第58話 三十一歳 秋・弦月六日-1
翌日の午後、昼食後に私が出掛けようとした時にミオトレールス神官とガルーレン神官もお出掛けになる予定なのだという。
「実は、とても美味しいお菓子のお店があるのですよ」
「我等は、その店の菓子が皆好物でなぁ」
そんな店があるのか。
少し興味があったので、付いていってもよろしいかと伺ったら一緒に行きましょうと誘っていただけた。
この町はどの店もとても美味しいが、その店は格別なのだとか。
青通りを真っ直ぐに南へと向かう。
へぇ、この通りは色々な店が多いのだなぁ。
食べ物屋も多いが食堂ではなくて店頭で料理を売っている店ばかりなので、買って家で食べるのだろう。
どこも賑わっているから、きっと美味しいに違いない。
今度、買ってみよう……と考えながら歩いていたら『着きましたよ』と言われてその店の扉の前に立ち止まる。
……タクトさんのお店だ。
そうか、ここは『格別』なお店だったのか!
道理でガイエスだけでなく、衛兵隊の方々も多かったはずだ。
食堂の硝子扉を開くとあのリーン、という音が響きタクトさんが『いらっしゃーい』と迎えてくれる。
相変わらずお客が多い。
今の時間は『お菓子の時間』らしく、皆が美味しそうに……いや、何人かは不思議そうな顔をしている?
「はい、今日は『
そう言われて目の前に置かれたのは温かい菓子だった。
ふわり、と香る甘い匂い。
『しょこら』とはカカオのことだと、ガルーレン神官から教えていただいた。
シュリィイーレで作られる甘いカカオの菓子を『ショコラ』と呼ぶのだそうだ。
カカオをこんな風に食べるのは初めてだ……焼き菓子に使われていたのとは、全然違う。
確か、ミューラの南で作られていたカカオは薬だと聞いていたのだが、皇国だといろいろな菓子になるのだなぁ。
「甘い……のに、塩?」
「な、なんとも不可思議な……なんと表現したらよい味だ?」
「なのに、どうしてか、立て続けに口に入れてしまいます……美味しい……!」
そんなものでも菓子にしてしまうとは……甘くてしょっぱくて、癖になる……
うん、結構、好きかもしれない。
周りの客たちからも様々な声が聞こえてくる。
「まったく、タクトが考えるもんは、時々どーしていいか解らん」
「本当ねぇ……美味しいんだけど、不思議ねぇ」
「なんだって、芋を甘くして食おうとか思うんだ?」
「タクトくんって……変なこと考えるのね……美味しいからいいんだけど」
「あたし、これが自動販売機に入ったら買い占めるわ。凄く好き」
じどうはんばいき、とはなんだろう?
この店にはどうやら、いろいろと驚きに満ちたものがありそうだ。
わたしがそんなことを考えつつ菓子を食べきったその時、タクトさんの『うっ』という声が聞こえて振り返った。
「……痛いよ、バルテムス……」
どうやら、背後から小さい男の子が抱きついたようだ。
勢いよくぶつかられたから、声が漏れたのだろう。
えへへー、と笑うその子はタクトさんの知り合いの子のようだ。
「なーっ! 方陣描いたから見てよー! 上手くできないんだよー」
方陣?
こんなに小さい子が?
「今はお仕事中だって。もう少し……」
タクトさんが少し困ったようにそう言うと、奥から男性が顔を出した。
「こっちは大丈夫だから、子供達と遊んでやれよ」
「……んー、じゃあ、父さん頼むね。バルテムス、みんなと裏庭に行ってて」
あの男性はタクトさんの父君なのか。
瞳の色が同じだ……なんて綺麗な蒼だろう。
ふたりとも、賢神一位の瞳みたいだ。
「あ、あのっ、タクトさんっ! 私達もご一緒してもよろしいでしょうかっ?」
突然、ミオトレールス神官が立ち上がって、タクトさんにお願いをなさる。
そうか、魔法師……それも一等位魔法師の方の描かれる方陣だ。
確かに見てみたい。
タクトさんは少しだけ吃驚したような顔を見せたが、すぐにどうぞ、と笑顔で私達を裏庭へと誘う。
店の裏にはこの区画の全ての家々との共同の裏庭があり、かなり広い場所だった。
この近所の子供達の遊び場になっているのだろう。
こういう所であれば、馬車などを気にすることなく走り回れるのだな、と眺めていたら子供達が四人ほど出て来た。
「この人数だとちょっと小さいな……ちょっと大きめの机、作ろっか」
そう言うと、家の中から木材をいくつか持ってくる。
結構重いのでは思うのだが、随分軽々と。
そして、私達の目の前で【加工魔法】を使ったのか、あっという間に大人四人と子供四人が楽に座れるほどの机を作ってしまった。
……まさに『魔法』だ。
手を翳し目を閉じて集中して……なんて、アーメルサスの魔法師がやっていた一連の動作など何ひとつなく息をするように軽々と魔法が繰り出され、机ができあがり、そして足りなかった椅子まで作られてしまった。
ミオトレールス神官が、ほぅ、と溜息のような感嘆を漏らされ、ガルーレン神官も流石だ、と頷かれる。
神官ふたりがこのようにお感じになるということは、相当素晴らしい魔法ということだ。
タクトさんは一等位の中でも、特に魔法に長けていらっしゃるのだろう。
「では、バルテムス、君の描いた方陣を見せてくれ給え」
「はいっ!」
タクトさんの言葉に、さっきぶつかってきた子供が生徒のように返事をする。
「お、これは『微弱回復の方陣』だね」
こんな子供が描けるものなのかとその回復の方陣を覗き込むと、今まで見たこともないような簡素で簡単なものだった。
ミオトレールス神官が『微弱回復だからですよ』と説明してくださった。
なんでも、少量の魔力で小さい傷とか簡単な怪我程度を少しずつ治すもので、一日貼っていても小さい切り傷程度のものが治せるくらいのようだ。
小さい子供や魔力が少ない人でもこれならば描けるし、起動も方陣への蓄積も少ない魔力で済む。
そして方陣を書く練習には、非常に素晴らしい教材なのだという。
確かにそうだ……しかし、この形は……子供が書くには難しそうだ。
タクトさんが取りだしたのは真四角の紙。
『折り紙』という手法で、書くべき方陣の形を作るのだという。
そしてそれをなぞって書けば、ただ紙に線を書いていくより正確な形になるのだと仰有る。
……紙を、折って形を作る……?
