第62話 三十一歳 秋・弦月中旬-1

 あの日から数日、私は自分をなるべく追い詰めないように気をつけて……と、ちょっと考え過ぎている。

 いや、もう、癖になっているのだとしか思えない。

 取り敢えず『自分は駄目だ』とか『こんなに至らないのだ』と思うと……安心するという、とんでもないことに気付いた。


 駄目な自分を見つけたことで『原因』が解ったという安心感。

 そして、それを悟れたのだから大丈夫という『何もしていないのに解決した気になっている』ものと……思われる。


 だからいつまで経っても、同じところで自分が揺らぐ。

 当たり前だ。

 何も解決していないのだから。

 その上、テルウェスト司祭がお教えくださる皇国での常識と、今まで生きてきたアーメルサスでの常識があまりにもかけ離れていて混乱に拍車がかかっている。


 そんな私に『ゆっくりでいいですから』と、仰有ってくださるがテルウェスト司祭もきっと呆れていらっしゃるだろう。

 こんな状態で自分のいいところとか好きなところというものが、見つけられていないままだ。

 ふぅ……道のりは遠い……


 今日は聖堂の掃除を頼まれたのだが、誰もが簡単にやってしまう【洗浄魔法】や【浄化魔法】の方陣札の使用が私には苦手だ。

 自分自身に魔法がかかる場合はまだいいのだが、自分以外のものに魔法をかける時の加減がよく解らない。

 やっと先日【灯火魔法】の方陣でなんとか蝋燭に火がつけられるようになった。

 ……強過ぎて蝋を半分以上一気に溶かしてしまったり、弱過ぎて全く火が点かないなど二十回以上の失敗を繰り返してやっと、だ。


 ミオトレールス神官やガルーレン神官も丁寧にお教えくださるのだが……如何せん、子供の頃からできなかったことがないという方々である。

 どうしてできないのかが解らないのだから、どう改めればいいのかも今ひとつお解りでないのだという。


「君に教えていると、自分達がどれほど独りよがりで魔法や神典の言葉を人々に伝えていたかがよく解るよ……」

「まったくです。アトネストのおかげで、私達も改めて魔法のことを考えることができますよ」


 おふたりをそんなにも悩ませてしまうほど……できていないのだなぁ。

 魔法に関してのいいところは、途轍もなく見つけにくい。

 私達三人が二枚の方陣札を持って、さてどこから手を付けようかと思っていた時に来客があった。


「こんにちはー、おじゃましまーす」

 聖堂にいらしたのは、タクトさんだ。

 今日の五刻半にある方が教会にお見えになるらしく、お約束があるのだという。


 朝食が終わったばかりの今は、五刻の少し前。

 少しだけ早めにいらしたのは司書室が見たかったかららしい。

 タクトさんがすれ違う時に、私の持っていた方陣札を見て首を傾げた。


「あれ? 随分効率の悪い札を使っているんですね」

「効率、でございますか?」


 ミオトレールス神官がこれはずっと前から使っている方陣札なのですが、とタクトさんにお見せする。

 すると、最近はもっと少ない魔力でいい方陣が、安価で出回っていますよと教えてくださった。


「そうでしたか……! では、後で魔法師組合に買いに行きましょう。あと二枚ほどしかなくなっていましたから丁度いいです」

 ガルーレン神官とそういって頷き、昼食前に行こうと話をした。

 魔法師組合……そういえばレーデルスで教えてもらった方陣と違うものもあるかもしれないから、描きやすいものがないか聞いてみよう。

 この間タクトさんの所で教えていただいた『微弱回復』ですら、私にはまだ難しかった……練習は続けているが。


「どうですか、アトネストさん。方陣札は使えそうですか?」

 タクトさんに尋ねられて苦笑いをする。

 どうしても魔法の加減と魔力の入れ方がよく解らないと言うと、少し考えてある提案をしてくださった。

「魔法の有効範囲を、具体的に意識した方がいいですね」

「有効……範囲?」


 まず、聖堂の端から端までを歩き、何歩だったかを覚えてくださいと言われて縦に、そして横に歩いた。

「その歩数の長さと幅を意識しながら、魔力を注いで隅々まで『風』が通るように魔法を発動させてみてください」

 風?

 洗浄なのに……

「風が埃や塵を舞い上げて、外へと送り出す感じを想像するんです。その時の範囲として、今アトネストさんが歩いた歩数を意識しててください」

 歩いた場所を思い浮かべて、見渡した広さを意識する。


 魔法が発動し、ふあーーーっと隅々まで魔力が広がっていく。

 そして塵、埃、ゴミなどが……消えていった。

 同じように次は浄化の方陣。


「こちらは光が満ちる感覚で。窓を開けて朝の天光が部屋を満たすように想像してください。歩いた歩数の感覚は忘れないで」

 タクトさんの言葉に頷いて、大きく息を吸い、ゆっくりと吐いてから……魔力を入れる。

 光……天光の、窓から満ちる、朝の清浄な。


 床の汚れや足跡などがすぅぅっと消えていく。

 壁も腰の高さくらいまで、光が満ちるような感じだった。

 自分が魔力を使ったと自覚はできるが、つらくはない。


 方陣を起動させるのは、最も安全な魔法の使い方だと言われている。

 未熟な者であっても、無駄に魔力を使うことがないから。


「おお……! ちゃんと浄化されていますよ、アトネスト!」

「素晴らしいです! 成功しましたねぇ!」

 ミオトレールス神官とガルーレン神官が手放しで褒めてくださって、喜びと安堵が心を満たした。

「ありがとうございます、タクトさん!」

「上手くいって良かったです。魔法を発動する時には、必ず何処から何処までかを意識すると魔法の大きさや必要な強さが決められますよ」

 そして、すぐに自分で歩かなくても範囲指定ができるようになりますよ、と言ってくださった。


 タクトさんはそれだけ言うと、司祭様に呼ばれて別室へ。

 私はあまりに上手くいったことをまだ信じられずに、方陣札を眺めていた。

 感動がおさまらないのだ。

 こんなに思うように魔法が使えるなんて、思ってもいなかった。


 やっぱり一等位魔法師というのは凄いのだな……

 タクトさんに手ほどきを受けているあの子供達は、きっと将来凄い魔法師になるに違いない。




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『カリグラファーの美文字異世界生活』の第503話とリンクしております。


 

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