第33話 三十一歳 晩夏・夜月下旬-3
数日後、ドミナティア神司祭がラーミカ教会へお越しになった。数名の衛兵隊員達も一緒だ。彼等は、聖神司祭様の護衛だろう。
皇国の衛兵隊は帯刀をしているのだが、人に対して抜いている姿を見たことはない。暴漢や盗人などが出ても、彼等はあまり武器を使わず魔法か体術で確保する。やはり、魔法が使えないから、アーメルサスの兵士達はああも簡単に剣を抜くのだろうか。衛兵達は必ず複数で聖神司祭様の近くに控えているが、圧迫感を感じないのも不思議だ。
そんなことを思っていた私に、聖神司祭様がすぐにでも案内して欲しいと仰有る。
だが、その日は前日にかなり激し目の雨が降り、山の中は大層ぬかるんでいると思われる。聖神司祭様の純白の衣に泥が跳ねる様など、見たくはないと思ってしまった。
「足下が悪い山道でございます……お召し物を替えられた方が、よろしいのでは?」
私が恐る恐る申し上げると、聖神司祭様は法衣と衛兵隊の制服には汚れにくく、しかも汚れたとしてもすぐに浄化される魔法が付与されているから心配しなくてよいと微笑まれた。そして私に、気遣ってくれてありがとう、とまで仰有るのだ。
上に立つものはその権威を振りかざすのではなく、下の者への慈悲をもって示す……これこそが『神職』の在り様だと、その場にいた神務士や神官達全員が感激した。
「……久しいのぅ、エラリエル」
「はい……ドミナティア神司祭様」
ラーミカ司祭は
「おまえは既に許されておる。神々の裁定に従いなさい。儂等も……思う所はないのだから」
「ありがとうございます。ただ、私はまだ私自身が許せないでいるのです。神々の御心に異を唱えるのではなく……私は……」
「確かに愚かであったと自覚しているのならば尚のこと、もう拘るでない。ある意味、おまえも被害者なのだ」
神官達には、このやりとりが素晴らしい光景に映っているようだった。
だが私は……ラーミカ司祭に対してこの場の誰も思わないであろうことを、考えてしまった。
必要以上に自分を責め続ける態度や言葉は、本心なのかもしれないが……どこかで『許しの言葉』を聞きたいが故ではないだろうか、と。
自らの罪の告白とそれに対する罰の受け入れは大変清く素晴らしい行いである、と自分の慕う方に言って欲しい、言い続けて欲しい気持ちの表れなのではないかと。そして許されている自分を認識できて安心する。最も尊敬し敬愛する方に認めていただけていると自覚して、しかも……他の者達のいる所でそれを聞けたことに喜んでいるのではないか……?
……!
ああ、なんと捻くれた考え方だろう!
どうして私はこうも人の美しい心を信じ切ることができず、浅ましい考え方しかできないのだろう!
なんで自分がそうだからと言って、他の方々まで同じだと決めつけてしまうのか。私自身が卑しいだけなのに、私の思うことを『そう思って当たり前だ』と考えることの方が傲慢で図々しいだけなのに。
忘れてはいけない。
私の知っていること、思うことは『常識とは限らない一個人の考え』なのだ。
こうして迷い、疑い、信じられなくなるから、私は指針を正典に求めたのだ。ラーミカ司祭もここにいる全ての神職達は、神々の言葉を道標にしている方々だ。そう、ならば……その心を、人の心は美しいのだと信じよう。まず私が信じなくては、何も解らないままだ。
私の葛藤をよそに、聖神司祭様はすぐにでも出立をと私を促しラーミカ司祭に背を向けた。そして町の東門から外へと出ると、あの日私が辿った道を逆へと進む。もう、足跡などは残ってはいないし逆向きに進むので方向がこの道でよいのかが不安だった。
あの時は全く後ろを振り返らなかったが、幾度か空は見上げた。何度となく上を見上げつつ、進むがやはりよくは解らない。小山の頂上付近まで来た時に、一度休息をとった。
私は振り返って今上ってきた道を見ながら、あの時のことを思い出そうとする。
だが、昼間の森と夜陰の森では表情が違いすぎて、正しく登ってこられたのか全く自信が持てなかった。何か覚えていないものか……降りる方向を誤ってしまったら、全く辿り着けなくなる。
ふと、見つけた木の根にひっかいたような、擦ったような傷があった。
そうだ、そういえば何度か木の根を踏んで滑りそうになったことがあった。その近辺を見ると、少し先の木の幹に何かがぶつかったようなあとまである。どう見ても、さほど古いものとは思えない傷だ。
この方向に違いない。
私は小休止を終えた聖神司祭様と衛兵隊員達と、その傷がある木の方へと歩き進めていった。
どうか、あの回廊へ今一度お導きください、と心の中で唱えながら。
その後も道など全く思い出せず、木の幹にも飛び出している根にも痕跡など見つけることはなかった。だが、あの時、私は頂上に出るまで曲がったり迂回した記憶がなかったので、できる限り真っ直ぐに下を目指した。一刻半ほど経っただろうか、目の前に開けた場所が現れた。
走り出してその広場へと降り、振り返って山全体の形を見る。
そうだ。
ここに違いない。
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