第64話 三十一歳 秋・弦月中旬-3

 この町に来て二十日が経とうという頃、タクトさんが頻繁に教会に来るようになった。

 ミオトレールス神官の仰有るには一等位魔法師としての仕事で司書室の本をお使いになるから、研究のお邪魔をしないようにいらしている間だけは司書室は入れないということだった。


 レトリノは一等位魔法師様が参考にするほどの本があるのだな、と司書室の本のすべてを読み尽くす計画を立て始めた。

 シュレミスは何か新しい魔法や魔具を研究なさっているに違いないから、どんなものができあがるのだろう、と今から心を躍らせている。

 私は、単純にお時間がある時にまた話を聞かせてもらえるかもしれないと、少しだけ期待していた。

 そして、テルウェスト司祭からある提案があった。


「皆さんも随分簡易調理魔具を使えるようになり、料理も美味しくなってきました。どうでしょう、ここでその魔具を作った方にその成果をご覧いただくというのは」

「そ、それは、僕達の作ったものを、タクト様にお召し上がりいただけるということですかっ?」

 シュレミスが身を乗り出した。

 ……『様』……確かに一等位魔法師なのだし、私達より階位は上だからそうお呼びすべきなのかもしれないが、なんとなく遠くなってしまいそうで躊躇っている。


「どれほど使えるようになったかをご覧いただけるのは、この上ない光栄なことだ……!」

 レトリノもタクトさんが来る度に、どこか落ち着かずワクワクとした雰囲気だったからとても喜んでいる。私は、少し不安だ。


 私の作る料理は、なぜかいつも味が薄くなりがちで咖哩のように印象深い味のもの以外だとどうしてもぼんやりした感じの仕上がりになってしまう。

 まずくはないが何かが足りない、とシュレミスにも言われてしまったのだが何を足すと上手くいくのかが解らなくなっているのだ。

 できあがりをまずくはないと思ってもらえているなら、これ以上手を加えない方がいいのではないかと……尻込みしているのかもしれない。


「まだ、自信がないですか?」

 ガルーレン神官にそう尋ねられて、頷く。

「アトネストの作るものは、なんというか、ちょっと勇気が足りないのですよ」

「勇気、ですか?」


 ミオトレールス神官がそう言い放ち、私は意外な指摘に少し戸惑う。

「そうです。君は失敗を恐れるあまり、あと一歩が踏み出せずにいる。魔具でも直せないほどの味にしてしまったらどうしようと思っていて、調味料が全体的に少なすぎるのではないかと思うのですよ!」


