第60話 三十一歳 秋・弦月六日-3

「タクトさんは、神典を全部覚えていらっしゃるのですか?」

 私は思わず尋ねてしまった。

 皇国では、確かに神典や神話を読んでいる人は多いが、さらりとその言葉を引用し独自の解釈まで言える人はなかなかいない。

 ましてや彼は、貴族でもないし、適性年齢前だ。

 神職でもないのだから、正典の写本などしているはずもないというのに。


「全部ではないですけど、好きなところは覚えていますよ」

「……ここでも『好き』なんですね」


 迷いなく、答えるのだな……羨ましいと思い、とても好ましいと思える。

 こういう風に考えても、いいんだなぁ。

 好き、は原動力だと語る。

 迷ったら好きな方を選ぶと言う彼は、自分のことを欲張りだと言って笑う。


「なるべく、したいこと以外は、しなくて済むように努力します」

 初めて聞いた。

 やらないための努力、なんて。

 できるようになるために、役に立つようにとするものが努力だと思っていたのに、まったく正反対の方向のことを言うなんて。


「自分でしなくてもいいように道具を作ったり、楽にできるように魔法を作ったり、信頼できるどなたかに頼ったり」

「人に、頼るのですか?」

「俺ひとりができることなんて限りがありますし、俺より上手くできたりより素晴らしい結果を出せる方だと思えれば頼ります。ま、こちらのお願いを全部は聞いてもらえなくてもいいけど、できたら手伝って欲しいなーってくらいの気持ちで」


 限界を知っていて、それを越えるために必要なものを考えて生み出し、それでも足りなければ人に希うが期待はし過ぎない……

 そういう『加減』は……きっと、多くの人と接していらっしゃるからだろう。

 この店は大勢のお客さんが来るだろうし、彼はあの広い市場で神官の方々に買い物の指南ができるほど歩き回っているということだし。


 きっとこの町で数多くの人々と色々な話をしながら、育った方なのだろう。

 私は自分が、彼と同じことができるようになれるとは思えない。

 そのことはつらくも悲しくもないが、いつか彼に僅かでいいから近付きたいとは思う。


「ありがとうございます。あなたの話が聞けて、私は……少しだけ、自分を好きになることが悪いことじゃない、と思えるようになりました」

「……すみませんね、自分のことばっか話しちゃって」

 タクトさんはちょっと照れくさそうに、微笑む。

 こういう感じは、まだなんとなく子供っぽいんだな。


「タクトさん、あなたの神典の解釈、もっと聞きたいですー!」

「そうです。とても新鮮だった。是非教会でお話しする機会を……」

「俺は神職じゃないのでお断りします。この冬は忙しいのですよ、ご存知でしょう?」


 ミオトレールス神官とガルーレン神官も、タクトさんの解釈はやはり珍しいとお感じになったのだな。

 いつかまた、この食堂に来た時に……話をしてもらえるだろうか。

 私がぼんやりとそう考えていた時に、タクトさんに『簡易調理魔具』の具合は? と尋ねられた。

 なんでいきなりその話になるのだろう、と首を傾げてしまったのだが突然ミオトレールス神官が声を上げる。 


「素晴らしいです! 昨日作ったアトネストの咖哩は、最高に美味しかったのですよ!」

 ……吃驚、した。

 こんなに手放しで褒められるなんて、思ってもいなかった。

 ガルーレン神官も頷いていらっしゃる。


「アトネストは確かに魔力が少ないですが、少しずつ延ばす努力を誰よりもしています。継続できる力も持っているし、苦手なはずの魔具も積極的に使おうとしています。きっと春になる頃にはかなり成長しているはずですよ」

 ど、どうしよう。

 嬉しい。

 もの凄く……嬉しい。


「そうですか! それならばよかった。ちょっと心配だったんですよねーあの方陣、ちょっと弱くし過ぎちゃったかと思っていたので」

「え?」


 私は余程頓狂な顔でもしていたのか、ミオトレールス神官が『あの魔具をお作りになったのがタクトさんなのだよ』と説明してくださった。

 椅子から転げ落ちんばかりに驚いてしまった。

 この町には一等位魔法師の方が何人かいると伺っていたし、あれ程の魔具が作れる方は、きっと……その、もっとお年を召した方だとばかり……


「そうなのですよ、アトネスト。タクトさんは、魔具をお作りになるのが非常に得意でいらっしゃるのです」

「もし、何か感じることとか思いついたことがあったら是非聞かせてくださいね、アトネストさん。今後の参考にしますから」

「……はい!」


 あの魔具は、私にほんの少しだけ自信をくれた。

 今日教えていただいた方陣も、何度も描いて使えるようになりたい。

 好きなところを見つける……というのは、実はまだどうしたらいいか解っていない。だから、思いついたことをやってみよう。

 ……気楽でいい……と言ってもらえたのだから。


 そろそろ戻りましょうか、とガルーレン神官に促されて立ち上がる。

 なぜか、この部屋に入った時よりはるかに心が軽くなっているのに気付く。

 食堂を通り抜けると……ガイエスが不思議そうな顔で、空っぽの皿を見つめていた。


 ガルーレン神官が『あの不思議な菓子を食べたのかな』とほくそ笑む。

 そうか、確かにあれはあんな顔をしたくなるような味だった。

 側に寄って話しかけたタクトさんに、ガイエスは驚きつつも文句を言う。


「なんで甘いものをしょっぱくするんだよ?」

「違うよ、しょっぱいものを甘くして食べてもらったんだよ」

「……屁理屈」

「美味しかったろ?」

「まぁ……それなりに」

「なら、いいじゃねーか」

「保存食には……?」

「ご希望があれば」

「もうちょっとだけ、ショコラが甘い方がいい」

「はい、はい」


 ふたりは、本当に友達なのだなぁ。


「ほらー、アトネストさん達に笑われちゃったじゃないかー」

「おまえの菓子のせいだろうが。なぁ、アトネスト?」

 いかん、思わず笑ってしまっていた。

「すまない、ガイエスは甘いものが好きなんだなぁと思って……あの時も、私に焼き菓子をくれたし」


「へぇー鉱石探掘の仕事で行っていた時にでも会ったのかー?」

 タクトさんが改めてそう言うということは……ガイエスは冒険者としてでなくやっぱりはじめは掘工師として入国して、後から衛兵隊に協力していたのか。

「そ、そうなんだよ。俺が電気石を取っていた山の近くの村で……なっ?」

「うん、随分世話になった」


 私が今更冒険者として彼と話すことはないし、冒険者である彼に特には……

 あ、段位……聞いても大丈夫だろうか?

 それだけは、ちょっと気になっていたんだけど。


 だが、私が問いかけようとした時に、タクトさんが頼まれていたものができあがっているから奥へ行っててくれと言い、ガイエスは立ち上がった。

 そしてガイエスは、その内教会に行くから、というのでまた会う約束だけして別れた。

 そうだな、食堂で立ち話はよくないな。

 また、私は気遣いが足りていなかっ……いかん、また駄目なところばかり考えてしまっている。


 ミオトレールス神官とガルーレン神官、おふたりとあの不思議な菓子の話や、魔具の話をしながら教会へと歩く。

 笑えている。

 多分、自分が楽しいから。


 他人を解ろうとか合わせようなんて……自分すらも解らないくせにできるわけなかったのかもしれない。

 好きな、自分……か。

 みつかると、いいなぁ……




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『カリグラファーの美文字異世界生活』の第501話・『緑炎の方陣魔剣士・弐』の第137話とリンクしております。

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