第63話 三十一歳 秋・弦月中旬-2
あれから数日、方陣の使い方に少し馴れて歩かなくても『範囲』が思い描けるようになってきた。
すると料理の魔具も以前よりずっと使いやすく、なんと咖哩以外にも二品作れるようになり咖哩は魔具なしでも美味しいと言っていただけた。
今は新しく覚えた二品を魔具なしで作れるように、練習をしている。
……魔具の使い勝手が良くなったとは言え、まだまだ私は魔力量が足りないのだ。
最近は、神務士達だけでも食事の用意ができるようになってきた。
魔具の力を借りれば三人とも三品ずつ作れるから、それぞれが一日ずつ中心となって料理をする日を決めて他の神官の方々とも交互で作るように決めたのだ。
誰もが食材をあまり無駄にせずに、いろいろな料理が作れるようになってきたようだった。
そしてこの秋祭り前の時期が、食材を買いそろえる今年最後の大切な一ヶ月だということを知った。
「そうです。残念ながら、葉物野菜はもう殆ど他領から入っては来ませんし、シュリィイーレで作られているものもかなり減ります」
おそらくタクトさんからそう指南されたミオトレールス神官とヨシュルス神官が、今日から南東市場を中心に食材を求めるのだと買い物の準備をなさっている。
この時期は葉物野菜は既に『旬』と言われる時期を過ぎてあまり美味しくないものが増えているから、根菜類を中心に沢山買っておく……ということのようだ。
今日の食事当番がシュレミス中心なので、私とレトリノは買い出しのお手伝いをすることになった。
「あ、アトネスト、ちゃんと『滞在許可証』は身につけていますか?」
「はい、皇国内では身分証と一緒に首から提げて持っているように、と……」
越領の時には、絶対に必要になるものだ。
でも、今日はシュリィイーレから出るわけではないのだから、いったいどこで必要だというのだろう?
「……! もしや、『移動の方陣』……でございますかっ?」
「察しがいいですね、レトリノ」
『移動の方陣』……?
もしかして、東市場で私が見た『消えた』と思ったあれ……タクトさんが『移動の方陣鋼』と言っていたな、そういえば!
詳しいことが何も解らぬ私のために、ミオトレールス神官がご説明くださった。
予め設定した目標の方陣と、それぞれが持つ移動の方陣のふたつに皇国文字で名前を書く。
その名前と身分証に書かれている名前、そして移動の方陣の起動に使われた魔力と身分証の魔力を探知、鑑定して目標の場所に瞬時に『飛べる』のだという。
「これはな、門の方陣とは違い『移動の方陣』さえ持っていたら屋内からも、海の中からでも目標の場所に飛べるのだぞ、アトネスト!」
レトリノは、頬を紅潮させて興奮気味だ。
しかも『門』よりはるかに魔力の使用量が少なくて済む『同行者用』を使うことにより、幼子であっても移動ができるらしい。
屋内からだと方陣門として設置されたものは使えるが、方陣札での移動の場合魔力が多めに必要になる。
そして方陣札でも川や小さめの丘を越えることはできるが、これも魔力が随分と必要だ。
ましてや……どのような『門』であっても、海からの移動は一切できない。
そのすべてが少ない魔力量で可能だというのだから、驚くのも興奮するのも当然だ。
「その偉大な方陣を作られたのは、このシュリィイーレの一等位魔法師様なのだぞ!」
どうやら、レトリノはシュリィイーレではそのように素晴らしい魔法がいくつもあると知っていたようで、そのためにもシュリィイーレに来たかったのだと言う。
そうだった、シュリィイーレは大変優秀な魔法師の町という噂もあった。
一等位魔法師も何人もいると、司祭様も仰有っていたし。
おふたりの神官も、とても偉大な魔法なのです、と大きく何度も頷かれている。
「その探知されるのが『皇国文字で名前が書かれた自身の魔力の入っているもの』だけなのですよ。だから、まだ帰化していなくて身分証がアーメルサス文字ですから、アトネストの『滞在許可証』が必要になるのです」
そうか、私が持っている魔力登録がされているもので、皇国文字なのはそれだけだからか。
私とレトリノには、通常のものより魔力量が少なくて済むという『同行者用』が渡された。
これはひとりでは移動できず、移動用を持つ方と一緒に使用するというもの。
「あの、荷物が重くても大丈夫なのですか?」
『門』は重いものを持っていたり、自重が重いと魔力が多く必要だった。
今回は根菜類の買い物をするのだから、帰りは重いものを持っているはずだ。
「大丈夫ですよ、アトネスト。私は【収納魔法】がありますから、重いものはある程度そちらに入れてから移動します」
ヨシュルス神官がそう仰有った時に、レトリノがぴくっと眉を動かした。
そして小声でこう言ってはなんですが……と、ヨシュルス神官に話しかける。
「【収納魔法】を人前で使うのは……神職としては、どうかと」
「おや、どうしてですか?」
「その魔法は……その、あまり上位の方々の使う魔法とは思えません」
レトリノがそういうのも少し、解る。
アーメルサスでも【収納魔法】は『盗人の魔法』などと言われて、蔑む人も多かった。
だがミオトレールス神官とヨシュルス神官は軽く笑って、ヤレヤレ……まだそんな下らないことを、と呆れたような声を出す。
「すべての魔法は、神々からの恩寵なのですよ? 魔法で上位とか中位と言われているのは格のことではなく、使用魔力量の多さとか魔法自体の効果範囲のことなのです」
「そうそう。それに【収納魔法】は、神職であるのならば垂涎の魔法なのですよ。いいえ、神職のための魔法と言ってもいいくらいです!」
おふたりの言い分に私とレトリノは顔を見合わせ、いくらなんでもそれはなかろう、と苦笑いをする。
……初めて、レトリノと意見が合った。
だがそんな私達に、ヨシュルス神官は教えてあげましょう、と向き直る。
「これは、魔法法制省院省院長補佐官殿が仰有っていたのです。その方は【収納魔法】をお持ちで、皇国第一位筆頭書師様に清書をしていただいた『神書』とも言うべき『魔法師法全書』『イスグロリエスト皇国法』を【収納魔法】の中に入れて運んでおられた」
「その時に『我が身のうちに神書を抱くこの魔法は、最も尊い神々からの祝福とも言うべき
「ええ! 私も【収納魔法】の中に、神典を入れて持ち歩いております。常に神々の言葉をこの身の内に抱く喜び……君達には、この喩えようもない歓喜が理解できないとは……神職としてまだまだです」
「……本当に……私など、どうして授かれないのかと悔しく思っているほどですよ」
レトリノも私も、とんでもない衝撃を受けた。
『神々の言葉を身の内に抱く喜び』……なんと甘美な体験だろう!
「……も、申し訳ございません……私が浅はかでした。なんと素晴らしい魔法だ……!」
あのレトリノが目を潤ませてそういうと、ヨシュルス神官が頷きつつ彼の肩を優しく叩く。
「いいですか、ふたり共」
ミオトレールス神官がそう仰有って、私達ふたりに小声で囁く。
「魔法の獲得には、予兆と試行が必要なのです。ヨシュルス神官が【収納魔法】を授かったのは、ごく最近……この町で買い物をするようになってからなのです。だから、買い物や荷物運びなどは【収納魔法】獲得の試行になり得るのですよ。この買い出しは神々が、私達にその魔法をくださろうとしている予兆なのです!」
「「はいっ!」」
その後、私とレトリノがより一層、荷物運びや買い出しに積極的になったのは言うまでもない。
……単純だなぁ。
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