第71話 三十一歳 秋・弦月下旬-4

 ガイエスが随分とタクトさんを心配しているようだが、いったい何があったのだろう?

 だが、聞こえてきたタクトさんの言葉に、先日のあの暴漢達のことだと解った。


「何でもかんでも自分のせいと思っちゃ駄目だよ。それに、俺もアトネストさんも大丈夫なんだから」


 もしかして、ガイエスはタクトさんからその話を聞いて、私のことも心配してくれたのかもしれない。気を遣わせてしまっただろうか……

 そしてどうやらタクトさんのことを弱いと思っているみたいだが、確か司祭様達はお強いと仰有っていたような……

 司祭様達はタクトさんの魔法の威力をご存知で、ガイエスは知らないのだろうか。


「……おまえ、筋肉なさそうだからなぁ……」

「そりゃー、セラフィラント陸衛隊に剣技認定とかもらっているおまえとは比べられたくないよっ!」


 セラフィラント陸衛隊の認定証?

 それに驚いたのは、シュレミスだった。

 どうやら、セラフィラントの陸衛隊というのは、皇国でもかなりの強さを誇る衛兵隊のようだ。


「流石、一等位魔法師様のお知り合いは、とんでもない強者だ……」

 そう呟くシュレミスの向こう側にいるレトリノが、ガイエスを睨み付けているように思うのだが……?

「なんだ?」

 ガイエスの問いにレトリノが忌々しげに答える。

「ミューラは嫌いなんだよ。我が家門を貶めた奴等だからな!」

 ……?

 どういう意味だろうか。


「ミューラ人にたぶらかされたから、我が家門では家系魔法を失ったのだからな!」

 家系魔法とは、その家門の血筋のみに現れるという魔法のことだったな。

 シュレミスが呟く。

「あいつ……ミューラの血が入っていたのか」


 そういえば、他国民の血を引く子孫は家系魔法が得られないと、テルウェスト司祭に教えていただいた。

 やはり、皇国人にとっては『魔法』が最も大切なものなのだな。

 だが、タクトさんがここで不思議なことを言いだした。


「レトリノさん、ガイエスはミューラではありませんよ。彼はマイウリアです。ミューラとマイウリアは、違うのですよ。俺も最近知ったのですけどね」


 レトリノ、そしてシュレミスも変な顔をする。

 そう……なのか?