タクトさんは見本に何度かその紙を折り、開き、また折って……七つの角のある形を作り出した。
この形が『黄魔法』の方陣に必要な、基本の形なのだという。
「……折るの、ここ?」
「そうそう、上手いぞミシェリー」
私達も子供達と一緒に、その折り紙をやってみた。
かなり、難しい。
角や線をきちんと合わせるのに、結構な注意力が必要だ。
……私より、子供達の方がはるかに綺麗に『折り紙』ができている。
だが、こうして形を作れれば、確かにその外枠をなぞるだけで方陣が描ける。
子供でも練習すれば正確に描けるようになり、その内慣れてくれば難しい複雑な方陣だって描けるようになるだろう。
なんと素晴らしい!
「タクトにーちゃん、はみだしたぁ!」
「ああ、じゃあ消し筆は……」
ひとりの子が書き損じたものを消そうとしている。
確か消し筆は繋がっている線の全てが消えてしまうから、折角途中まで書いたのに全部書き直しになるだろう。
「あ、待ってルエルス。消す前に消したくないところに別の色で『点』を書くのよ」
え?
「なんだよ、俺が教えてやったのにエレエーナが教えるなよぉ!」
「いいじゃない、知っている人が教えれば!」
女の子は間違えてしまった男の子の書いた線の消したい部分と、消したくない部分の境目に小さく別の色で『点』を打った。
そして消したいところにその男の子が消し筆を使ったら……『点』より先が消えずに残った。
線が繋がっているにもかかわらず!
その子供達に向かって、タクトさんが拍手を送る。
「凄いなー! バルテムス、よくそんなことに気付いたなぁ! エレエーナもちゃんと理解できてて、小さい子に教えられるなんて素晴らしいぞ!」
子供達は褒められてとても嬉しそうだ。
だが……タクトさんまで、もの凄く喜んでいる。
この子たちは彼の家族ではないだろうし、少しばかり便利なやり方を見つけただけなのに……なんでこんなにも、感激したように喜んでいるのだろう。
……ふいに、あの回廊の先の部屋で、神話の五巻を発見した時に感じた気持ちを思い出した。
ああ、タクトさんは子供達が喜んでいるから、一緒になって喜んでいる……ということなのか。
「アトネストさん?」
タクトさんがいつの間にか俯いてしまっていた私を覗き込むように、小首を傾げる。
「す、すみません……その、どうしてタクトさんが……お喜びなのかがよく解らなくて」
私はそう言ってしまって、しまった、と思った。
『人の気持ちがわからない』などと言ってしまったら……お気を悪くされるに決まっている!
だが、タクトさんは静かに答えてくれた。
「俺は、この子供達のことが好きなのでこの子たちが素晴らしいことに気付いたり、実践できたことを嬉しいと感じたんですよ」
その声に、なぜか疑問に思っていることがするり、と口から出てしまう。
「……肉親でもないのに、ですか?」
「喜びを感じるのに、血の繋がりは関係ないでしょう? 好きな人や大切な人だったら、嬉しくならないですか?」
好きな人や、大切な人。
いた……はずだ。
家族?
ミレナ?
ドォーレンで俺の話を聞いてくれた人達?
助けてくれたガイエス?
どうしよう。
全然、何も、何も、考えていなかった。
好き、とか、大切、とか。
神々以外に……何も。
恩も感じるし、感謝もある。
なのに……特に会いたいとすら、思っていない?
目の前で楽しげに笑う子供達の姿を見て、ドォーレンの子供達と比べはするのに……あの子達を懐かしくは思っていない。
いや、あの国すら……好き、ではない。
なのに、あの国で神典を広めたいと考えるのは、どうしてだろう?
私は……なんでこうもすぐに、自分の足元が揺らぐのだろう。
タクトさんは何も言えずにいる私に、ゆったりとした口調で話しかける。
「もし、嫌でなければ……あなたのことを少し尋ねても構いませんか?」
問いかけに、また、揺らぐ。
でも、なんでだろう、明らかに年下の筈の彼に『答えてもらいたい』と思っていた。
「……はい」
とても素直に、言葉が出た。
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『カリグラファーの美文字異世界生活』の第499話とリンクしております。
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