第35話 三十一歳 晩夏・夜月下旬-5
衛兵のひとりが【採光魔法】を使い、部屋の全てが明るく照らし出された。
白い煉瓦の壁、天井は丸く緻密な石積で作られていた。
普通の岩を積み上げているのに、隙間は全くない上に美しく弧を描くように積み上げられている。
なんと精緻な石組みであることか!
長い年月ずっと放置されていたはずなのに、チリひとつ落ちていない。
そして……正面には石造りの祭壇のような卓があり、何かが載っている。
聖神司祭様が息を吞み、ゆっくりと近付く。
衛兵達も祭壇を囲むように、聖神司祭様の後ろにもひとり控えている。
その祭壇にはいくつもの紋様が彫られており、荘厳さを演出しているようだ。
「石……か。素直には、開けられぬようじゃな」
「ま、まさか……あの時の『からくり箱』のような仕掛けでしょうか?」
「かもしれぬが、ああまで複雑ではなさそうだ。うむ、ここ、か……?」
いくつかの手順が正しくなければ開けぬ、特殊な作りの箱のようだ。
なんと、高度な保管方法をしているのだろう。
『選ばれた者』にしか、開くことを許していないのだろう。
誰もが聖神司祭様の手元を凝視し、微動だにせず見守る。
いくつかの石組みを動かし……蓋が、開いた。
「本……?」
思わず声が出て、慌てて口を塞ぐ。
聖神司祭様が取り出したその本は、まるでつい先日作られたかのように真新しく思えた。
「素晴らしい魔力量だ……! これほどまでに魔力を湛えた本は……間違いなく……!」
聖神司祭様の声が震えている。
大いなる感動、そして歓喜。
じっ、とその表紙を見つめ、そろり、と開く。
「ああ……これは、これは紛れもなく……神話……第五巻だ! 最後の聖典だ!」
聖神司祭様の言葉が響き渡る。
衛兵達の驚きの表情、潤んだ瞳、感極まって跪く者すらいる。
私は……よく、解っていなかった。
何が起きたのか、こんなにも彼等が……神職でもない彼等が、どうして涙を流すほどに喜んでいるのか。
「おめでとうございます……! ドミナティア神司祭様!」
「心から、お慶び申し上げます!」
衛兵達が、口々に聖神司祭様に祝いの言葉を……?
言葉の端々を聞くに、聖典の発見はドミナティア家門の『使命』であり、数千年の長きに渡る悲願であったらしい。
この喜びは『彼等自身の何か』が満たされたからではなく『貴族家門の願いが叶った』から喜んでいるのか?
彼等は確かに聖典の発見という大きなことに関われたと感激しているのかもしれないが、それで彼等自身に一体何の変化があるのだろう?
大きく変わることなどあるまい。
自分のことならば、喜び感激するのは……理解できる。
だが、いくら敬愛する聖神司祭様といえど、他人ではないか。
神々の言葉を得て心打たれるのは恵まれていない者達であり、皇国の衛兵などという地位もあり生活にも困らず多くのものを持っている者達が、どうして『貴族の得になること』や『神職者の喜び』をこうも祝うのか……解らない。
正典が完成するから……?
あ、ああ、それならば実に喜ばしい。
でも、どうして、聖神司祭様個人に対して祝いの言葉を?
上位の方に媚びているようにも思えない。
それどころか、我がこと以上に喜び、涙している。
この時、唐突に思い至った。
私が話すことが苦手なのは、聞くことが苦手だからだ。
相手の言っている言葉の『一般的な意味』は理解できるが、その感情がよく解らないのだ。
嬉しいのだろうとか悲しいのだろうということは解るが……それだけだ。
……まったく相手の気持ちに寄り添うことができない。
誰かの喜びに、共に喜ぶことができない。
誰かの悲しみに、共に涙することができない。
自分のこと以外に、感情を動かすことができない……?
私は祝福に溢れるその部屋の中で、自分ひとりがあまりに不具に感じ、ただ、絶望に似た感覚の中にいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます