第32話 三十一歳 晩夏・夜月下旬-2

 それからも、私はいろいろな町へ訪れた。

 どの町でも嫌な顔をされることはなかったが、歓迎はされていないだろうと感じる教会もいくつかあった。

 そして再び、ランテルローを訪れることになった。


 少し、気が重かった。

 ラーミカ司祭の告白のことを思い出してしまい、あの時にランテルロー司祭の仰有ったことにも……頷けなくなっていたから。

 私の心を読み取りでもしたかのように、その日は重く雲の立ちこめる蒸し暑い日だった。

 腕輪の魔石に貯めていた魔力を使い、教会方陣門でランテルローへと入る。


 窓から、光が入ってきていた。

 中央部では晴れているのかと、ぼんやり窓を見つめていた私に神官のひとりがようこそ、と声を掛けてくる。


「どちらへのご用事ですか?」

「本日はランテルロー司祭様への手紙と、来月の護岸工事の計画書をお預かりしておりますので、それをお届けに参りました」

「左様でしたか。では、こちらへ……ただいま司祭は来客中ですので、お待ちください」


 司祭への手紙は勿論なのだが、ラーミカ教会で預かった護岸工事日程計画表は必ず司祭に手渡ししなくてはいけない。

 この日程表は工事をする前の月の下旬にランテルロー司祭からマントリエル公へ手渡されるもので、工事担当区の司祭からランテルローに届けるものである。


 大河の護岸工事は四つの町で、それぞれ近い場所を受け持って進められている。

 ラーミカは一番北側、毎年のように最も水が押し寄せる場所で少しでも崩れてしまうとすぐに川が溢れる低い土地だ。

 だから必ずご領主であるマントリエル公が、直々に計画を確認して視察にもいらっしゃるのだという。


 待たされていた小部屋の外に、こつ、こつ、と足音が近付いてきた。

 司祭様がいらしたのだろう。

 私は席を立って、椅子から離れる。

 扉が開き、頭を下げた私に初めて聞く声が降り注いだ。


「遅くなってしまったな。ラーミカの新しい神務錬士というのは君か」

 顔を上げたそこには……純白に輝く金縁の法衣……聖神司祭様だ!

 私は目を剝き、いや、瞬きを何度も繰り返し、身体が強ばって動けなくなってしまった。


「ああ、すまん、そんなに緊張せんで構わん」

「仕方ございませんよ、マントリエル公。彼にとって聖神司祭であるあなたは雲の上の存在でございますから」

「いや、そのように考える必要はないぞ。あー……」

「君、聖神司祭様にご挨拶を」


 ランテルロー司祭に促されて、なんとか不格好ながら礼を取り名乗った。

「ひ、ひと月ほど前より、ラーミカ教会にてお勤めさせていただいております……ア、アトネストと、申しますっ」

 思わず声が、ひっくり返ってしまった……

 マントリエル公は微笑みながら、そのように硬くなることはない、とお言葉をくださる。

 やはり、思っていた通りなんとお優しい方だろう。


「君のことをエラリエルから聞いてな」

 エラリエル……?

「……! ああ、ラーミカ司祭のことだ。相変わらず、名乗ってはおらぬのか」

「忌み名でございますから、まだ」

「既に神々はお許しになったのだぞ。おまえは神々より、人の裁定が優るというのか?」

「い、いえ……申し訳ございません、そのようなつもりは……」


 ああ、そうか『まだ』というのは、禊ぎを終えてもいないのにという意味か。

 ランテルロー司祭はやはり、あの『罪』が雪がれたとは思っていらっしゃらず、ラーミカ司祭に対して苦々しく思っておいでなのだな。

 それで、冷たい態度をとられるのは……仕方ないとも思うが、悲しい。

 マントリエル公・聖ドミナティア神司祭様は腰掛け、私にも椅子をすすめる。


「君が皇国に来るまでのことを、詳しく聞きたい」

 そう仰せになり、ランテルロー司祭には席を外すようにと仰有った。

「言いにくいこともあろうが、私は閉ざされていたにもかかわらずこの国に辿り着けた君自身のことを知りたいのだよ」

「はい、隠すことなど、何もございません」


 私はなるべく客観的に、誇張のないようにと努めつつ自らの出自から語った。

 マントリエル公……いや、私にとっては神職であられる『聖神司祭様』としての御前に在りたいので、心の中ではそうお呼びしよう。

 聖神司祭様は私の話を黙って聞いてくださったが、聖神二位に対してのアーメルサスの在りようには心の底からお怒りであったと思う。

 ドミナティア家門は、聖神二位を加護神として奉る大貴族なのだから。


 そして、どうしても皇国で正しい神典と神話を読みたい、学びたいという思いで……密入国したと、告白をした。

 だが、助けてもらった方々がいたということは話したが、それが誰かは言わずに。

 もし私が今後なにかの罪に問われることがあったら、この国に導いてくれた恩人にまで累が及ぶ。

 聖神司祭様は深く息をつき、責めるではなく私に真っ直ぐに言葉をかけてくださった。


「正しく皇国へと続く道がなかったというのに、ここまで辿り着いたことこそ神々のお導きである。君に、罪はないよ、アトネスト」

「……っ! ありがとう、ございます……っ」

 胸がいっぱいだった。

 ラーミカ司祭と同じことを言っていただけた安堵と、この国で最も偉大な聖神司祭様に受け入れていただけた喜びで。


「それにしても、無茶をするものだ。コーエルト大河を崖伝いでを辿ってくるなど、信じられん」

「途中で、やはり駄目かもと何度か挫けそうでした。ですが、その度に足場が、手を掛ける岩がこの目に映り……なんとか古き回廊まで辿り着けたのです」

「……回廊……じゃと?」

「はい。崖の中腹に、まるで導かれるように洞があり、一時休めればと思って入りましたらこの地へと続く回廊だったのです」


 聖神司祭様の表情が驚きから、歓喜を含んだものに変わる。

 頬が紅潮していらっしゃるようだ。


「アトネスト、近いうちに必ずラーミカを訪ねる。その『回廊の出口』に案内してもらえるかね?」


 頷いた私は、ただラーミカに聖神司祭様がいらしてくださることを喜んだ。

 そして、聖神司祭様が何を思って心躍らせていたか、この時の私には欠片も思い及ぶことはなかった。

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