 それは……あるかもしれない。

 レトリノが、何度か味が濃くなりすぎて失敗していたのを見ていた。

 塩が入りすぎたり、香辛料が強すぎて『修正できないほどの味』になってしまったことがあり、味付けを濃くすると直せないと知った。

 私も、一度だけその経験がある。

 それならまだ薄い方がいいのではないか、味を濃くしたいと思った人が塩や胡椒を食べる時に足してくれればいいのではないか、と思っていたことは否めない。


 そう思ってしまってから、私の作るものはどんどん味が薄くなっていったように思う。

 この簡易調理魔具の魔法は『自分が思い描く味』に近づけてくれるための魔法だ。

 私の思う味が貧相だから、そうなってしまうんだ。


「アトネスト、自分が作るものや、したことの最終決定を他人に任せては駄目ですよ!」

「……はい」

 こんなことまで他人任せにしていては……いつまで経っても自信など持てない。

 勇気……か。


「かといって、今回いきなりタクトさんに召し上がっていただくもので、試すわけにもいかないですよねぇ……」

「咖哩にするか?」

「駄目ですよ、夕食が咖哩の予定です」

「ああ、そうであったなぁ……」


 おふたりに悩ませてしまっている……そう、だなぁ……私が作れそうなもの……は。

 あ。

「あの、パンを、私が焼いてもよいでしょうか?」

 パンだけは、いつも美味しいと言っていただけていて、実は一番好きな味にできあがっている。

 他の料理のように派手さはないけれど、濃い味にする必要もないししっかりと課程を違えずに作っていけば相応のものができあがる。


 おふたりも、それはいい、是非そうしましょう、と大賛成してくださった。

 よかった……なんとかタクトさんに食べていただけるものが作れそうだ。



 そしてタクトさんがいらして司書室に向かおうとした時に、テルウェスト司祭からこの提案が話された。

「本日は教会で昼食を召し上がりませんか? 神務士達の作る食事が、随分と美味しくなったのですよ」

「それは嬉しいですね! お邪魔でなければ、是非」


 タクトさんが笑顔で楽しみです、と言うとシュレミスとレトリノが同時に『お任せください!』と声を上げ、ちょっとにらみ合う。

 ふたり共、自分の方が絶対に美味しい物を作るのだと意気込んでいる。

 私は早々にパンを作ると言ってあったので、ふたりはどちらが肉料理を作るかをくじ引きで決めていた。

 ……シュレミスが勝ったみたいだ。レトリノが膝から崩れ落ちる。

 まるで命がけの勝負でもしているかのようだが、少し、気持ちは解る。

 できるようになったことを認めてもらいたいと思う気持ちは、きっと同じだと思う。


 そしてタクトさんが司書室にいる間に、私達神務士だけでなく神官の皆さんも一緒になって……司祭様まで時折手伝って、昼食を作った。

 厨房はぎゅうぎゅうで、動きづらかったけどなんだか楽しかった。

 いつも啀み合っているようなシュレミスとレトリノも、ずっと笑顔だ。


 シュリィイーレの毎日は、私が今まで全く体験できなかったものばかり与えてくれる。



 昼食の準備ができ、テルウェスト司祭がタクトさんを呼んできてくださった。

 タクトさんが卓に着くと、テルウェスト司祭が誰が何を作ったかを説明してくださった。

 シュレミスが作った鶏肉の香草焼きと、レトリノが作った玉葱と芋の揚げ物が出され、私が作った少し硬めのパンが並んだ。

 それらをタクトさんが口に運ぶ時は、私達だけでなく神官の皆様も固唾を吞んで見守る感じになった。

 ……初めてラーミカの町の衛兵に身分証を見せた時みたいに、ドキドキしている。


「うーんっ! どれも美味しいですっ!」

 破顔したタクトさんに、全員が安堵の溜息を漏らす。

 そしてやっと、皆が自分の前に置かれた料理を食べ出した。

 タクトさんは鶏肉の焼き加減が非常によいと言い、揚げ物も食感が素晴らしいと笑顔を見せた。

 そして、私のパンをもうひとついいですか、とふたつも召し上がってくれたのだ。


「みんな、簡易調理魔具を随分と使えるようになったのですよ」

 テルウェスト司祭がほっとしたように、でも少しだけ自慢気に私達の成果をお褒めくださる。

 三人とも喜んで食べてもらえたことがもの凄く嬉しくて、褒められたことがどこか照れくさくて……少し俯いてしまった。

 多分、みんなにやけてしまっていたと思う。


 それからも料理のことを伺ったり、簡易調理の魔具をどうして思いつかれたのかという話までしていただけてとても有意義で楽しい食事時間だった。

 そしてそろそろ食べ終わるかという頃、教会に誰かが訪ねて来たようだった。

 教会正面門は、開くと司祭様だけでなくアルフアス神官とラトリエンス神官、おふたりの第一位神官には察知できる。

 空間魔法の一種らしい。


 ヨシュルス神官とガルーレン神官が、様子を見に食堂の外に出た。

 私達も少し速度を上げて食べ終えてから、聖堂へと入ると……おふたりが、来客三人となにやら揉めている様子が見えた。


「ですから、今日は司書室には、どなたも入れないのですよ」

「何言ってるんだよ、ここの司書室で待っているからって、頼まれてきているんだぜ。入れてくれりゃいいんだよ!」

「この教会の司書室は、この町の在籍者のみしか入れません。お約束の方の名前を教えてくださいと、何度も……」


 シュレミスが、直轄地の司書室に他領の者が簡単に入れると思っているのか、と苦々しく呟く。

 レトリノも珍しい格好だな、と怪訝そうだ。

 来訪者達は、どう見ても……冒険者のように思える。

 確かに、この町では……いや、皇国内では見かけないだろう。

 ……帯刀、している。


 うっかり見過ぎてしまったのだろう、彼等のひとりと目が合った。

 すると、私目掛けてテルウェスト司祭やミオトレールス神官を押し退けて近寄ってくる。足が、竦んだ。


 あの剣を抜かれるのだろうか。


 ロントルでの、あの兵士達が村人を切り伏せた光景が浮かんだ。

「なんだよ! いるなら早く出てこいよ!」

 突然、目の前でそう言われ、何がなんだか解らなかった。

 誰だろう?

 もしかして、アーメルサスで会ったことでもあったのだろうか?

 いや……こんな男達は、知らないはずだ。


「あの……なんのことでしょうか?」

「受け渡しに来ただけだ。あんたにはこれだろう?」

「……なんですか? これ」


 無造作に渡されたのは、紙袋。なんだ?

 受け渡しって……私が何を渡すと?


 すると、その男は私の隣にいたタクトさんの腕を掴んで引っ張った。

「連れていくのはこのガキだな!」

 え? 連れていく?


 ぼあっ!


 その男の頭に炎の塊があたり、悲鳴が響く。

 タクトさんは咄嗟に私の腕を掴み、炎の熱が届かないところまで離れた。

 倒れた男の真後ろにはテルウェスト司祭……【炎熱魔法】?


「この痴れ者がッ!」

 ガルーレン神官、ラトリエンス神官が、もうふたりを押さえ込んで倒す。

 テルウェスト司祭の低い声が響く。

「タクト様に手を出すとは……万死に値するっ!」

 今一度あの魔法が放たれる、と身を固くした瞬間、制止する声。


「そこ迄です、司祭様」


 テルウェスト司祭を止めたのは、タクトさんの食堂で声をかけてくれたあの衛兵だ。

 すぅっ、と全員に弛緩した空気が流れる。


「はーー……よかったぁ」

 タクトさんの声に私も安堵して、やっと、息ができた。

 だが、私達はすぐにまた緊張に包まれた。

 衛兵達三人が……私達の側に立っていたからだ。


 いったい、いつの間に……?





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『カリグラファーの美文字異世界生活』の第505話とリンクしております。

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