第57話 三十一歳 秋・弦月五日-2
レーデルスからシュリィイーレに戻り、レトリノとヒューエルテ神官が作ってくれた昼食をいただいた。
……少し、私には甘すぎたが……こっそりミオトレールス神官がかけてくださった胡椒で、なんとか食べ切れた。
そして午後の課務の後、休憩の時間に私は自室で幾つかの『灯火の方陣』を描いてみた。
しかし、どんなに丁寧に描いてもレーデルスで灯せたほんの少しの炎以上にはならなかった。
方陣を描くにもきっと研鑽が必要なのだろう。
今日初めて描いたのだから、これから練習していけば使えるような方陣になるかもしれない。
夕餉の支度時間になった。
今日は、私とガルーレン神官で用意をする。
ガルーレン神官は非常に料理が得意でいらっしゃるのか、様々な調理法ができる方だ。
「今日は私が一番、アトネストに覚えてもらいたい料理だ。一緒に作っていくぞ」
そう仰有ったガルーレン神官が私に用意してくださった『試食』は、奇妙な袋に入った料理だった。
袋には『鶏肉と豆の咖哩』と書かれている。
湯の中に袋ごと入れて、暫く火にかけると袋を取り出して器に開けた。
……ふわっと漂う、嗅いだことのない香り。
香辛料だろうか。
なんと贅沢な料理だろう……!
ガルーレン神官の仰有るには、全ての香辛料がシュリィイーレの東市場で買えるものだという。
あ、もしかして、私が東市場でお見かけした方々が買い求めてくださったものかもしれない。
あの時『やってくる神務士達のために』と仰有っていたのだ。
この料理を覚えて欲しいからだったのだろう。
一口食べてみると……驚いたことに、
いや、食べられないほどではない。
野菜の味も感じられるし、
ガルーレン神官に『どうだ?』と微笑まれ、何度も頷く以外なんにも言えなかった。
もの凄く美味しい!
「よーし、味を覚えているうちに早速作るぞ。解らなくなったら、また一口食べて魔具に魔力を入れ直す。いいな?」
「はいっ」
材料は、料理が入っている袋に全て書かれている。
それを用意してまずは野菜を手に取ると、切り方が頭の中に浮かぶ。
その通りになるようにぎこちないながらも切っていき、鍋に触れるとどれほどの水を入れてどのくらいの分量の野菜を入れればいいかがぼんやりと浮かんだ。
「うむ、いい調子だ。火は点けられるか?」
頷いて、焜炉の魔石に魔力を入れると火がついた。
ふぅ……ちょっと緊張する。
魔力を入れる加減が、身につけている魔法とは少し違うから難しい。
ラーミカの教会にいた頃は、燈火を点けるのが苦手だった。
『魔力を操る』ことが苦手なのは、今まで自身にだけしか魔法を使っていなかったせいだと言われた。
攻撃のように他者に放って終了するのであれば、ただ魔力を放り出すように放てばいい。
だが、魔石や方陣を起動させるような魔力は『加減』次第で魔法の大きさや持続力が変わってしまう。
自分にかける強化や耐性などはどういう状態でいたいかを後から調節できるが、物品に状態を保持させる魔法は後からの調整の方が起動よりはるかに難しいのだ。
次に、香辛料を手に取り、混ぜ合わせていく。
少しずつ、慎重に。
この前、香草焼きを作ろうとした時は手が滑ってバサッと調味料をバラ撒いてしまい、魔具がその味は危険だと判断してか突然『ピーッ』と鳥が鳴くような甲高い音が頭の中で響いて魔法が切れた。
それ以上その素材で作り続けても食べられる物ができないと判断された時に、そうなるのだと言われた。
……あれは……落ち込んだ……
よし……今回は大丈夫そうだ。
ガルーレン神官が別に煮ていてくださった豆と、表面を焼いた鶏肉を鍋に入れて一緒に煮込む。
そして野菜を更に摺り下ろしても入れるのでその準備。
煮ているものから出る『灰汁』と呼ばれるものを取り除いて、指で千切れる柔らかめの平べったいパンも作る。
……料理というのは、色々なことを同時に進行していかないと食卓に同時に並べることができない。
これが、かなり混乱する。
「大丈夫だ。焦らずとも、このまま進めていけばできあがるぞ」
ガルーレン神官から励まされ、見本の味を確かめながら合わせた香辛料を入れていく。
野菜の摺り下ろしも入り、香りが立ってくる。
あ。
同じ香りだ。
あとは、煮込みながら、焦げ付かないようにゆっくりと掻き回せばいいのだ、と言われて肩の力が少し抜けた。
ガルーレン神官が少しだけ掬い取って、味見をしてくれた。
ドキドキする……
「うん、旨い! 良いぞ、アトネスト。もう少し煮込んだら完成だ! よくできたぞ!」
「あ、ありがとうございますっ!」
嬉しい。
初めてだ、自分の作ったものを美味しいと言っていただけたのは。
かなり手伝っていただいたし、ひとりだけで作ったものではないから次に作る時にはもっとできることを増やそう!
だが、食べ比べた見本の味とは……やはり少し違う。
いつかこんな風に美味しくできたら、素晴らしいだろうなぁ。
「アトネスト、魔具に魔力を補充して、外しておいた方がいいな。少し使い過ぎた」
ガルーレン神官に言われて魔具を見たら、入っている魔力量が半分以下になっていた。
この魔具は特別製で、どれほどの魔力を使ったのか方陣の色で解るようになっている。
私達神務士のために態々お作りくださったもので、魔力量が少ない者が無理をしないように周りが注意できるという作りなのだそうだ。
まだまだ、魔力が千にも届かない私にはありがたい。
この研修の間に、なんとか八百くらいになったらいいのだがなぁ。
見本の咖哩が入っていた袋を片付ける時に、ふと目に止まった。
……『製造元 南・青通り三番食堂』……あの食堂のものだったのか!
美味しいはずだなぁ。
そうだ、明日の午後は休みで自由時間だから……菓子を食べに行ってみよう。
これと同じものが買えるかもしれない。
夕食後、テルウェスト司祭から少しだけ話がありますと呼び出され、何か粗相をしただろうかとどきどきしながらお部屋に伺った。
「実はね、アトネスト。君はいろいろと、皇国の常識的と思われる知識を勘違いしている気がするのだよ」
「……はい」
そうだと思う。
アーメルサスと違い過ぎて、レトリノやシュレミスの言うことすらたまに意味が解らないこともあった。
「だからね、正典を学ぶのとは別に、そういったことを学ぶ時間を取ろうと思っているのですよ。明日……いえ、明日は半日お休みの日でしたね。明後日からにしましょう。しばらくの間は、朝食後にこの部屋に来てください」
「は、はいっ、ありがとうございます!」
なんとありがたいことだろうか!
皇国での当たり前と思われていることは、アーメルサスではあり得ないことばかり。
でも、何がどう解らない、と説明することができなくて何をするのも怖くなっていたのだ。
ちゃんと理解できるようになれば、きっともっとお役に立てるようになれるかもしれない。
……本当に、今更……なのだが。
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