第59話 三十一歳 秋・弦月六日-2

 母親が迎えに来たのか、子供達は彼女達について帰っていった。

 タクトさんに『また教えてね』と手を振りながら。

 彼は子供達に好かれ、親達にも信頼されているのだろう。


 ミオトレールス神官とガルーレン神官にもいていただきたかったのでお引き留めしてしまった。

 タクトさんに案内されたのは、裏庭から入ってすぐの部屋。

 楕円の大きめな卓がある。

 どうぞお好きな席へ、と言われたので……窓を背にして奥の方へ入った。

 ここが一番、邪魔にならないんじゃないかと思って。


 紅茶が差し出され、柔らかい香りが立ちこめる。

 私の横にミオトレールス神官、斜め前の位置にガルーレン神官。

 タクトさんは、ガルーレン神官に斜め横で卓を挟んで私の前に腰を下ろす。

 紅茶を一口、口に運ぶとほっ、として緊張が緩む。


 タクトさんが聞きたいこととは、なんだろう?

 生い立ちとか、今までどうやって暮らしていたか……?

 冒険者としての頃だろうか?

 それとも、どうして私がこの国に来たのか……ということだろうか。


「不躾で申し訳ないのですが……アトネストさん、自分のことは好きですか?」


 タクトさんの問いかけはあまりに意外で、一瞬なんのことか解らなかった。

 ミオトレールス神官も、意味が掴みかねるというように瞬きする。

 だが、何も答えられずにいた私に、もう一度問いかけられた。


「全部じゃなくていいんです。一部でも、ほんの少しでも、自分で『こういう自分は嫌いじゃないな』って思うことはないですか?」


『好き』とか『嫌いじゃない』自分?

 自分のことなんて好きも嫌いも……いや、嫌い……だったな。

 ずっと、何をやっても思い通りにならなくて、諦めて、やっと少しだけ前を向けただけで……好きにはなれていない。


「ないです……ずっと、自分は間違ったことばかりしか、してきませんでした……なにもできないことばかりで、誰とも気持ちを通わせることができていないと感じていて……このまま神職でいても、故国に神典を広めるどころか伝道師にすらなれない」


 私があの国で子供達に話を聞いてもらえたのは、皇国の神典だったからだ。

 彼等が求めていたものはそれだけであり、私自身ではない。

 それは知っていたけど、神々のことを聞いてくれたことが嬉しくて、語っていた。

 聞いて、くれたから?


 この国では当たり前過ぎて、誰もが知っていることだから……聞いてもらえないから……あの国に行きたいと思っている?

 いや、正典のすべてをアーメルサスの人々に教えたいのは間違いない。

 どうしよう、また解らなくなった。


 自分で決めたことの筈なのに、自分で誓ったことなのに。

 私はあの好きでもない国に、懐かしささえ感じないあの国の……なんのために戻りたいと思っているのだろう。

 私はあの国ではまったく価値などなく、必要とされてないというのに。

 ただぐるぐると混乱の思考の中にいる私に、タクトさんは『決して一般的でも普通とも言えないですが……』と話し始める。


「何を元にして『自分が間違っている』と思われているのか……俺にはよく解りませんが、自分を好きになるということに『正しさ』とか、何かとの『比較』は排除した方がいいと思うんです」

 正しさが、必要ない?


「こういう言い方は乱暴かもしれませんが、他人とか社会って永遠に側にあるものではないでしょう? 実際に、アトネストさんはアーメルサスから皇国に来た時に、関わる人が代わり所属する社会が変わっている。だけど、自分自身は常に傍らにある。生まれてから死ぬまで、もしかしたら死んで魂だけになったとしても、自分自身を切り離すことなんてできないのに好きになれないのは、つらくないですか?」


「だけど、私は自分にどんな価値があるのか……解りません」

「自分というものに対してだけは好きになるのに、価値も理由もいらないですよ」

「え?」


「価値、なんて他人が勝手に言ってることです。そもそも『比べない』が前提なのに、他者に対して示すような価値なんて必要ないですよ。ただ、自分であることを好きでいて欲しいです。自分を許せず好きになれない人が、その他の何を好きになれるっていうんですか。まずは、一番身近な『自分』からだと思うんですよね、俺は」


 自分。

 今まで考えてきたはずだと思い起こすが、否定と嫌悪しか思い浮かばない。

 なのに、そう判断した原因も……よく解らない。

 嫌っているのは、思い描くものと違い過ぎるから?

 否定するのは、そうしないと正しくないと思い込んでいるから?


 タクトさんは好きじゃない自分は信じ切れないだろう、と好きじゃない自分の決めたことなど守れないし続かないでしょう、という。

 ……そうかもしれない。

 好きじゃないのに、自分が決めたことだから従わねばならないと思っている。

 なんで好きじゃないのかなんて、考えたことがなかった。

 ずっと、それは当たり前だった。


「まずはひとつだけでいいから、自分の中の好きなところを見つけてください。そしてその好きな部分を、裏切らないでいるだけでいいと思うんです。他人の気持ちを理解するとか寄り添うなんて、自分がちゃんとできてから余力がある時にすればいいんです」

「余力、ですか?」

 ガルーレン神官がタクトさんに問い返す。

「神職であるのなら、期待されるではないですか。彼等を無下にはできませんよ」

 ミオトレールス神官も、神職としての在り方はそのようであると言う。

 そうだ。

 人々の心に寄り添い、正典の言葉を正しく伝えることを期待され、そうあらねばならない。


「そう思ったら、できる範囲で手助けしたらいいのです。だけど、それをする時に誰ひとり犠牲にしてはいけない。たとえ自分自身でも。もし期待に応えるために犠牲になった人がいると知ったら、その人が優しい人なら傷つくし、嫌な奴ならもっと犠牲があれば自分が楽になると考えてしまうかもしれない。どちらもいい結果にはならない気がします」


 できる範囲……で、いいのか?

