第69話 三十一歳 秋・弦月下旬-2
翌朝、昨夜の失敗に少し落ち込みつつ朝食準備に入った。
今日の朝食は私達が作るのではなく、保存食と呼ばれているものを皿に盛りつけていただく。
「この保存食は、この町の命綱のひとつです。これがあるからこそ、シュリィイーレの冬が乗り切れるのですよ!」
ミオトレールス神官の言葉に、ガルーレン神官も大きく頷く。
なんでも、酷い大雪の年にあまりの寒さで魔石が足りなくなってしまい、人々が避難施設に行かざるを得なくなった時にこの食事が無償で配られて多くの人々が救われたのだとか。
「あの時にこの保存食がなかったら、私達とて無事ではなかったと思います」
「うむ、そうだな。あの頃は今のように料理もできず、苦労した」
料理が得意で何品もお作りになれるおふたりが、まだ料理ができなかった頃というのが想像できないがここで作れなければ確かにこういう保存食がないと大変だったことだろう。
いや、料理ができても魔石で使える魔道具が使えなくなってしまうというのだから、どれほど町の方々が大変だったことか。
災害が多いからこそ、このように便利なものが作られるようになったのだなぁ。
あ、今日の朝食は燻製肉とふかし芋の炒めた奴だ。
これ、胡椒が利いていて凄く美味しいんだった……用意しているだけで、口の中に美味しさが広がって楽しみになる。
食事が楽しい、というのは、なんと幸福なことだろう。
アーメルサスにいた頃はこんな風にワクワクとすることなんて、片手の指で足りるほどしか記憶にない。
皇国に来てからも暫くは、自分自身がどう生きていくかばかりに必死で食べたものの記憶が殆ど思い出せない。
シュリィイーレに来るための道中で、初めて……そういうことに目が向けられるようになって、この町に来て毎日『美味しい』と思えるものが食べられている。
これは途轍もなく、幸せなことだ。
朝食後、今日は司祭様の所での勉強はお休みだったので、司書室に行き昨日アーメルサス語で書いてしまった部分を直そうと思った。
だが、後片付けをしていてうっかり手を切ってしまった。
すぐに【回復魔法】の方陣札を使い治療していただけたのだが、最後の一枚を使ってしまったらしくガルーレン神官と一緒に魔法師組合に買いに行くことになった。
早く修正をした方がいいのだろうと思いつつ、あの嫌な言葉をもう一度書かねばいけないのかと気持ちが重かったので喜んでご一緒した。
……逃げていても、やらなくてはいけないのだが……
魔法師組合は教会の隣にある。
先日、タクトさんがいっていた浄化の方陣と洗浄の方陣も一緒に買い、札に書かれた方陣を見て使っていたものと随分違うのだなと少し驚いた。
「方陣札は魔法師によって
あの『微弱回復』は修記者登録ができぬほど弱いもので、描かれた札はほとんど無料というような紙代程度だろうと思われる価格で買える。
練習として描いて魔法師組合に預けると銅二枚ほど買い取ってくれるらしい。
買う時もその価格なのだから、本当に誰も儲けなどでない『善意』のものであろう。
それ以外の方陣札はガルーレン神官が示してくださったように、効き目や魔法師の階位によっても書き方や価格が違うのだそうだ。
「タクトさんのように、いくつかの段階で効き目の違う方陣が描ける方というのは非常に稀なのですよ」
「沢山書き込んでいる方が強いのかと思っておりましたが、そんなこともないのですね」
「ええ、来月からはしっかりと方陣のことも理解して使ってもらわなくてはいけませんから、勉強に取り入れますからね」
それは、楽しみだ!
評判の良いという回復の方陣も一緒に買って、教会に戻るとレトリノが丁度、洗浄の方陣を使うところだった。
人が使うところを見るのも勉強になりますからね、とそのまま邪魔にならないように端の方で見学する。
私が使う時は風が小さい渦を沢山起こしているように空気が動いて、ゴミや埃、汚れがかき集められて排出される……という感じだ。
だが、レトリノの風はまるで波のようにうねって部屋の隅々まで広がり、洗い流す……ように感じた。
ガルーレン神官が仰有るには、方陣魔法というものは人によって効果や規模に殆ど差がなく、方陣の質によってそれらが決まる。
だが、補助系と呼ばれる回復、浄化、洗浄、解毒、採光……などでは、一定で同じような魔法として認識される攻撃系とは違い、使い手の感覚に大きく作用されるらしい。
回復で暖かく感じることもあれば、ひんやりと心地よく感じたり、傷が中から治っていくように魔法が使われることもあるし外から塞がっていくこともあるという。
最終的な魔法による結果にほぼ違いはないが、どのような過程でそうなるかが使い手で変わるらしい。
それによって、方陣札の
……私はまだ未熟すぎて、その段階まで至っていないが。
「至っていないからといって、知識がなくていいということはないですよ。知っていれば、よく早く確実にその段階に辿り着けるということもあります」
ガルーレン神官の言葉を胸に、私はレトリノの魔法を見ていた。
……彼は、私より魔力が多いはずだし、方陣札では起動にそんなに多くの魔力が要らないはずなのになぜかとても疲れた顔をしている。
夜更かしでもしたのだろうか?
その様子をご指導なさっているラトリエンス神官がお気づきでないはずもなく、何があったかを尋ねている。
どうやら、決められていた時間以外にも魔法の訓練をしているようだった。
レトリノもとても勉強熱心だし、努力家だ。
「焦らなくていいと言っているでしょう? 無闇に魔法を使って身体を壊しては、かえって魔力の伸びを阻害しますよ」
「……限界まで使って、魔力不足になるくらいの方が……伸びがいいと……」
「そういう誤った知識は、即刻忘れなさい。そもそも身体が健康でない者に、魔力は増えません!」
努力が間違った方向で空回りしてしまうことは、私も他人事ではないので痛いほど解る。
……解る?
彼の、気持ちが『解る』と感じているのだろうか。
そうか、同じような体験をしてその時の自分の気持ちを思い出すから……それが完全に一致しているものでなくとも『解る』と感じるということか。
人の気持ちを自らの体験に置き替えられるかどうかで、この感覚は変わるものなのかもしれない。
初めて、ほんの少しだけだが、痛みとつらさが『共有』できた気がする。
レトリノに……礼を言いたいところだが、あんなに悔しそうな顔をしている彼に……今は、言えないな……
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