 いや、でもアーメルサスでもミューラと名乗る者もいれば、マイウリアと主張する者もいた。

 私はたいして違わないと思っていたのだが、実は違う民だったのだろうか。


「し、しかし、赤い瞳はミューラ人の特長で……」

 反論するレトリノにタクトさんは他にも赤い瞳の者はいる、と言う。

 ……知らなかった。

 タルフ人もなのか。レトリノが混乱するのも解る。

 シュレミスも、そのことは知らなかったようだった。


 タクトさんは瞳の色だけで決めつけるのは、間違いだと言いたいのだろう。

 そして、正典がもたらされたことで得られた正しい神々の言葉で、宗神への過ちを正せたのだから、間違いだと解ったらそれを認められるはずだと仰有る。


「あなたの家系に影響した方がミューラ人だとしても、それはミューラすべてではないし赤い瞳の人すべてでもない」


 まとめてすべてが駄目なのだと、悪なのだと断ずるのはとても楽だが、決して正しいことではない。

 ……アーメルサスの神職にも……そういう『悪』でない人は……いたのだろうか。あんな教典などを信奉するのは、いてはいけない、滅びるべき害悪ばかりだと思っていた。


「そのミューラの人がいなかったら、今あなたは存在していないかもしれませんよ?」


 そうだ。

 私がいてはいけなかったと思っている人々がいたから、私が生まれた。

 ……生まれて、しまった。

 いいのだろうか。それらの『悪』である人々から、命が繋がれてしまうことは……やはり『悪』なのではないだろうか。

 私は、生きていて、いいのだろうか。


 ああ、まただ。

 また、私は自分の否定ばかり考えている。

 死んだ方が楽だと思っているからだ。

 何も考えなくて済む方が、救われるのではないかとどこかで思っているからだ。

 生きていく、と決めたくせに。

 なんて、弱いのだろう。


 レトリノはなくしてしまった魔法が二度と戻らないと解っていても、神職を選ぶことでこの国にも主家にも役に立つためにと道を決めたのだろう。

 皇国法の改正で、二度とかつての地位に戻れないと解ってもなお、神々に仕えて正しく在ろうと努力しているのかもしれない。


 血筋が如何に劣等だからと言われても、自分自身が劣等であるとは限らないのだ。

 これから変えていけばいい。

 そう、教えられたではないか。本当に、私は忘れっぽくて嫌になる。


 タクトさんとラトリエンス神官の言葉にレトリノが耳を傾ける。

 レトリノが拘った『従者』という地位は、今後彼の主家では置かないことが決められているようだ。復位はないが、彼の家門を侮った者達もその地位ではなくなった。


 その事実が、レトリノを救うことはないかもしれない。

 しかし、そのことで抱いていた憎しみや怒りを、切り捨てるきっかけにはなるのかもしれない。

 何も変わらず、ただ絶望するだけ……ということも。

 何を選ぶかは、すべてレトリノ次第なのだ。

 すべて感情も行動も、自分が決めていることだ。


『自分が好きな方を選びます。どれも好きじゃなければすべきことを。すべきこととやりたいことが違ったら……どちらも』


 選択は二択ではない。

 いくつも、いくつもある中から選び取るのだ。

 でも、軸があるかないかで、自分が信じられるかどうかで、変わってしまうのだとやっと実感した。はぁ……本当に私は、理解が遅いなぁ……


 ラトリエンス神官の母方が、レトリノの主家ということは貴族の家系ということなんだな。

 今更ながら、そんなことを思い至る。

 きっと、シュリィイーレ教会の方々は全員そうなのだろう。

 それできっと、今の貴族家門の事情もレトリノの気持ちも理解できるのだな。


 従者でなくても大切であると、領地のために神職を選んでくれて嬉しいと……そう仰有るのは本心なのだろう。

 どうしてアーメルサスの司祭家門は、こうあることができなかったのだろう。

 疑問ばかりが湧いてきて、一向に答えが出ない。

 まだ、私の中には足りないものばかりだ。


 ガイエスが軽く溜息をついて、レトリノとラトリエンス神官を眺めている。

 タクトさんが寄っていって、何か声をかけているようだ。

 ふたり共……笑顔だ。

 よかった、怒ってはいないみたいだ。


 その後、レトリノがガイエスに謝罪し司祭様も安堵なされた様子だ。

 ラトリエンス神官も他の皆様も、レトリノがこれから良い方向に変わるのだろうと期待しているはずだ。

 ……私も、そう思う。レトリノはとても、正直な人だと思うから。


「あ、ごめんね、アトネストさん」

 タクトさんはそう言って私にちょっとだけ待ってて、と言ってガイエスに向き直る。


「ガイエス、司書室でも見に来たのか?」

「いや……アトネストの様子が気になっただけなんだが……見せてもらえるなら……見たい」

 やっぱり心配を掛けてしまっていたのか。

 態々来てくれたのに、私のせいでこんなことに……あ、いいや、全部自分のせいだと思い込むのは駄目、だな。


 テルウェスト司祭はタクトさんがご一緒なら、とガイエスに閲覧許可を出し私も一緒に、と司書室へと促された。


 シュレミスとレトリノも付いてくる。

 あれ、今日のふたりの課務に写本……あっただろうか?

 それとも、司書室で勉強するのだろうか?




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『カリグラファーの美文字異世界生活』の第512話・『緑炎の方陣魔剣士・続』の弐第148話とリンクしております。

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