 ああ、そういえばガイエスも『できる範囲で』と言っていた。

 私にとってはそれが充分過ぎるものだったから、私から差し出すものも求める人々の期待を越えるものでなくてはいけないと……思っていた。

 だけど、そう思っている人達ばかりだったら期待はずれでがっかりされてしまうのでは?

 そうなったら、もう二度と信じてもらえなくなるのではないだろうか。


「……できない、と言って……嫌われるのは……」

「全ての人から等しく好かれるなんて、絶対に無理ですよ。神々ですら、全ての人達から愛されてはいません。なのに、人如きができるとは思えません」

「神々を嫌うものなんて、いません!」


 タクトさんの言葉に、ミオトレールス神官とガルーレン神官が反発するのは当然だろう。

 皇国では、確かにそうだ。

 誰もが神々を敬愛している……でも、私は知っている。

 それが当たり前でないことを。


「アーメルサスでは……聖神二位は嫌われていました」

 あれ程優しく、人々をお守りくださる神を平然と否定し罵倒していた。

「だから……加護がなくなるんです。神々がお怒りだから」


 国が荒れるのも、人々が差別されているのも、正しい神典を知らないからだ。

 人々の心が正しく在れば、きっと神々はお許しくださるはずだ。

 そのために……私が生きている間には無理でも、子供達の時代には正典を心から信じ神々から加護を賜るようになれれば……


「神々は、多分怒っていないですよ。そもそも、神々は一部の人に嫌われようとなんと言われようと『仕方ないなぁ』くらいだと思いますよ」

 そんなことがあるわけがない。

 あれ程酷く……ああ、この人はアーメルサスでの聖神二位の扱いをご存じないから……?

 だけど、魔獣が人の住む町のすぐ近くまで現れたり、迷宮ができて森がなくなっているのだ。

 人々は魔力が少なくなり、魔法の殆どが使えなくなってしまっている。

 これが神々の怒りでなくてなんだというのだろう。


「どうしてそんなことが言えるのですか? 実際に、アーメルサスには……」

「荒廃も魔獣の増加も全部、人の手でしていることの結果です。神々がもし本気でお怒りなら、とっくにそれらの人々は粛正されていて大地は更地になっているか海に沈んでますよ。人が勝手にやった愚かな行為を、神々のせいにしちゃ駄目です」


 人の過ちの結果……

 そう、か。

 正典に記された神々は、人々を罰することもなく試すことも……なさってはいない。

 悪いことが起きると神々のせいにし、自分達の研鑽が不足していることまで、神々が加護をくださらないからと思って……

 信仰から離れたのは自分達のせいなのに、神々がしてくださらないことばかりを嘆いていた?

 あの国で私が学んだ教典は……前提から、間違えていたのか?


 その時、タクトさんがぽそり、とあの神典の言葉を口にした。


『繰り返し真実の扉に手を掛け誓うがよい。神の御許に戻るために』


 そして彼はまったく思ってもいなかった解釈を語る。

「真実の扉はきっと自分の心。それを裏切らないように、偽らないようにと誓うのは強さ。そうして自分の足で立ちあがるからこそ、神の御許に歩き出せるようになるのだと思うんです」


 私は『真実の扉』は神々が用意してくださっているもので、その扉に誓う正義と献身が認められればその扉が開かれると思っていた。

 そうして扉の中に入れれば……正しき者として加護を賜り信仰を許されるのだ……と。


 歩き出す……神々の御許に到るために。

 自らの心に誓いを立てて、自分を信じて。

 真実の扉は辿り着くべき場所ではなく道標に過ぎず、神々に至る道の途中で幾度も誓いを胸に刻むということなのか。


 そんな解釈も、あるのか。

 こんなにも『言葉』は、受取り手によって変わるものなのか。

 彼はこれは自分だけの考えだから、私の思いと違っていてもどちらも間違いではないのだという。

 自分が好きになれたら生きるのが楽しくなって、自然と神々に感謝できる……と。


「俺は、文字と魔法と鉱石と美味しい食べものが大好きです。なので毎日とても楽しくて、神々に感謝していますから」


 そして、気楽に行きましょう、人生長いのだし! と笑う。

 強い、方だ。

 好きなものを見つけるということは、こんな風に強くなれるということなんだろうか。


 私自身の、好きなところ……それを指針に、自分を裏切らず偽りなく神々の前に立つ……

 自分を許して好きになるって、簡単にできない気がするのだがなぁ。

 だけど、こうやってまったく違う考え方に触れるというのは、少し楽しい。

 ……楽しい……?


 いつか、誰と話すことも楽しいと思えるようになれたらいい。

 かなり遠そうだが。


 好き……か。

 神々以外に好きなものなんて、まったく考えようとしていなかったなぁ。

 ……あ、咖哩は……好きだな。

 でもこれは、ちょっと違う気がする。




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『カリグラファーの美文字異世界生活』の第500話とリンクしております。

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