと言ってもらえるのはとても嬉しいものなのだな。



 タクトさんの講義が聴けるという一番広いその部屋は、こちらに向いている三方の壁が硝子でできている。

 その中には、今日のタクトさんの話を楽しみにしている子供達で溢れていた。表で遊んでいた子達の殆どすべてが入っているので、ぎゅうぎゅうなのではないだろうか。

 ……外に出ているのは……大人たちだけだ。

 座れずに立ったままの子達や、別の場所から椅子を持ち込む子、床に座っている子までいる。


 その中にタクトさんが入って行くと、子供達の視線が一斉に彼に集中する。

 ちょっとその人数に吃驚したようだが、すぐに微笑んで……講義が始まった。

 いつの間にか硝子壁がなくなって、声が外まで届く。

 真剣に聞く子供達に、どうして文字を美しく書くことが必要なのか、そして幾つかの種類の文字を覚えることが必要なのかを丁寧に教えている。


 私達は少し端の方にいて、子供達の親の邪魔にならない場所で聞いていた。隣にいるラトリエンス神官が、感嘆の声を漏らす。

「……書の形が本が書かれた年代で違うと解るほど、多くのものを読まれているということか……」

 小さく呟いたその言葉に、そういえば、と私達三人は改めて息を吞む。


 子供達に教えているその知識は、古代文字を、そしてその前に使われていた前・古代文字と呼ばれる文字を読み理解するために必要なもののようだ。

 そして、そのすべてが方陣を描くということを介して、今後獲得できるであろう魔法に繋がるのだという。


 正確に方陣を描くには、文字だけでなく、論理的な考え方、算術で導き出される正確な図の描き方が重要であり必須であるとタクトさんが断言なさった時に、ヒューエルテ神官が感動で泣き出さんばかりだった。

 勿論……シュレミスは泣いていたし、レトリノはなんだか難しい顔をしていた。


 机のある場所に座れなかった子供達が、タクトさんのいう正しい姿勢で文字を書くことができずに少し焦れている姿が見える。

 親たちも千年筆を取り出して、持ち方などを自分でも見直している。

 ……私も、タクトさんとは違った持ち方だったので変えてみたら、指が結構楽な気がした。

 持ち方にも正しいものがあるとは、思ってもいなかった。


 講義はあっという間に終わってしまった。

 半刻間ほどの時間だが、もっともっと短く感じた。

 知らなかったこと、知りたいことばかり……なのに、私達他領の者や大人はこの素晴らしい講義の第二回を受けることができないのだ!


 悔しい……という気持ちが、芽生え……驚いた。

 欲張りになっていく自分がなんだか、少しだけ楽しくなっていた。

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